爆弾/小林私「私事ですが、」
公開日:2021/10/2
美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。
「知らない人と話すのが怖い。」
こういった方は無数にいるだろう。
私も同様に知らない人と話すのが怖い。いわゆる人見知りだ。(本来は子どもに使う言葉らしいが)
何にせよ見ず知らずの人間と会話をすることがあまりに恐怖である。
見知った間柄の相手でさえ、私はその人の目を見て話すことが出来ない。
これらは単に私が内気だからなのだろうか。今回は自分のこの性分について考えていく。
初対面の人と気軽に話せる友人Mの話をしよう。
Mは帰省中、見ず知らずの中年男性に最終的に2万円を渡してしまったのだ。
事を要約すると、
駅周辺風景の写真を撮っていると中年男性が現れ、「手伝いましょうか」と言われる。
私であればその時点で恐らく無視をしてしまうだろうが、Mはにこやかに「大丈夫です。」と断りを入れた。
しかし中年男性はその場を離れず、Mに付き纏う。何かと思いMが話を聞くと、
「東京からの観光で来ていたが、持ち物全てスられてしまい、4日間何も食べられていない。」
とのことだった。不憫に思ったMはコンビニでおにぎりとお茶、飲食店で定食を奢り、
果ては帰れるようにと約2万円の新幹線のチケットまで買い与えた。
M自身裕福なわけではなく、チケット代も帰省中に親族から貰った小遣いの殆どだった。
Mの周囲の人間は恐らく寸借詐欺だったのではないかと言った。
…
この話をして、私は別に「ほら見ず知らずの人間と話すとこういう損をするのだ」と言いたいわけではない。
中年男性が悪人であろうとなかろうとMが約2万円を失ったことに変わりはないし、仮に詐欺でも本人が納得していればそれでいいのだ。
私が真に恐ろしいのは、仮にその中年男性が本当に困窮していて、無事に帰宅をし、Mに礼をしにくることだ。
「あの時はありがとう」と連絡をとってくるかもしれない。私はそれが怖いのだ。
仮にMが私だった場合、その中年男性からの礼を「どういたしまして」とにこやかに受け取れるだろうか。
無理だ。
一度きりの付き合いを二度してしまうとその点は線で繋がってしまう。
その中年男性から一生感謝されるかもしれない。
一度連絡をとったことで、また何か連絡をしてくるかもしれない。
その中年男性に家族がいたら、家族まで訪ねてくるのでは?
私はその関係性に、一切の責任が取れないのである。
私は他人を手助けすること自体は大してどうとも思わない。手間だなあと思えばそもそもやる義務はないのだから。
ただ自分が手助けをしたことで仮にその相手が感謝をしてくるとする。
あなたが同じ立場ならどうする?「いえいえ、どういたしまして」だろう。
私はこれが凄まじく嫌なのだ。全く伝わっていない気がするので別の例を挙げよう。
スーパー(どこでもいい)で子連れの客がいる。その子どもははしゃいで、走って、私の目の前で転ぶ。
私はそれを起こしてやると、走り去った子どもを探していた母親(どっちでもいい)が来てこう言う。
「どうもすみません」
あなたなら?
「いえいえ、どういたしまして」
嫌すぎる、想像するだにゾッとする。
書きながら自分でも不思議に思っている。
私だってそんなん別にええやろとさえ思うところもある。
でも嫌なのだ。
私は人よりも感情の起伏が外に出ないしそもそも起伏自体大人しい。
だからなのか、他人の感情のボーダーが全くと言っていいほど分からない。
今これを読んでいるあなたも私のこの気持ちが分からないと思い、気持ち悪いと思い、「なんだってそんなことで悩むんだ」と思っているかもしれない。私は他人と接する時ずっとその状態なのだ。
特に怒り。生きていて対人で怒ることがない。最後に怒ったのはいつの何なのか全く思い出せない。
仮に腹の立つことがあっても怒れないと思う。常に許せる口実を探している。
でもみんながみんなそうではない。
ああ、他人は爆弾なのだな、と今ようやく少し腑に落ちた。
友人も恋人ももちろん爆弾だ。ただその解除方法をなんとなく知っていて、相手も私という爆弾の対処をなんとなくきっと分かってくれている。私だから爆発せずに済ませてくれいていたことも多々あるだろう。
ただ見ず知らずの人間は違う。最も起爆スイッチを知らず、故に最も起爆スイッチに近付ける。
それは怒りだけでなく、あらゆる感情の爆弾だ。
私は私の行動で誰かを爆発させてしまうのが怖い。
そして気軽に新しく爆弾を抱え込む勇気もないのだ。
他人はただ電車やスーパーなんかで同じ空間にいる分には爆発しない、会話をすることでボーン。と爆発する爆弾だ。
それで痛みを被るのは自分なのか相手なのか、きっとどちらも。
私にとって他人と仲良くなることはすなわちその爆弾の責任の一端を負うことなのだ。
見ず知らずの人間との会話は、どこにあるのかも分からない起爆スイッチを探ること、そして探られることだ。
自分が爆発してしまうかもしれないスイッチの上を、そうとも知られずになぞられる状態は、確かにぞくっとする。青痣をなぞられるそわそわ感に似ている。
もしかしたらこの記事は、友人や恋人にいつもありがとうと言う為のものなのかもしれない。
そしたらこう返されそうだ。
「いえいえ、どういたしまして」
ボーン。
こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタートし、2020年6月に1st EP『生活』を発表。シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信し、支持を集めている。6月30日、デジタルオンリーの新作EP『後付』(あとづけ)を発表。表題曲の“後付”は、今秋公開予定の映画『さよならグッド・バイ』の主題歌になることも決定している。また、5月に配信オンリーでリリースしたEP『包装』が、“サラダとタコメーター”(Acoustic Ver.) をボーナストラックとして追加、タワーレコード限定で発売中。
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