「そういえば、あれって見なくなったよね」が満載! 絶滅した昭和・平成のモノとコト
公開日:2021/10/16
かつて当たり前だったものが、現在では影も形もない。数十年も生きていれば、1つや2つ、いやそれ以上あるだろう。
そんな1970年代~1990年代に一世を風靡し、絶滅してしまった(絶滅しそうな)モノ・コトを紹介しているのが『絶滅事典 20世紀末モノ&コトカタログ』(造事務所:編著/カンゼン)だ。
本書で紹介されているモノ・コトは300にも及び、それぞれ絶滅度を、編集部がC~Sに区分している。本稿では気になったものを独断と偏見で、絶滅度とともに4つ紹介したい。
絶滅度:C「不幸の手紙」
「この手紙と同じ文章で、あなたの友人○人に出さないと不幸になる」。そんなショッキングな内容が書かれている“不幸の手紙”。学校の怪談や心霊現象が流行っていた小学生のころ、不幸の手紙も話題になっていたことを思い出す。
時は流れ、2000年代。中・高生になると不幸の手紙も進化。友人から不幸の手紙ならぬ、“不幸のチェーンメール”が転送されるように。手紙であれば、怨念のようなものがこもっていそうなものだが、メールとは何とも味気ない……と中学生ながら思ったものだ。
本書によれば不幸の手紙のルーツは、なんと中世ヨーロッパ。大正時代の日本では「幸福の手紙」という形で流行し、1970年代には幸福から不幸へ変わっていったのだとか。さて、現代にもこの風習は残っているのだろうか。令和版ならばLINE、あるいはTwitterのリツイートだろうか。など、考えを巡らせてみるのも面白い。
絶滅度:B「使い捨てカメラ」
コンビニで手軽に買えて、旅行の定番アイテムだった「使い捨てカメラ」。これも最近では見なくなってしまった代物だ。
今でこそ、写真はスマホ一台で事足りる。だが、スマホやデジカメが普及する前はコンビニやスーパーで使い捨てカメラを買い、カチカチカチとフィルムを回して撮る(そして、手ブレする)。これが当たり前だった。
撮影枚数が決まっていたことも懐かしい。無駄な写真を撮らないよう、気を付けていればいるほど、シャッターチャンスを逃し、結局何枚も余って旅行から帰ってくる。そして、友人同士でどうでもいい写真を撮った大人たちは多かろう(そして、手ブレする)。
近年、フィルム独特の光の写り具合や温かな質感が手軽に楽しめると、若い世代から注目を集めているという使い捨てカメラ。今は、使い捨てカメラで撮った写真をスマホにデータとして送ることもできる。令和時代でも使い捨てカメラは活躍してくれそうだ。
そういえば、「焼き増し」という言葉も使わなくなったなぁ……。
絶滅度:A「アベック」
フランス語で「一緒に」を指す“アベック”。かつては、「男女2人組」「恋愛関係の男女」といったカップルの意味合いで使われていた。
この言葉が使われていたのは、本書によると1960年代から80年代にかけて。私が幼少期を過ごした90年代にはすでに死語となっていた。
だが、当時はプロ野球ニュースで“アベックホームラン”という言葉で耳にしていたため、意外と耳なじみはある。ちなみにアベックホームランとは同じチームの選手2人が揃ってホームランを打つこと。今ではこちらも聞かなくなった。
絶滅度:S「ミニディスク(MD)」
音楽を再生する機械は時代によって様変わりしてきた。レコードやカセットテープ、コンパクトディスク(CD)、デジタルオーディオプレイヤー、そして忘れてはならないのが、本書の絶滅度Sにランクされているミニディスク(MD)だ。
MDとは、CDよりも小さなディスクをプラスティックで保護した64mmサイズの媒体。カセットより薄く、CDよりも小さい。容量は60分や80分であったが、「LP」というモードならば2~4倍、つまり120分~320分も録音することが可能だった。当時はまさに革命!「わざわざディスクを入れ替えないで長時間音楽が聴けるなんて最高かよ」と思った次第だ。
2000年代初頭、このMDが一大勢力を誇っており、専用のプレーヤーやコンポが続々登場。当時、中学生だった私は数万円する再生・録音機器が欲しくてたまらなかった。
だが、時代の流れとは残酷なもの。10年もすればiPodをはじめとする新世代プレーヤーが登場。MDに挽回の余地はなく、2011年には生産終了、2013年には関連機器も生産終了となった。
いかがだろうか。個人的には、他にも「電話の連絡網」や「ファミリーコンピュータ」「デパートの屋上が遊園地」など取り上げたいトピックがたくさんあった。
30~50代、あるいはそれ以上の世代の方にとって、本書で紹介しているトピックは懐かしく思えるものが多いはずだ。10代、20代の若者にも、「こんなモノが流行ってたんだ!」とちょっとした驚きと発見があることだろう。
流行は巡るもの。過去の遺物が令和に復活!なんてこともあるかもしれない。
文=冴島友貴