忘れてしまうくらい些細な、一回きりの出会いが誰かの人生を動かしていくーー青山美智子『月曜日の抹茶カフェ』インタビュー
公開日:2021/9/26
京都、紙芝居、和菓子屋さん……
書きたいモチーフは書けば書くほど湧いて出る
――今作で、書いていてとくに手ごたえを感じたり、印象に残ったエピソードはありますか?
青山さん 突出して好きな登場人物やエピソードというのは、どの本でもあんまりないんですけれど……卯月・皐月で書いた佐知と光都の友人コンビは印象に残っています。というのも、二人が一緒に行った両国の温浴施設は、私も大切な友人と一緒に行った場所なんですよ。私は佐知のように失恋したわけではなかったけれど、「なんで人間だけ服を着てるんだろう?」って会話は、実際にその友人とかわしたもの。天井に穴が開いていて、室内で全裸で雨に打たれる、というのもそのとき体験して「あ、これいつか書きたい」って思ったんですよね。それがこんな形で実現して嬉しかったですし、今作のなかで最初に書きあがったのも卯月のエピソードなので、始まりの一話という意味でも印象深いです。
――光都の職業が、紙芝居のパフォーマーというのもおもしろいですね。
青山さん 昔、マーブル・カフェのモデルとなった喫茶店で、紙芝居イベントをするおじいさんがいたんですよ。それもいつか書きたいと思っていたのが、結びつきました。葉月の章で書いた「下鴨納涼古本まつり」でも紙芝居イベントを毎年やるらしいんですが、そこでは登場させられなかったなあ。いつか、もっとちゃんと書きたいな、って思います。小説って、書けば書くほどテーマが湧いて出てくるので、不思議ですね。
――そして光都の実家が京都で老舗の和菓子屋さん。私は、彼女の祖母・タヅさんのエピソードが好きでした。ほっこりおばあちゃんじゃないところも、いいですよね。伝統を守り続けてきたゆえに、孫にも非常に厳しく、かくしゃくとしていて、素直じゃない。
青山さん 京都をもうひとつの舞台にしようと書き始めて気づいたのは、私が京都弁をまったく知らないということで(笑)。こばやしあきこさんという方に監修していただいたんですけど、彼女に、タヅさんがまさに京都人を体現している、というような感想をいただいたのが嬉しかったです。プライドが高くて、言葉もきついんだけど、情に厚くて、心は誰よりもふくよかだという。それを聞いて京都がますます好きになってしまったので、京都が舞台の作品もまたいつか描くと思います。
――親の心子知らず、ではないですけれど、光都もタヅさんも、そしてお嫁さんたちも、それぞれ愛情は深いのに微妙にすれ違うのが家族だなあという気がしました。あと、理沙とひろゆきもそうですが、喧嘩したあと仲直りして大団円!ではなく、「実はあのとき……」という相手の想いをなんとなく汲みとって、言葉にはしないけど向きあい方を変えることで、関係性も良い方向へ培われていく、というのが好きです。そういう登場人物たちの姿を通じて、読者はほんの少し、世界の見方を変える力をもらえるのかもしれないな、と。
青山さん うれしいです。私、めちゃくちゃネガティブで被害妄想も激しい人間なんですよ(笑)。相手が機嫌悪そうだと「私のせい?」と思ってしまうし、すぐに嫌われたんじゃないかと心配してしまう。1話の美保ちゃんが抹茶カフェの若旦那のぶっきらぼうな態度にしょんぼりしていた、みたいに。でも、実際は若旦那のようにただ緊張していただけかもしれない。おなかがすいているだけかもしれない。そんなふうに発想を転換することを、選択肢のひとつとして覚えていたら、ちょっとはラクになるかな、って。嫌われた、と一度思ってしまったら、真実がどうあれ、その人にとっては一生嫌われたままの人生になってしまう。そんなの悲しすぎるから、「もしかしたら」と視点を変えてみることは大事かな、と思います。
私たちはみんな未完成だからこそ、
歩む道を選んでいける
――1話で美保が抹茶カフェで言った〈スマホって、そもそも最初から最後まで未完成なんです〉という言葉は、本作の肝ですよね。〈どんどん変化していく環境に適応していくために、スマホもちょっとずつマイナーチェンジしていく必要がある〉。この小説に登場する人たちもみんな、大成長は遂げていないけど、その人なりにマイナーチェンジをしている。前進ではなく、横道にそれただけかもしれないけど、それはその人にとって偉大なる一歩だ、っていう。
青山さん 実は、私の頭にあったのはコロナ禍のことだったんです。新しいウィルスが出てくる、電波状況が安定しないとか、スマホについて書いたけれど、それは同時に今の私たちのことだなと思っていて。もちろん専門家が、状況をよくするために、ウィルスを撃退するために、日々がんばってくれてはいるんだけれど、私たち個人がスマホの不具合をどうすることもできないように、今の私たちは状況をひどくしないように気をつけながら、やり過ごしていくことしかできない。そういう苦難を乗り越えるために必要なのは、抗ったり戦ったりすることだけでなく、柔軟性なんじゃないかと思ったんです。
――柔軟性というのは、先ほどおっしゃった、視点を変える、ということ?
青山さん そうですね……。未完成であるということは、ひとつの強みでもあると思うんです。たとえば、炊飯器がどれだけ優れた機能をそなえていても、それで完結された商品はテレビを観たり音楽を聴いたりすることはできないでしょう? 用途の決まった完成品の美点や利点はもちろんあるけど、それ以外の何者にもなれない、という弱みでもある。私たちは未完成であるからこそ、道を選ぶ自由を与えられているし、アンラッキーだと思っていることを、ラッキーに変える力も持っているんじゃないのかな、と。そのために必要なのは、攻めの姿勢よりも受け身をとる方法かもしれない、って思います。物事を受け入れていく柔らかさ、というのかな。
――たしかに青山さんの書く小説は、闘って何かを乗り越えようとするのではなく、自分なりの方法でいなしていく方法を見つける、ということが多い気がします。
青山さん 私自身、闘うことがあまり得意なタイプじゃないんですよ。もちろん、ときには気合を入れて立ち向かわないといけないこともあるんだけれど、闘うための力を誰もがそなえているとは限らないし、闘うことで生まれる周囲との軋轢や、誰かを傷つけてしまうかもしれないことを、見過ごせない人だっているでしょう。道徳を説くつもりはないし、どうするのが正しいかなんて誰にもわからない。わからないからこそ、まずはちょっとだけ体の向きを変えてみるといいんじゃないかな、って思います。そうすると「こっちの道ならまだ進みやすい」っていう新しい景色が見えるかもしれないですし。
――そうして進んだ先で見つけた人との出会いが、また新しい道を切り開いてくれるかもしれない。
青山さん そうだといいな、ということの積み重ねですよね、人生は。本屋大賞をきっかけに私の小説を読んでくださる方が増えて、ポプラ社さんは(『お探し物は図書室まで』に)読者はがきを挟みこんでいるので、SNS以外でも感想を目にする機会があるんです。下は小学生、上は90歳近い方まで、男女問わず幅広く読んでいただけて本当にうれしいんですが……ときどき「明日も生きようと思えた」というような、切実なお言葉をいただくこともあるんです。誰かに生きる希望を与えられるような小説を書きたい、なんていうのはおこがましいし、私はただ、自分が書きたいと思う小説を書いているだけだけど、日々を懸命に生きている人たちがふとくじけそうになってしまったときに、もうちょっと頑張れるかもしれないって思えるような作品になれているとしたら、本望です。
――とくにこのコロナ禍で、青山さんの小説に支えられる読者は多いと思います。
青山さん 今、みんな、本当にがんばっているじゃないですか。自分には何もない、何もできていない、ってつい思ってしまうけど、生きているだけでえらいよ、今日を生き延びただけで自分をほめてあげよう、って心の底から思います。
――〈一番素晴らしいのは、遠いところで手を繋いできた人たちが、自分がどこかで誰かを幸せにしてるかもしれないなんてまったくわかってないことだね〉というマスターのセリフがありました。忘れてしまうくらい些細な出会いに自分が導かれることがあるように、自分も知らないうちに誰かの力になっているかもしれない、というのはきっと、生きる希望になると思います。
青山さん マスターはちょっといいこと言いすぎたけど(笑)、でも本当にそうですよね。本屋大賞2位になったことで、私の名前を知っていただき、作品にも一斉重版がかかり、本当にありがたいと思う一方で、作家と読者はひとつの作品を通して常にマンツーマン、一対一なんだ、ということを忘れずにいたいな、と思います。どんなタイミングでどの作品を手にとっても、読者一人ひとりにとって大事な出会いとなるような作品を、これから先もずっと書き続けていきたいです。