黒柳徹子はMC界の鹿島建設、関ジャニ∞村上信五は岐阜羽島駅!? 名MCを、古舘伊知郎が分析!
更新日:2021/9/30
古舘伊知郎は“面倒臭い人”である。目の前で起こったことを独特な形容と言い回しで表現した上に言葉を重ねに重ねて、過激に、過剰にしゃべり続けるのが「古舘節」だ。この手法が生まれた1980年代のプロレス中継では古参ファンから「うるさい!」と言われ、当時所属していたテレビ朝日のアナウンス部長に叱られながらも、自分の中から湧き出てくる言葉を信じて無視し、自身のスタイルを確立したという。それは後に担当した1990年代のF1グランプリの中継でも炸裂。こちらも古参のファンから「うるさい!」と言われながら、頑なに自身のスタイルを貫いた。
若い方は2004年から2016年まで出演していた『報道ステーション』での落ち着いた雰囲気のメインキャスターであった古舘氏しかご存じないかもしれない。しかし古舘氏の本当の面白さは、過剰さや面倒臭さにあるのだ。何か事が起きて「お~~~~~っと!」という感情の迸りとともに飛び出したのは「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「一人民族大移動」「四次元殺法」「音速の貴公子」「納豆走法」「フランケンシュタイン型走法」「妖怪とうせんぼジジイ」といった言葉だった。字面だけ見ると「なんだこりゃ?」と思うかもしれないが、これぞ古舘節なのである。
その古舘伊知郎氏が最大限に面倒臭さを発揮しているのが、今回ご紹介する著書『MC論 昭和レジェンドから令和新時代まで 「仕切り屋」の本懐』(ワニブックス)だ。昭和の時代から令和まで、テレビ等で活躍した司会者、そして近年ではMC(Master of Ceremonies=マスター・オブ・セレモニーズ)と呼ばれる人たちについて観察&分析、紙上での格闘戦を行っている。
本書は大橋巨泉、タモリ、明石家さんま、笑福亭鶴瓶、黒柳徹子という昭和のレジェンドから始まり、とんねるず、ダウンタウン、今田耕司、爆笑問題、中居正広、加藤浩次、上田晋也、田村淳、有吉弘行、山里亮太、村上信五と平成から令和へと時代が流れていく。さらに新たなMCのあり方を創出した関口宏、みのもんた、逸見政孝、小倉智昭、羽鳥慎一、安住紳一郎、石井亮次について論考を重ねていく。従来の司会像をぶっ壊した“なんでもあり”な大橋巨泉は「テレビ界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」、黒柳徹子の用意周到に構築された情報をして「MC界の鹿島建設」と形容し、村上信五は「MC界の岐阜羽島駅」という独自表現でその凄みを説明している。他にも「50メートル8コースのプールの監視員」「司会ガンジス川」など随所で古舘節が炸裂しているので、どうぞお読み逃しのなきよう。
古舘氏は本書の冒頭で、現在ではMCにもボケとツッコミがいて、女性アナウンサーが進行をするなど分業体制となり、責任を分散化する時代に入った、つまりそれは「集団進行体制と群像化したMC」であり、ひとりで何でも取り仕切る時代ではない(ひとりでやるのはYouTubeにしか存在していない)と指摘している。そして「僕のように長くしゃべるMCは絶滅危惧種になっていく」とも書いている。しかし第一線で活躍するMCたちをじっくりと観察し、その手法を丁寧に腑分けして古舘節で斬りながら、同時に羨望の眼差しも向けられているのだ。もうそれはジリジリするくらいに! さらに現代のテレビにも苦言を呈し、その未来を憂う発言もしているが、それは古舘がテレビを愛するがゆえである。普段何気なく見ているMCだが、古舘解説によってその凄みと特色を知り、改めてテレビを見ると各形容の意味合いが理解できるだろう。
そして古舘氏のしゃべりの凄さは、2020年に開設したYouTubeチャンネル「古舘ch」で、ひとりで数時間しゃべり倒す舞台「トーキングブルース」や、【戯言】と称して目に入ってきたものを描写し、自身の感情をも吐露するという荒業のような実況(首都高や歩道橋階段昇降などシチュエーションは様々)をぜひご覧頂きたい。見れば「なぜ面倒臭くて面白いのか」がよーくわかるはずだ。古舘氏は先日『あちこちオードリー』(テレビ東京系)に出演し、「“もうダメだ、あのクソジジイ”と言われるまでやって死んでいこうと決めました」「しゃべり続けながらコトッと死ねたら最高」と言い切っていた。これこそ「仕切り屋の本懐」である。
文=成田全(ナリタタモツ)