狐顔の男に人生を乗っ取られた4年間/岩井勇気『どうやら僕の日常生活はまちがっている』

文芸・カルチャー

公開日:2021/9/30

初エッセイ集『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)が10万部突破のベストセラーとなった、ハライチ・岩井勇気さんのエッセイ集第2弾『どうやら僕の日常生活はまちがっている』。前作に続き、肩の力が絶妙に抜けた「日常」を切り取るエッセイのほか、初挑戦したという小説も収録! 本書から、オススメエッセイ5本を1本ずつご紹介します。

どうやら僕の日常生活はまちがっている
『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(岩井勇気/新潮社)

狐顔の男に 人生を乗っ取られた4年間

 高校を卒業して進学しなかったので、暇だった。1日6時間程度のバイトに週4、5回行き、実家暮らしだったので他にすることも無く、バイト以外の時間をダラダラ過ごしていた。

 そんなある日、暇を持て余した僕は、ふとCMで観た無料で遊べるパソコンゲームを、無料という触れ込みにまんまと誘われて、実家のノートパソコンを使ってやってみることにしたのだ。

 選んだのはオンラインのロールプレイングゲームだった。冒険をしながら敵を倒してレベルを上げてまた冒険、といったゲームなのだが、オンラインなのでゲーム画面に他のプレイヤーが存在している。一緒に戦うこともできるし、もちろんチャットを使って会話もできる。

 僕は初めてのオンラインゲームにワクワクしながら、インターネットでゲームをダウンロードしたのだった。

 パソコンにゲームが入ると、まずは自分の使うキャラクターを作る画面になる。顔のパーツも細かく選べるので、とりあえず僕に似せた目の細い狐顔のキャラクターを作った。今考えれば、ゲームの中くらいパッチリした目の男前になれば良いのに、なぜ狐顔にしたのだろう。

 作った後は、そのゲームの中心となる街からスタートするのだが、初めてのオンラインゲームの世界は新鮮だった。とにかく街を人が行き交っている。それもゲームの運営側が用意したキャラクターではなく、今まさに誰かが操作しているキャラクターなのだ。

 動きが規則的ではなく、自由に走り回っている。さらにプレイヤー同士のチャットでは「あのボスが倒せなくてさ〜」「最近、洞窟に新しいモンスター出るらしいよ」といった色んな会話がなされていた。ゲーム上に知らない人がたくさんいる。それだけで閉鎖的だった家庭用ゲームとは全く違う感覚だった。

 僕は自分の作った狐顔の男を操作して、近くの建物に入った。そこにもプレイヤーが何人か居たが、操作に慣れる為、建物内を歩き回った後、部屋の端の椅子に腰をかけた。

 すると丁度同じタイミングで隣の椅子に、甲冑を着た剣士のプレイヤーが座ったのだ。僕は、自分もこのゲームで誰かと会話してみたいと思い、勇気を振り絞って「すいません」と、ゲームの世界で初めて他人に話しかけた。バイト初日に、休憩所で同じ時間に休憩に入っている先輩に話しかける程度に心がざわついた。

 突然見知らぬ狐顔の男に話しかけられた甲冑の剣士は、僕に「?」と返した。言葉にならない返答に、若干怪しんでいるのが伝わってくる。僕は慣れないチャットで「今日このゲーム始めたばかりなんですけど、どうしたら強くなれますか?」と続けた。少しの沈黙の後、甲冑の剣士が「そりゃあ……こうやって街でぼんやり会話するのをやめて戦いに行くことだろうねぇ」と答えた。

 僕にはその一言がすごく印象的だった。なんというか、その気の利いた見事な返しに、他のプレイヤーとコミュニケーションがとれるゲームって面白いかも、とゲーム初日で思えたのだ。僕はその後23歳くらいまで、4年近くオンラインゲームを続けていたのだが、それはその言葉に面白さを感じたからかもしれない。その剣士とは、それっきり会うことはなかった。

 

 それから僕はそのオンラインゲームに熱中し、ゲーム、バイト、ゲーム、睡眠という1日を繰り返し、バイトのない休日もゲームに明け暮れた。次第にゲーム上でも知り合いができ、敵を一緒に倒しに行ったり、ゲーム内の情報を交換し合ったりと、その世界で充実した生活を送っていたのだった。

 しかし、あの頃ののめり込み方は今考えると怖いところがある。オンラインのロールプレイングゲームの多くは、やり込めばやり込むほどキャラクターが強くなるように作られている。ということは、ゲームに時間を費やすことのできる人ほど強い。

 ゲーム内の知り合いにも強い人は沢山いて、その人達は大概僕がゲームを開いた時にはそこに居るのだ。どんな仕事をしているのかは分からないが、生活の比重を相当ゲームに置いている。

 しかし、ゲーム好きという共通点のある知り合いなので気の良い人も多く、僕が1日2日ゲームをやれなかったりすれば、次にゲームを開いた時にその人たちとの会話の中で「昨日と一昨日来てなかったね、どうしたの?」などと何気なく聞いてくれるのだ。大して深い意味はないのだろうが、それが積み重なっていくと、毎日少しでもいいからあの世界に行かなくちゃ、という考えになってくる。

 そうしてどんどん生活の比重がゲームに持っていかれてしまい、その内バイトも少し減らし、睡眠時間もできるだけ削りながらゲームをするようになった。

 一番のめり込んでいた時期は、僕でいる時間より狐顔の男でいる時間の方が多くなってしまい、僕の人生は狐顔の男に乗っ取られていたのだ。挙句、睡眠時間も削っていたので寝不足の僕の目はどんどん細くなり、僕自身もより狐顔になっていった。

 僕が今でも目の細い狐顔と揶揄されるのは、狐顔の男に人生を乗っ取られていた、その頃の後遺症があるからである。昔から狐顔ではあったが、そこまで狐顔狐顔と言われるほど狐顔ではなかったので、より狐顔と言われてしまうようになったのは、あの狐顔の男のせいだろう。

 

 4年近く狐顔の男の生活を送り、僕が僕の人生をどうやって取り戻せたかというと、突如そのゲームのサービスが終了することになったからだ。つまり、ゲーム自体が終わってプレイすることができなくなることが決まったのである。

 長年その世界に居たからわかるのだが、僕がそのゲームを始めた頃より、確かにプレイヤーの人数は減っていた。プレイヤーが減っては運営が立ち行かなくなる。

 狐顔の男の生活をしていた僕は落胆した。今までいた世界が無くなる。言うならば地球が破滅するのと同等である。地球は滅び、今まで培ってきた経験や文明は消し飛んで価値を失うのだ。

 そして狐顔の男の存在も消滅する。そう思った瞬間、僕の意識は狐顔の男から離れ、僕は僕を取り戻したのだ。

 終了するまでの数週間で、そのゲームから離れていっていたプレイヤーがちらほら戻ってくる。懐かしい知り合いと思い出話をしたり、久々に一緒に冒険に出て遊んだ。

 そして、ついにその世界の最後の日がやってきた。よく遊んでいた知り合いは全員ゲームを開いていた。お互いどんな人なのか、なんの仕事をしているのか、年齢さえも知らない。しかしゲーム内の名前で呼び合うその人達にすごく親近感を覚えている。

 僕等はよく集まっていた場所で最後の時を過ごした。一番気に入っていた装備を身につけ、ゲーム内で1対1で何度も対決して全く勝てたことのなかった知り合いともう一度対決した。そして負けた。「やっぱり一度も勝てなかったなぁ」と、しみじみ話すのだった。

 集まった知り合い同士で「また違うゲームで見かけたら声かけて。同じ名前でやってるだろうから」「こんなにハマれるゲームなかったー」「まだ攻略できてない場所あったのになぁ」などと雑談していると、ゲーム終了まで残り数分となった。僕は何気なく集会所の隅の椅子に腰をかけた。そこはゲームを始めた時、座って甲冑の剣士と話したあの場所だった。

 それを思い出した時、同時にゲーム内での色んな思い出が蘇ってきた。なかなか倒せない敵を知り合いに手伝ってもらって倒したこと。自分のミスで仲間が全滅してしまい怒られたこと。ただただ雑談だけして1日終わったこと。始めたてのプレイヤーが強くなれるようにみんなで手伝ったこと。

 僕は狐顔の男としてこの世界で生活していたのだ。

 やがて、知り合いの1人が口を開き「俺はこれから仕事が忙しくなるから、もうこういうオンラインゲームはできないけど、このゲームにみんなが居てくれたから楽しかったよ」と言った。

 僕は泣いた。両目から涙が出た。自分の住んでいる世界とは違うけど、この世界は確実にあったのだ。チャットなのでわからないが、他のプレイヤーも泣いていたかもしれない。

 各々「またね」「さよならー」と挨拶をし、ついにその時がきた。ゲーム画面が止まり「長らくのご愛顧ありがとうございました。ゲームのサービスを終了しました」という文字が表示された。僕はパソコンを閉じた。これを機に、僕もオンラインゲームを辞めたのだった。

 

 あのゲームをしていた4年間のことはたまに思い出す。そして、もしまたオンラインゲームをやることがあれば、その時はまたキャラクターを狐顔にしようと思うのだった。

<第4回に続く>