堤防の無い街づくりに、火災対策で木材? 古代ローマの都市計画に学ぶ危機管理術
公開日:2021/9/4
「平和な時代」を「戦争のない時代」と仮定すると、日本は間違いなく平和なはずだが、新型コロナウイルス禍をウイルスとの戦いに喩えられれば決して平和とは云えないだろう。それは世界的に同じことではあるが……。『古代ローマ人の危機管理』(堀 賀貴、エヴァン・プラウドフット、その他/九州大学出版会)は、18世紀にイギリスに産まれた歴史家エドワード・ギボンが「人類史上もっとも幸福」と評した五賢帝時代の古代ローマを、「平和=戦争のない時代」ではなく、「平和=危機管理に成功した時代」とし、当時の街づくりについて論じた本である。
「リスク」と「クライシス」、「安心」と「安全」
著者の1人は建築学が専門で、古代ローマの3大遺跡に数えられる「ポンペイ」「ヘルクラネウム」「オスティア(と首都ローマ)」に関する図面や遺跡の実地調査から、4つのリスク「盗難」「火災」「洪水」「疫病」を本書において考察している。
その「リスク」について、英語では「危険度」を意味するのに対して、英語の「クライシス」のほうは社会などのシステムが機能不全に陥りつつある状態の「危機」に当てはまるそうだ。リスクを適切に管理することが、クライシスを防ぐことになるわけだが、危険度をゼロにすることはできないから、リスクの反対語の「安全」は「安心」を意味しない。また、記録に残るのは事件や災害が起きたあとの「クライシスマネジメント(事後処理)」が圧倒的に多く、それは「リスクマネジメントに失敗した状態」なため、同じ脅威への対処であってもリスクマネジメントの検証のほうが難しいそうだ。
岩が燃えて木が燃えない?「火災」
「盗難」の章の住宅における扉の開く向きや、住宅の敷居が防犯装置としての役割を果たしていたという話も充分に面白いのだけれど、本稿ではより脅威レベルの高い自然災害を取り上げよう。
古代ローマの法律には、隣り合う建物のあいだの幅を定めた条項が存在しており、火事の延焼を避けるためだろうと考えられるという。しかし、火事の被害はすぐに修復や改修がされるため考古学的な記録は多くなく、記録ないし痕跡が残るのは火事によって建物が放棄されるといった特別な事情があった場合に限られる。それでもリスク管理としての家屋の構造に目を向けると、窓が小さいのは防犯のためであるのと同時に、内部で火災が起こったさいに炎が窓から噴き出るのも、街路側で起こった火事の火の手が屋内に入ってくるのも抑えられるのだという。ただ、耐火性能が高く価格も高いレンガの代わりに壁に使われていた、凝灰岩(ぎょうかいがん)と呼ばれる火山由来の岩は長時間炎にさらされると脆くて割れやすくなるため耐火性能は劣るそうだ。一方、木材は防火性能こそないものの芯が残っていれば耐火性能を発揮し、当時の建築家ウィトルウィウスがその耐火性も含めて唐松を優れた素材であるとして記録に残しているのが面白い。
古代ローマ人は堤防を造らなかった!? 「洪水」
ローマを流れるティベリス川は数年に1回、あるいは雨期である秋から冬にかけて氾濫していたことが分かっており、定期的という点で「予測可能な災害であった」と云える。ポンペイとヘルクラネウムなどの都市は高台に位置しているため、この章は河口の都市オスティアの話となる。
洪水の対策として街路や広場が「かさ上げ」されているのだが、建物の間口が路面から0.8メートルも高い位置にあるとのことで、だいぶ出入りに不便そうである。どうもそれは、リスクマネジメントではなくクライシスマネジメントに重きを置いているからである模様。というのも堤防を造らず、「洪水が街に浸入するのを防ごうとはしなかった」そうで、著者は理由として「堤防を造って決壊した場合の破壊的な結末を予測したのかもしれない」と推測している。発災することが避けられないのだから、事後処理に対策を振り向けたのだと。かさ上げについても洪水の被害から建物の被害を防ぐためだけではなく、流れ込んだ土砂を処分するための方策でもあったらしい。
「疫病」となると、医学の父と呼ばれる古代ギリシアのヒポクラテスが瘴気(しょうき)、すなわち「悪い空気」が病気を起こすという感染症を思わせる発想を持っており、その知識は古代ローマにも伝えられていた。しかし天然痘の流行により帝国全土で約600万人が死亡したとされる大災厄を前にして、五賢帝のうち最後の皇帝マルクス・アウレリウスは瞑想するほかは基本的に「なにもしなかった」という。
そういえば私の住んでいる街には縦横に用水路が流れていて、柵はあるものの、子供が落ちたら危険だからと埋め立て工事の話が持ち上がった。しかし近くに化学工場が複数点在していることから、元々は田畑のために造成された水路は現在では大規模火災が起きたら延焼を防ぐのに役立つという専門家の意見もあって、残されることとなった。起きていないことの結果は誰にも分からないが、本書では本題に入る前にこう語られている。
「安全のともなわない安心はもっとも危険な状態といえる」
文=清水銀嶺