500匹の猫と暮らした文豪や『赤毛のアン』作者の猫愛にほっこり! 名作の裏にある「文豪と猫の絆物語」
更新日:2021/10/31
後世に語り継がれる作品を生み出した文豪の中には、意外な素顔を持つ人物もいる。例えば、「猫好き」という顔。劇的な最期を迎えた三島由紀夫は、捨て猫を放っておけない性格であり、長編小説『痴人の愛』を生み出した谷崎潤一郎は、亡くなった愛猫を剥製にしてそばにおいていたそう。猫を愛してやまなかった文豪は、意外に多いのだ。
『文豪の愛した猫』(開発社:編著/イースト・プレス)は、そんな文豪たちの猫愛がわかるエピソード集。各文豪が遺した猫に関する文学作品を交えつつ、猫と文豪の間にあった絆を紹介している。
文豪たちは、人生をも左右する愛猫とどのように出会い、どう愛し、別れを受け止めていたのか。涙なしでは読めない命の交流が、ここには記されている。
文豪界一の愛猫家! 500匹もの猫と暮らした大佛次郎
“猫は僕の趣味ではない。いつの間にか生活になくてはならない優しい伴侶になっているのだ。”
こんな言葉を遺したのは、大衆文学『鞍馬天狗』の作者として知られる大佛次郎。大佛は猫の随筆も数多く発表しており、500匹もの猫と暮らした猫好き文豪だ。
飼い猫は、ほとんどが日本種の捨て猫や野良猫。それは大佛の猫好きを知った者が庭先に猫を捨てにきたり、猫自身が好んで大佛の庭に集い、飼い猫に昇格したりしたため。
大佛の暮らしぶりは、随筆「猫の引越し」からうかがえる。同作は飼い猫が増え続ける状況を危惧した大佛が妻に向かって、「猫が15匹以上になったら、おれはこの家を猫にゆずって、別居する」と宣言した有名な話。
ある日、猫の数を数えた大佛が1匹多いことを指摘すると、妻から「それはお客さまです。御飯を食べたら、帰ることになっています」という言葉が返ってきたという笑い話も記されているのだが、これらは実話なのだそう。
大佛の妻はもともと猫嫌いであったが、大佛との結婚を機に、よそで死んでいた猫を庭先に埋葬するほどの愛猫家となり、戦時中、食糧不足の時にはよその飼い猫にも慈悲を与えていたそう。
ちなみに、「猫の引越し」に登場した通い猫はその後、子猫を同伴して住み込み、大佛家はますます猫屋敷化。夫婦ともに猫を溺愛していた大佛家では飼い猫が平均10匹を下らなかったそうだ。
命をしっかり命と捉え、猫たちと暮らしていた大佛は「ここに人あり」に、こんな一文をしたためてもいる。
“自分の迷惑を他人の家へ投げ込んで これでこちらは気楽になったと考えていられる神経にはおどろく 捨てられた猫を私は捨てられない”
動物愛護の意識が高まっている今、彼の作品はより多くの人に刺さりそうだ。
猫に救われた『赤毛のアン』の作者ルーシー・モード・モンゴメリ
猫と深い関わりを持っていたのは、日本の文豪だけではない。海外にも猫を愛し、猫から愛された作家は数多くいる。世界36カ国で翻訳され、子どもだけでなく大人にも深い感動と優しい教訓を与える『赤毛のアン』の作者ルーシー・モード・モンゴメリも、そのひとり。
モンゴメリは1歳9カ月で母を亡くした後、父と離れ、祖父母に育てられることとなった。猫好きであったが、厳格な祖父母は「思慮分別をわきまえたものが猫などを構うべきではない」と考えていたため、モンゴメリは常に付きまとう恥の意識とたたかいながら猫を愛したという。
愛猫の名前は、ダフィ。祖父母亡き後、牧師と結婚したモンゴメリは、夫と暮らす新たな牧師館へダフィと共に引っ越した。ところが、幸せな結婚生活は夫のうつ病が再発したことにより一変。モンゴメリは周囲が期待する牧師の妻の顔や人気作家としての顔を捨てられず、「交際上手な人」という仮面を被り続け、深い孤独に苛まれた。
そんな時、心の支えになってくれたのがダフィ。厳しい祖父母との生活の中で親友となってくれたダフィは、ここでもモンゴメリの孤独を和らげてくれたのだ。
猫に救われたモンゴメリは、こんな言葉を遺し、今も多くの猫好きに夢を与え続けている。
“わたしの愛したすべての猫の霊が、ごろごろと喉を鳴らして、わたしを天国の門で出迎えてくれるかしら。”
最期まで猫を愛し続けたモンゴメリは今、空の上でもその猫愛を炸裂させているに違いない。
猫と文豪のほっこりエピソードを知ると、名作がより味わい深く思えてくる。ぜひ本書との出会いを機に、まだ知らない文学作品も楽しんでみてほしい。
文=古川諭香