なぜ、つげ義春は特異なのか? 夢を作品化するという難題を形にした、幻想と怪異の世界
公開日:2021/9/30
伝説の作家として語り継がれるつげ義春の『つげ義春 幻想怪異奇譚集成』が双葉社より発売された。タイトルどおり幻想と怪異をテーマに、貸本時代から70年代にかけての短編を集めたアンソロジーだ。
幻想と怪異というと、ダークファンタジーを想起する人もいるかもしれないが、つげ義春のそれはひと味違う。モンスターや妖怪が登場する類の怪異ではなく、日常の狭間に現れた奇妙な異世界に迷い込んでしまったかのような怪異なのである。そして、その感覚が妙に生々しく記憶に残ることが、つげ義春作品の特異な魅力だと思う。
つげ義春作品は、ずいぶん昔に読んだ短編の一場面が、不思議とずっと心に残っている。本書にも筆者が昔読んで脳裏に焼き付いていた場面がいくつかあり、自分の記憶と再会するような思いだった。たとえば、収録作品「夜が掴む」で夜が生き物のように部屋に侵入してくる場面や、「必殺するめ固め」で妙な技をかけられた男が無様な格好で地面を這いずりまわる場面など、感覚的なものとして記憶に残っているのだ。
とりわけ「ヨシボーの犯罪」の一場面が強く印象に残っている。少年が雑誌から水着姿の女性をピンセットで抜き出し、モリモリ食べてしまうという場面だ。この後、二次元の女性を殺してしまった罪の意識に苛まれる少年は、血の付いたピンセットの隠し場所を求めて町をさまよう。しかし、次第にその目的はどうでもよくなり、古民家を見つけたことに満足して、あっさり話は終わるのだ。この脈絡のない展開、どこか心当たりがある。そう、夢の中の感覚だ。
夢の中で私たちは、得体の知れない不安や焦燥にかられて右往左往するが、夢の中だからどうすることもできない。そのうち脈絡なく場面転換し、まったく別の気持ちになっていたりするのが夢というものである。つげ義春作品は、そんな夢の中の感覚を想起させる。つげ義春の代表作の一つ「ゲンセンカン主人」にしても、主人公の男が温泉宿の女将に突然欲情し、一転してエロティックになる展開など、理性のタガが外れた夢の中の展開を思わせるのだ。
つげ義春は、昭和43年から昭和62年までの「夢日記」を文庫本などで発表している。夢で見たものをいくつか絵にしていて、それがまさに本書収録の「外のふくらみ」や「必殺するめ固め」の一場面なのだ。このことからも、つげ義春が夢から着想を得ていたことがわかる。
自分が見た夢を人に伝えるのは、非常に難しいことだと思う。まして、人からすると他人の夢はたいして面白いものでもない。つげ義春の稀有な才能とは、この夢を作品化するという難題を形にしてみせたことにあるだろう。ギリギリ人が理解しうる程度に脚色は加えているだろうけど、それよりも夢の生々しさを描き出すことに重点を置いていたように思う。筆者の記憶にずっと残っているのも、その生々しさを感じ取ったからかもしれない。
どこかにありそうな世界に見えて、微妙に理性のタガが外れた異世界――。それがつげ義春が描き出した幻想と怪異の世界だ。それは、夢の中の感覚と限りなく近いものであり、初めて読む人も「こんな夢、見たことある」といった既視感を覚えるかもしれない。ぜひ本書でつげ義春が描き出した、現実と夢の狭間にある異世界を感じ取っていただきたい。
文=大寺明
(c)つげ義春