廃病院からの転落、いじめ問題、女性作家の秘密──絡み合う謎を物語への愛とともに描いた、弁護士作家決意の1作!

文芸・カルチャー

更新日:2021/9/2

原因において自由な物語
『原因において自由な物語』(五十嵐律人/講談社)

 医師や教員、会社員など、ほかの仕事を持ちながら執筆活動を行う兼業作家は少なくない。2020年、第62回メフィスト賞受賞作『法廷遊戯』(講談社)でデビューを飾り、『このミステリーがすごい! 2021年版』国内編3位に輝いた五十嵐律人さんもそのひとり。現役弁護士としての法知識を活かしたミステリーで、早くも独自のポジションを築きつつある。

 2021年7月に上梓された第3作『原因において自由な物語』(講談社)も、その持ち味を発揮したリーガルミステリー。一風変わったタイトルは、法理論「原因において自由な行為」から。刑法では、アルコールや薬物により正常な判断ができない心神状態で犯罪に及んでも、責任能力がないとみなされ、罰を科されることはない。だが、飲酒や薬物服用といった「原因行為」の時点で責任能力があれば、例外的に刑事責任を問えるという理論だ。つまり、最初から相手を殺すつもりだった場合、例えばわざと泥酔して記憶を失った状態で犯行に及んだ場合も罪に問われるということ。作中では「原因において自由な行為」になぞらえるように、みずから退路を断ち、「そうするしかなかった」という状況に自身を追い込む人々の姿が描かれていく。

 第1章で描かれるのは、ある高校生たちの日常風景だ。彼らの間では、画像をアップするだけでAIが「顔面偏差値」を算出するアプリや、同じ偏差値帯から恋の相手を選んでくれるマッチングサービスが流行している。読みながら「このアプリが存在しない世界でよかった……」としみじみ喜びを噛みしめてしまったが、作中の高校生にとってはまさに死活問題。自身の鼻の形が原因で、「顔面偏差値」の最下層に位置する佐渡琢也のように、残酷な数値化によりいじめを受けている人物もいる。逃げ込むように写真部に入った彼は、完璧な容姿を持つ永誓沙耶、複雑な事情を抱える朝比奈憂とともに、放課後を過ごす日々を送っていた。

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 続く第2章では場面が一転し、ミステリー作家・二階堂紡季の視点に。彼女は現在、顔面偏差値算出アプリやマッチングサービスが登場する学園ミステリーを執筆している。そのタイトルこそ『原因において自由な物語』、略して『原自(ゲンジ)物語』。ここへ来て読者は、第1章は紡季が執筆中の小説、つまり作中作ではないかと気づくことになる。

 だが、この物語にはまだまだ仕掛けがある。さらに章が進むと、紡季の小説に隠されたさらなる事実が明かされることに。紡季の秘密、1年前に起きた廃病院での転落事件、紡季の恋人であり弁護士の遊佐想護が遭遇した出来事、写真部員たちの事情などが複雑に絡み合い、読者を思いがけないところへ連れ去っていく。目の前に広がる景色が次々に覆されていく驚きと興奮に、ページをめくる手はもう止まらない。

 中でも胸に迫るのは、ウイルスのように感染し、なかなか消滅しないいじめ問題。教育現場から人権侵害をなくす「スクールロイヤー」(学校内弁護士)が介入してもなお、次々に宿主を変えて感染を広げるいじめを根絶する難しさ、追い込まれていく人々の悲痛な姿に心を抉られる。

 さらに、紡季をはじめとする登場人物の言葉を通して、小説の意義、「書く」ことへの覚悟についても語られていく。「読者が求めているのは、結末ではなく過程に対する共感」「これは、痛みを痛みとして伝える物語だ」「私にとっては、物語こそが自由だった」──。彼女の言葉の数々は、五十嵐さんがなぜ小説を書くのかという根源的な問いへの答えのようにも感じられる。これがもう、とにかく痺れる。物語の可能性を信じる姿勢に心動かされるとともに、弁護士作家としての決意を感じる1冊だ。

文=野本由起