ずっと否定されていたせい? 里帰りでもおばあちゃんと口論に(皐月・京都)②/月曜日の抹茶カフェ

文芸・カルチャー

公開日:2021/9/30

川沿いの桜並木のそばに佇む喫茶店「マーブル・カフェ」。ある定休日の月曜日、1度だけ、京都の茶問屋のひとり息子によって 「抹茶カフェ」が開かれる……一杯の抹茶から始まる、東京と京都をつなぐ12ヵ月の心癒やされるストーリーが試し読みに登場! 京都の実家に里帰りした光都。とげのある物言いをする祖母の話を、気にせず流せればいいのに、どうしても幼少期から抱える思いが口をついて出てしまい……。

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月曜日の抹茶カフェ
『月曜日の抹茶カフェ』(青山美智子/宝島社)

 食事を終えると、私は台所で雪乃さんと並んで雑談をしながら、食器を洗ったり拭いたりした。後片付けをすませて居間に戻る。

 おばあちゃんがロッキングチェアの背にもたれて目をつむっていた。軽く額に手を当てている。

 今日最初に会ったときから思っていたけど、いまいち顔色がよくない。どこか具合が悪いんじゃないだろうか。胸のざわつきを抑えながら私は訊ねる。

「おばあちゃん、お茶飲む?」

 おばあちゃんはうっすら目を開け「ああ」と答える。そして、台所に向かおうとする私に唐突に言った。

「紙芝居、どんなのやってるんだい」

 私は振り返った。少し心が跳ねた。おばあちゃんが、興味を持ってくれた。

「宮沢賢治」

 私はその名前をくっきり縁取るように答える。するとおばあちゃんは「へえ!」と叫んで突き放すように言った。

「あんたに宮沢賢治なんか理解できるんかね。難しいよ、賢治を読み解くのは。まして他人様に読んで聞かせようなんて、たいそうなことやで」

 ずくん、と胸の奥で大きな音がした。暗い穴が開いたみたいだった。その穴に私が落ちていくのにも気づかず、おばあちゃんは饒舌になる。

「大学に行って芝居をやり始めたって聞いたときもびっくりしたで。光都は小さいころからぴいぴいぴいぴい、よく泣く子やったし、バランス感覚が悪いのかしょっちゅう転ぶし、こないトロくて大丈夫かいなと思ってたからな。それが人前で演技するなんて、まあ、信じられへんわ」

 小ばかにした笑い。いつものことだ。いつもの……。聞き流せばいい。

 でもどうしても、できなかった。怒りなのか悲しみなのか、そのどちらもなのか、吹きこぼれそうな熱い憤りを止められなかった。

「…………なんでなの?」

 しぼりだすようになんとかそこまで言い、真顔になったおばあちゃんに私は声をぶつける。

「なんでいっつもそうやって、私のやることにケチつけるの!」

 おばあちゃんは眉をひそめた。

「光都が失敗せえへんように、教えたげてんのやないか」

「おばあちゃんは私がどれだけがんばってもぜんぜん認めてくれない。子どものころからずっとそうだった。さかあがりができるようになったときも、読書感想文が入選したときも、難関って言われてた高校に受かったときも、なんだかんだ、粗捜しばっかりして」

「さかあがりって、あんた。そんな昔のこと根に持ってたんか」

「持ってるよ、ずっと持ってるよ! その無神経さが人をどれだけ傷つけてるか、おばあちゃんはぜんぜんわかってないんだよ!」

 おばあちゃんは黙った。私も黙った。

 耐えられなくなって、私は居間を飛び出す。お茶の入った湯呑みを三つ、お盆に載せて立っている雪乃さんの隣をすりぬけて。

 

 自分の部屋で、私はベッドに寝転がってしばらくぼんやりしていた。

 涙がこぼれた。おばあちゃんに対するやるせなさが流れたあとは、ぴしぴしと自責の念にかられた。

 おばあちゃんって、いくつだっけ。たしか八十二歳だ。今さらあんなこと言って嫌な空気にすることなかった。今度いつ会うかわからないのに。

 我慢ができなくて悟った。私は、他のことはどうでも、これだけはおばあちゃんに肯定してほしかったのだ。

 私は起き上がり、紙芝居セットの入った袋に手を伸ばす。

 東京から持ってきた木製の紙芝居フレーム。探して探して、こだわって、やっと見つけたお気に入りだ。ちょっと重いけど、絵の抜き差しがスムーズで、なによりもクラシックなデザインがすごくいい。お客さんを紙芝居の世界に惹き込む、ムーディーな舞台になってくれる。

 持ってきた作品は、どれも宮沢賢治だった。

 あんたに宮沢賢治なんか理解できるんかね。おばあちゃんに刺された棘が抜けない。自分の中の、いちばん柔らかいところを突かれた気がする。

 宮沢賢治の読み解きが難しいことぐらい、私にだってわかっている。だから何作も、何度も何度も、読み込んだ。私なりに考えた。今だって、紙芝居を打つときはいつも考えてる。そして宮沢賢治の作品を、私は愛してる。子どものころから。

 

 ―――――― 九歳のときだった。

 仕事が忙しいなりに夜中には帰ってきていた両親が、あるとき出張になった。夕方から台風が来ていて、夜になると外でごうごうと大きな音がした。

 お父さんもお母さんも、大丈夫かな。この家、吹き飛ばされちゃうんじゃないかな。電気を消すのも不安になって、私は自分の部屋を明るくしたまま、ベッドの中でまんじりともできずにいた。

 閉じたドアの隙間から光が漏れていることに気づいたのだろう、おばあちゃんが入ってきた。

「眠れへんのんか」

 おばあちゃんが言った。私が布団をかぶったままうなずくと、おばあちゃんは「弱虫な子やねえ」とぶつぶつつぶやきながら行ってしまい、そしてすぐに戻ってきた。

「本でも読んだげるわ」

 驚いた。おばあちゃんは、本を取りに行っていたのだ。掛け布団をはがすと無理やり私の横にもぐりこんできて、老眼鏡をかけ、本を開いた。

 そしておばあちゃんは、声に出して物語を読み始めた。

 宮沢賢治の『よだかの星』だった。

 おばあちゃんがそんなことをしてくれたのは初めてで、さらに思いのほかおばあちゃんの朗読は迫力があって、私はどきどきしながら話を聞いた。

 でも、そのときの私には、よだかはあまりにも苦しいキャラクターだった。姿が醜いと言われたり、羽虫を食べることがつらかったり、よだかは何も悪くないのに、ただ優しいのに、ひどい目に遭ってばかりだった。星になるラストにいたっては、こわくて悲しくて、泣いてしまった。ただでさえ心細い夜に、おばあちゃんはなんでこの話を選ぶんだろうと思った。

 するとおばあちゃんは、大きな声で私を叱った。

 

「泣くんやない。よだかは、どんな鳥よりも美しいものになったんだ。なんでかわかるか。自分の力で必死に空をのぼったからやで!」

 

 あれは絵本ではなかった。「宮沢賢治全集」のひとつで、文庫だった。おばあちゃんはそれを何度も繰り返し読んだのだろう。表紙はもうよれよれだった。

「もう誰からも傷つけられへんし、誰のことも傷つけへん。ただみんなを照らしてる。せやからもう大丈夫なんや、よだかは」

 おばあちゃんは本に目を落としたまま言った。

 そしてそれ以上の読み聞かせはしてくれず、横になったままひとりで読書を始めた。私は話しかけるのも申し訳なく、やることもなく、いつのまにか眠ってしまい、早朝に目が覚めたら隣でおばあちゃんが寝ていたのでびっくりした。

 せやからもう大丈夫なんや、よだかは。おばあちゃんのあの声は、今でも耳の底にいる。

<第6回に続く>