いつも通らない道でボロボロの野良猫に出会った。猫の運命を変えてしまった「わたし」の忘れられない6日間
公開日:2021/11/10
なにげない日常の中には、予期せぬ出会いが数多く転がっている。それは人との出会いだけでなく、動物との出会いにも言えること。例えば、道端で瀕死状態の野良猫を目にした時なんかもそうだ。
家に迎え入れるには責任がいり、その場を立ち去るには覚悟が必要。目の前に突然現れた無垢な命は、自分が手を差し伸べなければ死んでしまうかもしれないけれど、他の誰かに救われる可能性もあるように思える。もしも、ある日そんな存在と出会ったら、あなたは小さな命に対してどんな決断を下すだろうか。
短篇小説『生きているとき』(万洲田千尋/幻冬舎)は、そんなことを考えさせられる命の物語。ここに描かれているのは動物と触れ合ったことがない「わたし」と1匹の野良猫の運命が偶然重なった6日間のエピソードだ。
運命のイタズラでボロボロの野良猫と出会った「わたし」
ある日、友人に会うため駅へ向かっていた「わたし」は、いつもは選ばない道を通っている時、重い身体を引きずるようにして歩く1匹の野良猫に出会った。
猫は、よろよろと斜めに進みながら大型トラックがたくさん通る車道へ。このままでは轢かれてしまう。「わたし」は猫に追いつき、身体を抱き上げた。顔を見ると、目の周りには目ヤニがびっしり。猫は表情が読み取れないほど汚れ、疲れ切っていた。
猫といえば、コミカルに動いたり、満足気な表情を浮かべたりしている動物だと思っていた「わたし」は初めて知った猫の姿に戸惑ったが、車道から少し距離のある歩道の端に猫を置いて駅へ向かうことにした。
けれど、なんとなく気になり振り返ってみると、猫は再び車道へ向かっている。見てしまった以上こんな危険な場所に放っておけないと思った「わたし」は、動物病院へ連れて行くことにした。
動物病院は動物を救うところ。飼い主のいない野良たちを連れて行けば引き取ってくれ、救ってくれるはず。そう考えていたが、病院で知ったのは怪我や病気の野良猫はタダでは診てもらえないという現実だった。獣医師の言葉も「わたし」の心に刺さった。
“あなたはこの野良猫を拾ったことで、野良猫の運命を変えてしまったのですよ。その責任があります。治療費は払わない、面倒も看られないのであれば、この子を元の野良猫の生活にあなたが戻しなさい。”
厳しい正論を受け、「わたし」は自分の考えが甘かったことに気づき、本当の意味で命を救うことの重さを考え始める。
“野良猫に野良猫の生活をやめさせたのは確かにわたしでした。(中略)生きもののいのちに関わるということは、小さな動物のいのちでも責任と覚悟が必要だったんだとその時知りました。”
「わたし」は悩み迷いながら、自分が運命を変えてしまった野良猫の未来を真剣に考えていくことになる。意外な展開を迎えるこのショートストーリーは、涙なしでは読めない。
「救いたい」の先には「命を最期まで看取る」という責任が
命を助けた後の心理描写がリアルな本作は、きれいごとだけのハッピー物語ではないから心に響く。
助けた猫に元気になってほしいけれど、万単位で加算されていく治療費が痛い。でも今のライフスタイルでは猫を飼えない。だったら、元いた場所に戻し、また野良猫として生きてもらうしかないのだろうか…などと思いながら、野良猫の運命を変えたという事実と真摯に向き合う「わたし」の姿に触れると、読み手も改めてひとつの命に手を差し伸べることの重さを考えたくなるはずだ。
道端で見かけた小さな命に対して「かわいそうだから助けたい」と思える心があることは、もちろん尊い。だが、その命を永久に大切にする覚悟がないまま、手を差し伸べてしまうと、救いたかった存在を逆に苦しめる可能性があることを忘れてはいけない。どんな小さな命を迎えるにも責任と、最期まで愛し看取るという覚悟が必要だ。
コロナ禍の影響によって家にいる時間が増え、世界的なペットブームとなっている今だからこそ、本作はより多くの人に刺さる。「救いたい」や「かわいいから一緒に暮らしたい」の先にある未来を想像し、命を迎えることの重さを改めて考えてみてほしい。
文=古川諭香