「ガンダム芸人」はこうして運命と出会った──。若井おさむ氏の少年時代をアムロと共に辿る
公開日:2021/8/14
1979年に放送された『機動戦士ガンダム』は以降、多くの続編や外伝などの関連作が制作され、40年以上を経た現在でも絶大な人気を誇る。そしてその人気を支えたファンの中には映画監督やミュージシャンなど著名人も数多く、中には「ガンダム芸人」と呼ばれる『ガンダム』をネタにした芸人まで登場した。『アムロと僕』(若井おさむ:ストーリー、竹宮さとし:漫画、矢立肇・富野由悠季:原案/KADOKAWA)の原作者である若井おさむ氏は、『ガンダム』の主人公アムロ・レイのモノマネで知られる「ガンダム芸人」のひとり。そんな氏が語るのは、幼少期に邂逅した『ガンダム』との思い出の日々である。
オサム少年が『ガンダム』と出会ったのは1981年、小学二年生のとき。彼の兄が買ってきた『ガンダム』のプラモデル、いわゆる「ガンプラ」を知ったことからだった。子供でガンプラを買えなかったオサム少年は、こっそりと兄のガンプラで遊ぶことに。そんなある日、驚くべきことが起こる。彼の部屋に、アムロ・レイがやって来たのだ。慌てて母親に報告するも、部屋には誰もおらず──。そう、彼はオサム少年にだけ見えるアムロだったのだ。『アムロと僕』は、アムロとオサム少年の交流を通じて、ひとりの「ガンダム芸人」の幼き日を追体験する物語なのである。
本作はオサム少年の、『ガンダム』にまつわるさまざまな体験談が描かれている。その中で、少し異質だが心に残るエピソードを紹介したい。それはオサム少年がアムロと一緒に『ガンダム』のアニメ放送を観ようとするときのこと。しかしアムロはなぜかその放送を観ようとせず、帰ってしまうのだ。そのエピソードは第13話「再会、母よ…」である。オサム少年はなぜアムロがこの回を観たくないのか分からなかったと述懐。実は私も、そうであった。強敵たちとの戦闘回に比べて、地味な話だと思ったからだ。だが、大人になって改めてこの回を観て、考えが変わった。これはアムロの「親離れ」を描いた重要なエピソードだったのだ。親離れというのは、時として辛く苦い思いを味わうこともある。この回のアムロがまさにそうだった。だからアムロは観ることができなかったのだ。おそらく若井おさむ氏も、大人になってそれを感じたからこそ、このエピソードを語らなければと思ったのではないか。大人になって観ると、子供のときに感じたものとは違った印象を与えてくれる──それこそが『ガンダム』の奥深さの証明と思えるのである。
そして当時の話としては、大々的なブームを巻き起こした「ガンダムのプラモデル」──いわゆる「ガンプラ」のエピソードは欠かせないだろう。この話題に関しては多くの部分で登場するのだが、同じ時代を生きた人にとっては、非常に共感するネタが満載だ。例えばガンプラがとにかく人気で、いくつかの模型店ではガンプラに他の商品を組み合わせて販売する、いわゆる「抱き合わせ商法」が行なわれていた。せっかく店でガンプラを発見しても、興味のない商品が一緒で価格も高く、悲しい思いをした人は少なくあるまい。オサム少年のケースは少々特殊で、兄に絡む悲しい事件に巻き込まれるのだが、「そういうこともあるか……」と妙に納得する部分はあった。またオサム少年のおばあちゃんが、ガンプラを買ってきてくれたときのこと。彼が大喜びで見てみると、それは「イデオン」のAメカ(頭や腕部分)だった……。そういえば私も、ガンプラと間違ってコンバットアーマーのプラモを貰ったことがあったっけ……。いや、それはそれで嬉しかったデスヨ?
アムロと共に辿るオサム少年の足跡は、時に笑いあり、時に涙ありと実に多彩である。さすが「ガンダム芸人」らしく、アムロのセリフネタが入ってくるタイミングも絶妙で、漫画として万人が楽しめるはず。さらにもし、若井氏と同じ時代を生きたガンダムファンが読むのであれば、その面白さに共感が加わることになるだろう。同じ作品のファンなら多くの人が持つであろう共通の話題や記憶は、我々を懐かしい時代へと誘ってくれる。それこそが我々にとっての「帰れる場所」なのかもしれない。
文=木谷誠