気軽で簡単! カジュアル化した新しい瞑想とは?/心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想
公開日:2021/8/25
日々の悩みや疲れなどがたまり、イライラ、モヤモヤ、不安な気持ちを抱えてしまっていませんか?
「月曜瞑想」は、週のはじめを気持ちよくスタートするための新習慣。無理はしない、難しいことはしない、時間にしておよそ5分でできる手軽な瞑想法となっています。頭と心を切り替えて、スッキリした気持ちで1週間をスタートしましょう!
※本作品は伊藤東凌著の『心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想』から一部抜粋・編集しました。
「月曜瞑想」は、究極にカジュアル化した新しい瞑想法
瞑想というと、昨今のマインドフルネスブームを思い出す方が多いのではないでしょうか。
私は、フェイスブックの本社でヨガサークルや瞑想サークルの人たちに瞑想の指導をしたり、国内の企業の方々にも対面やオンラインでマインドフルネスの指導をしたりすることもありますが、瞑想の習慣がビジネスパーソンに広がったことはとてもうれしく思っています。
ですが、一方で、気になっていることがありました。
マインドフルネスとしての瞑想は、「かっこいい」「クール」「知的」といった印象が先走りして、少し敷居を高くしてしまっているように感じています。違った壁を築いてしまったのではないかなという気もしていました。
クリエイティブな能力を高める、集中力を高める、精神性を高める、人間力を高める、自分の能力を最大限開花させ、最高のパフォーマンスを発揮する……といったように、効果も少々高尚に紹介されることが多いのです。
そもそも、瞑想をすることで、乱れた心の平穏を取り戻し、もともとの自分の感覚を取り戻す、というとても単純なことが、「マインドフルネス」という言葉で表現されることで、「ちょっと難しそうなもの」「自分の日常とは少し遠くにあるもの」というふうに伝わりすぎているきらいがあるのかもしれません。
そのことで、敷居の高さを感じ、手を出せない方もいるようでした。
私が指導している方の中には、「瞑想は興味があったのですが、私はマインドフルネスをやるようなタイプじゃないし、ちょっと違うかな、と思って」とおっしゃっていた方もいます。
もちろん、スタイリッシュ、クール、といった側面もあっていいのですが、私は、もう1つの流れとして、もっと広く、たくさんの方の日常に寄り添った、地に足の着いた瞑想習慣を提案したい、と思っています。
瞑想は本来誰でもが気軽にできるものであってほしい。
子どもから大人まで、家族みんなが習慣化できるものであってほしい。
そういった思いで考案したのが、「月曜瞑想」です。
まさに、カジュアル化した瞑想のご提案です。
月曜の朝5分で心を再起動する新習慣「月曜瞑想」とは?
どんよりとした気分で始まりがちな週のはじめの朝。
先週までのたまりにたまった疲労感と、積み重なったストレスを引きずったままスタートするのか、再起動して、心の中のゴミを捨ててスッキリ整理してからスタートするのか。あなたの1週間が充実したものになるかどうかは、週のはじめの朝の心の状態にかかっているといっても過言ではありません。
この瞑想のやり方で特徴的なのは、「自由」で「ラク」なこと。
ほかの瞑想のやり方とは一風変わっています。
壁にペターともたれかかって足を投げ出して座って行うということ。足を組まなくてよいこと。脱力してよいこと。
瞑想というと、ピンと背を伸ばして、あぐらをかいて座る、というイメージがあるかと思いますが、これから紹介する「月曜瞑想」を知ると、みなさん意外に思われるかもしれません。
瞑想の態勢を取らずして、瞑想ができるのか?
たしかに、姿かたちから入ることも1つの方法です。
ですが、姿かたちにとらわれてしまうと、瞑想の本質を理解できない、ということもあります。
なによりも、私は、本質をまっさきに理解してもらい、瞑想の体験で得たものを実生活に生かしていただきたい、そう願っています。ですから、やり方は、ごくごくラクに自由なものにしました。
瞑想にかける時間も、まずは5分からでOK。
日々の忙しい毎日を送る中で、特に忙しい月曜日の朝、どうか5分でいいから自分のための時間としての瞑想の時間を捻出してほしい。
もちろん、もっと長くできる方は、長くやったほうが、再起動された心と頭を実感しやすく、またその状態が長く続きやすいかもしれません。
起きてからすぐでもいいですし、朝食の前でもいいですし、出かける直前でもかまいません。週のはじめの朝に、瞑想の時間を5分間つくるだけで、あなたの1週間がガラリと変わるのです。
瞑想は「頭を空っぽ」にするものではなかった
「月曜瞑想」を始める前に、ぜひともみなさんにお伝えしたいことがあります。
「瞑想」というと、みなさん何を思い浮かべるでしょうか?
頭を空っぽにする。
心の中をきれいにする。
自分と向き合う。
無になる。
ひと言でまとめてしまいますと、難しそうなイメージがある、というところでしょうか。
「月曜瞑想」ではそのような難しいことを考える必要はありません。
私が行っている「坐禅」も、ただ座るだけです。
そこに、無になろうとか、頭を空っぽにしようといった狙いや計らいごとはありません。私は、そこにただ座っているだけ、なのです。
座って何をしているのか。
いろいろなことを感じています。
息を吸っているなあ、吐いているなあ。
手が温かいなあ、指がしびれているなあ。
鳥の鳴き声が聞こえるなあ、足音が聞こえるなあ。
お線香の香りがするなあ、花の香りがするなあ。
自分の感覚を開いて、自分にあるもの、まわりにあるものを感じて、どんどん受け入れています。
日常生活を送る中で、ストレスなどで乱れて混線してしまった感覚を整え、本来私たちが持っている状態まで取り戻しているのです。そうすることで、自然と心の状態も整っていきます。
瞑想とは、頭の中を空っぽにするのではなく、自分の感覚で受け取る情報を1つひとつ丁寧に体験することです。
それが「月曜瞑想」の第一歩になります。
それでは、さっそく「月曜瞑想」を始めましょう。