「脳内トラベル台湾」トークイベントで、作家・乃南アサさんが語った“ユニークな台湾取材エピソード”とは?
更新日:2021/10/19
「コロナ禍で自由を奪われた今、台湾の書籍や雑貨を通して現地の空気に触れ、まるで台湾旅行をしているかのような気分を味わってほしい」――そんな思いから、TAICCA主催のもと企画されたイベント「脳内トラベル台湾」。9月25日(土)に、誠品生活日本橋で行われたトークライブ(オンライン配信)にゲストとして登壇したのは、台湾通で知られる作家の乃南アサさん。コロナ禍になる前は、年に10回は訪台し、台湾についての書籍を4冊も刊行されている乃南さんだが、そこまで台湾への思いが高まったのはなぜなのか。取材エピソードを端緒に、乃南さんの「脳内トラベル台湾」のイメージ、お薦めの台湾書籍についてうかがった。
(取材・文=konami)
東日本大震災の多額の義援金に対する感謝の気持ちを伝えたくて――。台湾との交流を促進するために社団法人を設立
乃南アサさんが初めて台湾に行ったのは、今から20年前の2001年。小説の取材で故宮博物院が目的の訪台だった。
「とてもハードなスケジュールで、“ホテル→博物院→ホテル→博物院、終わり”みたいな旅でした」
その後も何回か取材で台湾を訪れたが、常に時間に追われながら目的地だけを目指し、ときには一泊のみで帰国することもあったという。そんな乃南さんが台湾という国に大きく興味を持ったのは、東日本大震災がきっかけだった。
「台湾の方々がとても心配してたくさんの義援金を送ってくださったのに、国交がないから政府からは正式なお礼もできない。ならば、民間レベルで感謝の気持ちを表すことはできないだろうかと、知人たちと『一般社団法人 日本台湾文化経済交流機構』を立ちあげました。今でこそ、台湾に関するニュースは日本でもよく流れますが、当時は“台湾と中国の違いがわからない”とか“台湾とタイの違いがわからない”とか、そういう方も多かったんです。私はもっぱら文化担当ということで、台湾でいろいろな方にお目にかかったり、お話をうかがったり、ということをしています」
そうした交流を通して、乃南さんはこれまでに4冊の台湾に関する書籍を執筆。なかでも『ビジュアル年表 台湾統治五十年』(講談社)は、国立台湾歴史博物館の全面協力を受け、地図や写真や絵などの収蔵資料をオールカラーで贅沢に掲載、台湾が日本の統治下にあった50年(1895~1945年)の歴史を、日本と台湾双方を同期させて辿れるようになっている。
「国立台湾歴史博物館にうかがって収蔵品を見せていただいたとき、日本統治時代の灯火管制されているときの黒く塗られた電球など、日本で見たことのないものがたくさんあって。そうしたものを拝見しているうちに、日本でこういうことがあったときに台湾ではこんなことになっていたとわかる本があったらいいなと。でも探しても見つからないので、じゃあ自分で作ろうと思ったんです」
道草しながら、地元の人と仲良くなって、取材先を開拓
そんな乃南さんに、「コロナ禍が収まって、ふたたび台湾旅行が叶ったときにまっさきに訪れたい場所は?」と尋ねたところ「台南です」と即答。
「台南、好きなんです。台南は、日本でいうところの京都によくたとえられる都市。日本統治時代の古い街並みを見たいという思いがあって……。初めて行ったとき、新光三越に食後の夕涼みで立ち寄ったのですが、私は同行者から離れてその周りを一人で散歩していたんです。そうしたら、通りの向こうに大きなガジュマルの木があって、その向こうに古い日本家屋が並んで見えた。通りを渡ってよく見たら、塀で仕切られていたんですが、まちがいなく日本の木造家屋で。地元の方にうかがったところ、新光三越のある場所は、日本統治時代には監獄があったところで、日本家屋は、その監獄に勤めていた日本人が住んでいた官舎跡だということでした。『私はこういう、普通の日本人が暮らしていた場所を見たいんです』とお願いして、台南のあちこちを案内していただくようになりました」
このときの様子は『美麗島紀行』(集英社)の第一章「時空を超えて息づく島」の中に詳しく綴られている。本書を読むと、乃南さんが本当に台湾のいろいろな場所に赴き、いろいろなものを食べ、いろいろな人に会っているのがわかる。
「私は中国語ができないし、あちらも良かれと思って案内してくださるのですが、ときには“なぜ?”と思うような場所もあって。たとえば、生け簀で魚を養殖しているところとか、台南の皆さんのソウルフードと言われている“サバヒー”(虱目魚)で財を成したサバヒークイーンという女性が建てた“サバヒー御殿”とか。サバヒーって子どもが描いたような、とてもシンプルな形の魚なんですが、そのぬいぐるみが天井からピラピラいっぱい下がっていて、サバヒーの缶詰とか、食品とか、お化粧品とかが展示されていて、サバヒーの歌が流れている、そんなところでした。サバヒーアイスも食べましたが、私はダメでしたね(笑)」
「好奇心だけは強いので」と語る乃南さんは、街歩きの途中で知り合った人ともすぐに仲良くなって、その人たちの伝手で取材先を開拓している。
「台南の街をぶらぶら歩いていたときに、パラソルを置いて出店みたいなものをやっている青年と知り合って、話をしているうちに仲良くなって。次の日、古い時代の台湾のものを扱っている本屋さんに連れて行ってもらったり、街を案内してもらったりしました」
そうやって知り合った人の実家にうかがうこともあるようで。
「とてもフレンドリーに“うちでご飯を食べませんか?”と誘われると“ありがとうございます”って行っちゃうんです。またあるときは、青光りするヘルメットに真っ黒いサングラスで日焼けした大きいおじさんがバイクに乗って近づいてきて。私は台湾人の友達と2人で歩いていたんですが、彼女が、そのテラテラ光ってるおじさんと話をしたら“日本語を喋れるおじいさんがこのそばに住んでいるから連れて行ってあげるよ”ということで。私はもうビビって逃げそうになっていたんですが、その見た目だけ怖いおじさんに、日本統治時代に軍で働いていたご高齢の方のお宅まで連れて行っていただいて青春時代のお話をうかがったこともありました」
編集者同行の旅になると、移動型のハードスケジュールになるそうだが、乃南さん個人で行くときは、とくに目星をつけずに旅をすることが多いという。
「私は毎日宿を移るっていうのが嫌いなんです。全部パッケージし直してチェックアウトしてっていうのが苦手で、なるべく一箇所に長くいたい。“今回は台南”ってなったら、台北に一泊してそのまま台南に直行して帰るまで台南にいる。これまでお話ししてきたように、私はめちゃくちゃ道草を食うタイプなので、絶対時間が守れない。編集さんが一緒だとそれが許されなくて“時間です”って、切られちゃう(苦笑)」
こんなふうに道草しながら歩いて取材先を発掘している乃南さんに、「脳内トラベル台湾」という言葉から思い浮かべるイメージをうかがうと――。
「一番浮かぶのは亭仔脚(ていしきゃく)ですね。台北に行っても台南に行っても、どこかの古い路地を歩いていても、必ず亭仔脚が残っていて、それによって街並みができていたりして、時代を感じます。やたら段差があって、九官鳥がいっぱい並んでいたりもするんですよ」
亭仔脚とは、屋根付きの歩道(アーケード)なのだが、構造的には、道路に面して軒を連ねている建物の1階の一部分を奥に引っ込めて、それを歩道として開放しているもの。これも日本統治時代の名残で、この亭仔脚のおかげで歩行者は、雨や強い日差しから守られている。段差があるのは、それぞれの建物の床の高さが異なるからで、九官鳥が多いのは店先に鳥かごを置いている感覚だ。
「バリアフリーだったらどんなにいいだろうと。すごく優しい造りなんですが、段差のために、実は歩きにくい。台湾には、みんなのことを考える優しさとともに、ウチはウチだからというマイペースなところがある。亭仔脚を歩いていると一番はっきり感じますね」
台南に行くと、「膝が腫れるほど歩く」という乃南さんが頼りにしている地図がある。
「台南には、日本統治時代の道路と最近になって造られた道路と日本統治時代の前の清朝時代の石畳が残っていて。そこには車も入れないし、もしかしたら自転車も通れないような細い路地で、それが血管のように通っているんです。そんな路地を大丈夫かな、行けるかなと覗いていると、小さくカフェって看板が出てたりして、そういうところに潜り込むのが結構好きだったりします。私の持っている地図は偉くて、3時代の道が1枚の地図に色分けされて載っているんですよ。これはさきほどの出店をしていた青年に連れて行ってもらった本屋さんで買いました」
小説『六月の雪』で、地図を見ながら、脳内トラベルしてみよう
『六月の雪』(文藝春秋)は、声優になる夢を諦めた32歳の未來(女性)が祖母の故郷である台南を訪れ、そこで出会った人たちとの交流を通して台湾の歴史、祖母の人生に触れていく物語。こうしたストーリーにした背景を乃南さんにうかがうと――。
「ひとつには湾生という人たちの存在ですね。日本ではあまり知られていなかったと思いますが、戦前の台湾で生まれ育って、敗戦と同時に日本に引き揚げてこられた、台湾生まれの日本人のことを湾生というんです。戦後、海外から引き揚げてきたということでは、満州や朝鮮半島からの方々もいらしたんですが、湾生の方々には、独特の郷愁と、あの頃の台湾に帰りたいという強い思い、そして、南国生まれならではのあまやかさ、そういったものをお持ちの方がすごく多いように感じられて。それで、どこかで一度、湾生について書いておきたい気持ちがありました」
〈社団〉の活動の中で湾生の方にお話を聞くことも多かったそうだが、それに加えて、当時の担当編集者の母親が湾生だったことも大きいという。
「その方のお母様は、『六月の雪』の主人公が訪ねて行く学校のご出身だったんです。編集の方と台南を訪れたときに、ぜひとも母の母校を見てみたいと、一緒に学校を訪ね歩いたことがありました。そうした経験から、湾生の方の思いだけでなく、湾生のお子さんの思いも書いておいたほうがいいように感じられて、それをテーマにしました」
未來は、大学教授をしている父のもと教え子の台湾人の女性や彼女の友人たちとともに、祖母が生まれ育った家を探すために、台南のさまざまなところに出かけていく。手がかりは台南時代の祖母の記憶。乃南さんの描写はとても丁寧で、読んでいると、未來とともに台南各地を訪れたような気分にさせられる。実際に乃南さんが歩いたり、自転車やバイクや車で移動したりした道が小説の中で描かれているという。
「本当の地図の上をなぞっているような感じがあるんじゃないかなと思います。私の経験したことや感じたことを『六月の雪』には反映させていますが、唯一違うのは、私が主人公と違って、ある程度の予備知識があったうえで旅をしていたこと、だから、その受け止め方は異なりますね。それから、タイトルになった『六月の雪』といわれている欖李花(ランリーファ)の咲く界隈が旅の最初の場所だったんですが、案内してくださった方が『今、全部緑に見えているこの林は、真っ白い花が咲くんですよ。僕たちはそれを「六月の雪」と呼んでるんです』というふうに言われたこともすごく印象に残っていて、そういうことがモザイクのようにちょっとずつ合わさって小説ができた感じですね」
まさに脳内トラベルにうってつけの本である。