SEKAI NO OWARI・藤崎彩織の“ねじねじ”とした日々の悩みと気付き

文芸・カルチャー

公開日:2021/8/19

ねじねじ録
『ねじねじ録』(藤崎彩織/水鈴社)

 2021年7月にニューアルバム『scent of memory』をリリースし、2年ぶりのライブツアーも発表したSEKAI NO OWARI。メンバーたちは音楽だけにとどまらない多様な才能を発揮しているが、ご紹介するのは初小説『ふたご』が直木賞にもノミネートされた、ピアニスト・Saoriのエッセイ集『ねじねじ録』(藤崎彩織/水鈴社)だ。日本経済新聞、文藝春秋のメディアでの連載と3篇の書き下ろし、計約40篇が収録されている。

 題名にある「ねじねじ」という擬音語は、幼稚園からの幼馴染でもあるボーカリスト・Fukaseが、著者が日々あれこれと思い悩む姿を見て使った言葉だそうだ。装丁には、頭に歯車の乗っかった動物が、木馬にまたがっているイラストが施されている。「ねじねじ」というのが厳密にどのような意味なのかは本書に記されていないが、おそらく「常に当たり前のように悩んでいる」ということなのだろう。

 本書には音楽・文章に関する著者の悩みももちろん書かれているが、それより多くを占めるのは、「ふつうの悩み」だ。

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今、私は撮影を終えて、認可保育園に入るために提出しなければいけない「3ヶ月分のスケジュール」を書いていて、息子が保育園に登園できなければ仕事ができないことを証明する書類を作成中だ。書きながら、こんなに働いているのにいつまでも認可保育園に入れなかったらどうしようと不安が過る。

 このように著名人・音楽家としての特殊な悩みだけではなく、一人の女性・母親・妻としての世の中に対する考えや洞察が、1篇数分で読み切れる長さでまとまっている。短い文章の中で、ただ悩みを書き綴るだけでなく力強い問題提起がなされている点は、日本中・世界中のファンたちに楽曲を送り届ける有名バンドメンバーの力量が存分に示されている。

 上記の引用は「保育園のテレビ」という題名だが、最後は保育士の労働環境改善の訴えで締められている。「自分が自分でなくなるとき」では、子育てをし始めて不安やわからないことだらけの新米ママ・パパに「私も同じだった」とエールが送られていて、「T字の正体」では生理痛やIUS(子宮内に装着する避妊リング)などの話題を通して女性の健康管理により充実した選択肢が与えられるような訴えかけがなされている。

 幼少期に変質者に会った経験から日本の性教育のあり方を問う「未来を変える性教育」など「ねじねじ」の度合いが高い(ややヘビーな)題材もあるが、忙しい育児の中でふとチューリップの美しさに気付いた「忙しい時の過ごし方」、息子の記憶力のすごさと成長に対する感動を綴った「電車図鑑」など微笑ましい作品も多く収録されている。そしてもちろんSEKAI NO OWARIファンの方にとっては、作品制作やライブ演出の深さを知ることができる「ディレクターという仕事」や、文筆業の舞台裏を垣間見られる「笑う編集担当者」など、新たな発見のあるストーリーが満載だ。

 読む人によってお気に入りのエピソードが違ってくるはずだが、SEKAI NO OWARIの有名な楽曲を数曲知っているぐらいの知識の筆者の場合、「お一人様」の楽しみ方を綴った「一人の味」が一番印象に残った。子どもが一人生まれ、夫婦互いに一人の時間を作るように配慮したものの、著者は多くの時間を「仲間」と過ごしたため、どう楽しめばいいか最初は戸惑ったという。しかし、映画館に一人で行き、無理に感想を言わなくていい心地よさを経験したのを皮切りに、「言葉にしない」という楽しみに気付いていく。

一人でヨガやボクシングジムに通い、一人で美術館に行き、一人で焼肉ランチに行く。一人でラーメンを食べ、一人でしゃぶしゃぶを食べ、一人でフレンチのコースを食べてみた。料理も映画と同じように、「美味しい」と言わないことで感じることの出来る美味しさがあることがわかった。

「言葉にする」ことを生業にする著者だからこそ、真逆の「言葉にしない」ことの大切さに気付けたのだと思うが、インターネットやSNSで誰もが言葉を発信することができ、ともすれば言語化が理想とされる風潮の中で、「感じたことを言葉にしないままにしておく」というもう一つの選択肢を与えてくれるエピソードだった。皆さんも、本書からお気に入りの「ねじねじ」を見つけてみてほしい。

文=神保慶政