喉に刺さった魚の骨が取れない/岩井勇気『どうやら僕の日常生活はまちがっている』
更新日:2021/9/29
初エッセイ集『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)が10万部突破のベストセラーとなった、ハライチ・岩井勇気さんのエッセイ集第2弾『どうやら僕の日常生活はまちがっている』。前作に続き、肩の力が絶妙に抜けた「日常」を切り取るエッセイのほか、初挑戦したという小説も収録! 本書から、オススメエッセイ5本を1本ずつご紹介します。
喉に刺さった魚の骨が取れない
少し前までダイエットをしていた。太っているわけではなかったが痩せたかったのだ。30歳を超えると世の中の男の多くは、腹がたるみ出し、顔が丸くなる。結婚などしていればなおさら。〝幸せ太り〟と言えば聞こえはいいが、実際は太ること自体に幸せなどは無く、結婚生活で大幅に加算された幸せを、太ることで減らしている。なので日常生活で太っていくことは〝怠惰〟でしかないと思っている。僕はそんな怠惰な流れに逆らう思いから、ダイエットを始めたのだ。
実行したのは、とにかく1日の摂取カロリーを下げるというダイエット。1日で体が消費するカロリーに対して、摂取カロリーが下回れば自ずと痩せるというシンプルなダイエットである。つまり、あまり食べなければいい。
とは言え人はこれがなかなかできない。「食べないだけのダイエットはリバウンドする」だの「食事制限は体に良くない」だの、それらしく否定的な意見を並べては「結局食べながら痩せたほうがいい!」などと自分に言い訳をして、実行しないのだ。そうやって『朝カレーダイエット』や『ビターチョコダイエット』といった馬鹿みたいなダイエットにたどり着く。大概、食べ物の名前がついたダイエットは大嘘だ。それは総じてダイエットでもなんでもなく「ダイエットしてるから大丈夫!」と思うためだけの『気やすめ生活』である。よって、僕は『あまり食べないダイエット』を推奨する。これこそダイエットの真理だ。
ダイエット開始から1ヶ月で早くも5キロ痩せるという結果が出始めた頃、友達から食事の誘いがあった。ダイエット中ではあったが、順調に痩せているし、参加しても調子に乗って食べ過ぎない自信はあったので、食事に行くことにした。店は沖縄料理店。沖縄料理はさっぱりしていて割とヘルシーなメニューが多いので僕にとっては好都合だ。店に着くと友達3人が席で待っていた。
友達と多少のお酒を飲みながらテーブルの料理を摘んでいると、その中に沖縄のグルクンという魚を焼いたものがあった。かなり骨ばった魚である。僕は何気なくその身を箸で取り、食べた。すると食べた身の中に骨があることがわかった。しかし僕は頬張った魚の身に骨がある時に、口の中から骨を出す行為があまり好きではない。なぜなら、その行為はおばあちゃんがはっさくを食べる時に、一度はっさくを一房口の中に入れて噛んだ後、皮だけ口から出すアレと似ており、やっているのがおばあちゃんであろうが誰であろうが、この〝はっさく吐き出し〟は気持ちが悪いからだ。なので僕は大きすぎない骨であれば、歯で噛み砕いて飲み込むことにしている。
その時も、僕は大方骨を噛み砕いて飲み込んだ。するとその瞬間、喉の奥に激痛が走った。それと同時に僕は「かはっ! かはっ! うえぇっ!」と、むせ返った。グルクンの骨が喉に刺さったのだ。とっさに目の前の飲み物を飲む。しかし良くならず、食べ物と一緒に流しこもうと思い、テーブルにあったゴーヤチャンプルーをかき込んだ。すると骨の位置が変わったのか、刺さった直後よりは少しマシになった。だが、むせ返らなくなっただけで、痛みは続いている。唾を飲み込むだけでも喉の奥がかなり痛むのだ。
友達も僕が悶絶していたのを見て心配し「何か大きめの食べ物を飲み込んだら治るんじゃない?」と唐揚げを差し出してきた。僕は何故かその時、ふと自分がダイエット中だということを思い出した。唐揚げは高カロリーでダイエットとは真逆の食べ物である。魚の骨が喉に刺さったせいで、今それを食べることを勧められている。
しかし、背に腹は代えられない。僕は差し出された唐揚げを箸で取り、そのまま口に運び、半ば丸飲みした。悲しいことだ。ダイエット中、散々我慢していた高カロリーな食べ物を、痩せ切った後存分に味わおうと楽しみにしていたのに、こんな形で丸飲みさせられるのだ。人生で一番悲しい丸飲みである。悲しみの丸飲みである。心の中では泣きながらその唐揚げを丸飲みしたが、骨は取れなかった。丸飲み損だ。おばあちゃんの〝はっさく吐き出し〟を気持ち悪がらなければよかった。最悪である。
その後も喉の痛みは続いていたので、僕は携帯電話で魚の骨が喉に刺さった時の対処法を調べた。するとやはり「食べ物を飲み込むと取れる」とあったが、そこには「ご飯を多めに飲み込むと取れることがある」とも書かれていた。メニュー表を手に取り、何かご飯を使った料理がないか目を通す。すると『ジャンボおにぎり』というメニューがあった。このおにぎり、中身は沖縄で良く使われる油味噌らしい。油の味噌である。『油味噌を使ったジャンボおにぎり』など、ダイエット中の僕にとってみれば『カロリー』と言っているのと一緒だ。だがご飯を使ったものはそれしかないようなので注文し、しばらくするとその『ジャンボおにぎり』が届いた。
かなり大きい。通常のおにぎりの2・5倍はありそうな大きさだ。魚の骨が喉に刺さっている僕は、そのおにぎりを多めに頬張った。味が濃そうな油味噌も、かなりの量がおにぎりの中に入っている。そして、ろくに噛まずにそれを飲み込んだ。飲み込んだ直後にわかった。骨は取れていない。痛みは続いている。なので一口、もう一口と、僕はカロリーを飲み込んでいった。摂取したくないカロリーを摂り、味わいもせず飲み込む。僕に何の罰が与えられているのだろうか。喉に刺さった魚の骨は取れないまま、終いに僕はカロリーを全て食べきってしまった。
友達3人もしばらくすると、テンションが下がっている僕にも慣れてしまって、キツめのハブ酒を飲んだり、サーターアンダーギーにアイスがかかったデザートを食べながらはしゃいでいる。僕はその楽しそうなノリに参加する気になどなれない。何故なら魚の骨が喉に刺さっているからである。しかしながら、魚の骨が喉に刺さっている友達が目の前にいるのに、酒や甘味ではしゃぐのもどうかしている。きっとコイツらは魚の骨が喉に刺さったことがないんだろう。この世には2種類の人間がいる。それは魚の骨が喉に刺さったことのある人間と、ない人間である。魚の骨が喉に刺さったことのない人間は、得てして魚の骨が喉に刺さっている人間を見下しがちである。
僕は、喉の奥の痛みを抱えながら、魚の骨が喉に刺さっていなかった頃は良かったなぁ、などと考えていた。普段何気なく生活してきたけれど、いざ魚の骨が喉に刺さってみると、あの普通の日々は幸せなことだったんだと気付くのだ。しかしその頃にはもう遅く、魚の骨が喉に刺さっていない日常はもう戻って来ない。この先は魚の骨が喉に刺さった人生なのだ。魚の骨が喉に刺さると、それらを思い知らされるのである。
もう家に帰って寝たい。もしかすると寝て起きたら魚の骨が取れているかもしれない。そう思った僕は、友達3人に「今日はもう帰るわ」と告げた。それが恥ずかしいことだというのはわかっている。何故なら大人なのに魚の骨が喉に刺さったくらいで帰るからだ。だが魚の骨が喉に刺さったまま何をしていても楽しくないし、友達も魚の骨が喉に刺さった奴と一緒に居ても楽しくないだろう。お金を置いて店を出て、家に帰った。そしてその日は早めに寝たのだ。
次の日、早朝に目が覚めた。すぐにわかった。魚の骨は取れていない。寝てる間に取れてくれるか、どこかで骨が喉に刺さったことが夢であってくれとも思っていたが、魚の骨が喉に刺さったという事実は確実にあったのだ。その日は朝から仕事だった。仕事は嫌いではないし、むしろ好きだ。しかし、それは魚の骨が喉に刺さっていない状態でする仕事が好きなだけであって、魚の骨が喉に刺さった状態でする仕事は辛いものでしかない。むしろ、魚の骨が喉に刺さった状態で仕事をするなら、魚の骨が喉に刺さっていない状態の無職の方がマシである。
だがそうも言っていられず仕事に行き、どうにか痛みに耐えながら仕事を終わらせた。その後で、僕はもういっそのこと病院に行くことにした。
耳鼻咽喉科を携帯電話で調べて電話したが、やっていなかった。運悪く、その日は祝日だったからだ。何が祝日だよ! 人が魚の骨が喉に刺さって苦しんでる時に祝ってんじゃねぇよ! と、僕は思った。しかも海の日だったのだ。魚の骨と休診日という、とんだ海からの贈り物である。
何軒も病院を調べたが、どこもやっておらず絶望していると、一か八かの手段を思いついた。行きつけの歯医者なら骨を抜いてくれるんじゃないかということだ。早速、歯医者に電話すると「見ないとわからない」ということなので僕は歯医者に向かった。
歯医者に着くなり「どうぞ」と案内され、治療室に通される。そして先生が来て、喉の奥を明かりで照らしながら覗くと「あー。刺さってる刺さってる」と言った。そして長めのピンセットを取り出し、その骨を摘んで、引き抜いたのだ。一瞬痛みが走ったものの、今までの痛みが喉の奥からかなり消えたことに気づく。その後、先生が念入りに僕の喉の奥を見て「これで大丈夫だと思う」と僕に言った。先生のその言葉に僕は安堵した。
すると先生は「喉は大丈夫だけど、虫歯になりかけの歯があるからついでに治療しとくね」と言いながら、歯の治療を始めた。素晴らしい。ここは歯の治療もしてくれるのか。いい魚の骨抜きクリニックだ。治療が終わると、先生が「骨は抜けたけど、刺さってたところが傷になってるから、まだしばらく少しだけ痛むと思うけど2、3日したら治るから」と僕に告げた。そして僕は歯医者を後にした。
楽しかった日常が一瞬で暗い日々に変わってしまうことがある。自分は大丈夫、と思っていても、魚の骨が喉に刺さるというのは誰にでも起こりうる災厄なのだ。
そして骨が抜けた後もしばらくは気持ちが沈んでいたので、あまり何かを食べる気になれず、少し体重が落ち、僕はダイエットに成功したのだった。