【戦国時代ミステリー】なぜ鉄砲は「種子島」に伝わった? 地形・地理から歴史の謎を解く新書『戦国武将と名勝負・名城の謎』

文芸・カルチャー

更新日:2021/10/27

地形と地理でわかる 戦国武将と名勝負・名城の謎
『カラー版 地形と地理でわかる 戦国武将と名勝負・名城の謎(宝島社新書)』(渡邊大門:編著/宝島社)

 歴史ファンが特に好きな戦国時代。波乱万丈の人生を送った戦国武将たち、数々の合戦、美も兼ね備える城など、魅力が尽きない。

 戦国時代はミステリー要素が魅力でもある。なぜ、鉄砲は種子島に伝わったのか。瀬戸内海で水軍が発展したのか。関ヶ原で天下分け目の戦いが起きたのか。そして、大坂の陣で天王寺方面が主戦場になったのか。

『カラー版 地形と地理でわかる 戦国武将と名勝負・名城の謎(宝島社新書)』(渡邊大門:編著/宝島社)によると、合戦や築城のミステリーは「地政学」で捉え直すと、謎をひもとくヒントが見えてくるという。地形図や地図をわかりやすくふんだんに使い、応仁の乱から大坂の陣まで、戦国時代のミステリーを全55項目にわたって解説している本書を、さっそく開いてみたい。

advertisement

 まずは、当時の戦争の在り方を変えた鉄砲が「種子島に伝わった理由」について。本書によると、地政学的に見ると種子島に鉄砲が伝来したのは、一種の偶然性を秘めつつも、妥当性をもつという。種子島は黒潮の潮流に乗っており、またこの地域は中国・朝鮮・琉球との交易における要衝だった。また、倭寇の活動拠点でもあったらしい。中国地方へ向かうポルトガル人商人が中国人商人と交易し、一節には倭寇の頭領の王直のものといわれる船に乗ったヨーロッパ式の小銃、通称「種子島」が同島にもたらされるのは、時間の問題だったようだ。

 海つながりでは、瀬戸内海で水軍が発展したミステリーも興味深い。本書によると、瀬戸内海は古代から九州と四国を結ぶ海上交通の要衝であったが、水軍が発展した大きなポイントは潮の大きな干満差だという。その干満差から生まれる潮の速さは、明石海峡大橋では約5ノット(時速約9.5キロメートル)、鳴門海峡や来島海峡では約10ノット(時速約19キロメートル)にもなる。また地形が複雑で、さらには海賊が存在していた。当時の交易船にとっては極めて難所であった。そんな中で、戦国時代で特に活躍した村上水軍は瀬戸内海の通行税を徴収する代わりに、交易船の海上警備と水先案内を行っていたと、本書は述べている。

 なぜ関ヶ原で天下分け目の戦いが起きたのか、なぜ大坂の陣で天王寺方面が主戦場になったかについては、特に重要なトピックであるため、他の項目より多くページを割き、地政学的な観点から手厚く語っている。ドラマなどでも焦点が当てられる有名な武将や城、地名が出てきて、非常に興味深い。

 本書はこの他、「信長が岐阜城で天下布武を唱えた理由」「伊賀と甲賀が忍者の里になった理由」「真田が独立を保つことができた理由」ほか55の魅力的なミステリーについて、「群雄割拠」の時代(第1章)、信長の台頭と天下布武(第2章)、秀吉・家康による戦国の終焉(第3章)の3部構成にて、解明に挑んでいる。

 歴史ファンが、深まる秋にじっくりと熟読したい一冊だ。

文=ルートつつみ
@root223