累計87万部突破のベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』続編にして完結編を、「感動」で終わらせない大切さ

文芸・カルチャー

公開日:2021/9/16

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(ブレイディみかこ/新潮社)

「一生モノの課題図書」といわれ、2019年に大ヒットした『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に、このほど待望の続編『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(ブレイディみかこ/新潮社)が登場した。イギリスのブライトン在住の著者による本シリーズは、カトリックの小学校から地元の元底辺中学校に進んだ息子くん(ぼく)の「日常の気づき」を通じて、イギリス社会が抱えるさまざまな社会矛盾を考えさせられるというもの。前作では中学生になったばかりだった「ぼく」も13歳になり、バンド仲間とのいざこざ、ネットに書き込まれた悪口、進学せずに働くという友人、高校進学のためにはじまった実践的な勉強……思春期に入るにつれ、彼を取り巻く日常も少しずつ複雑なものになっていく。

 本シリーズでなによりハッとさせられるのは、「ぼく」の視線の純粋さとまっすぐさだ。前作でも貧困、移民、人種差別、ジェンダー問題など、社会がはらむさまざまな問題や矛盾を敏感に感じ取り、「どうして?」と問いかける彼の姿、そしてそれに答える母ちゃん(著者)の言葉と観察眼に大きな気づきを得たが、最新刊も同様だ。さらに「ぼく」の視線には矛盾を矛盾として受け入れようとする少し大人びたクールさ、相手の状況を配慮したセンシティブさも加わり、理想だけではうまくいかない「現実」の重みが心にぐっと刺さる。

 実は本書が指摘するイギリス社会の抱える問題や矛盾は決して私たちに関係のない話ではない。たまたまイギリスではそれが明らかに表面化しているために教育や社会制度、政治の面でもクローズアップされているが、実は現在の日本社会の根底には同じ問題が存在しており、それがはっきり見えていないだけのことだ。

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 イギリス社会のシビアさに驚かされるのは事実だが、それはイギリスのほうが日本より少し先をいっているからにすぎない。おそらく多くの人が本書でハッとさせられるのは、我々の内なるセンサーが本能的に感知している日本の危うさがはっきりと意識され、それらを幼いながら正面から捉えようとする「ぼく」の姿に刺激されるためだろう。そして薄々気がついていながら目をそらしてきた自分、そうした教育を子どもたちにしてこなかった自分を省みる。まさにティーンエイジャーのまっすぐな視線に「教えられる」のだ。

 さらに最新刊の読みどころはもうひとつある。「ぼくの成長」だ。リビングではなく自分の部屋に入っていく時間が増え、親に話さないことも増え、かつては母ちゃんの言うことに素直に反応していた少年の世界も複雑になっていく。「僕の身に起こることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる。でも、ライフって、そんなものでしょ」――そんな達観したセリフをはき、客観的に親をみつめる視線は、もうすっかり思春期ど真ん中。子どもはいずれ親離れして大人になっていくもので(むしろなってくれなくては困るが)、親としては胸を締め付けられるようなせつなさと未来への期待に不思議な感慨があるもの。本書でこのシリーズも完結というが、そんな「特別な季節」の一瞬一瞬がしみじみ染みてくる。

 それにしてもブレイディ親子のかけがえのない時間が、私たちに気づかせてくれることは多い。大事なことは、この気づきをただの「感動」で終わらせずに、自分のライフに応用することなのだろう(たとえば東京オリンピック・パラリンピックでも示された多様性・共生社会というテーマを絵空事にしないためにどうすべきだろう、なんていうのも本書が提示するテーマにもなるだろう)。まさに「一生モノの課題図書」。この先も何度も読み返すことになりそうだ。

文=荒井理恵