法廷ミステリー×タイムスリップ!? 新作『幻告』で挑んだ新たな境地とは――五十嵐律人インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2021/11/13

五十嵐律人

 今年10月、ミステリー&エンタメ文芸誌『メフィスト』がリニューアルし、会員制読書クラブ「メフィストリーダーズクラブ」(以下〈MRC〉)に生まれ変わった。同クラブの目玉は、年4回『メフィスト』が自宅に届くサービス。10月25日より発送が始まった『メフィスト』リスタート第1号には、五十嵐律人『幻告』、島田荘司『ローズマリーのあまき香り』、辻村深月『罪と罰のコンパス』、西尾維新『掟上今日子の忍法帖』、森博嗣『オメガ城の惨劇 SAIKAWA Sohei’s Last Case』という豪華作家陣の書き下ろしが掲載されている。この顔ぶれを見るだけで、新生『メフィスト』の本気が伝わってくるだろう。

 執筆陣の中でも、若き新鋭として注目を集めるのが五十嵐律人さん。2020年に『法廷遊戯』で「メフィスト賞」を受賞して以来、リーガルミステリー×人間ドラマの旗手として目覚ましい活躍を見せている。司法修習生を経て、弁護士になった五十嵐さんが、新たに挑む特殊設定×リーガルミステリーとは。新作『幻告』での新たな挑戦、そして「メフィスト賞」および『メフィスト』への思いについて話をうかがった。

(取材・文=野本由起 撮影=大坪尚人)

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やり直しのきかない裁判官こそ、タイムスリップを願うのではないか

──五十嵐さんの新作『幻告』は、法廷ミステリーとタイムスリップを融合した作品です。両者の組み合わせに驚きましたが、どのような着想からこの小説が生まれたのでしょうか。

五十嵐律人さん(以下、五十嵐):デビュー作『法廷遊戯』から前作『原因において自由な物語』まで、プロットを作らず、なおかつ原稿を一度書き終えてから編集さんに見ていただくというスタイルでした。今回の『幻告』は、企画段階から編集さんと話し合って書いた初めての小説。「特殊設定×リーガルミステリーはどうでしょう」という提案を受け、アイデアを出していきました。ただ、僕の場合、風呂敷を広げすぎると回収できなくなるという傾向があります。そこで、最初は「嘘を見抜ける裁判官はどうですか?」とお話したのですが、「もっと踏み込んで、それこそタイムスリップとかそういうレベルの特殊設定に挑戦しませんか」と言われて。当初は自信がありませんでしたが、いろいろとお話をしていく中で、実は裁判とタイムスリップは親和性が高いのではないかと気づいたんです。

 裁判においては、厳格な手続きを踏み、有罪か無罪か判決を下します。仮に失敗があったとしても、やり直しがきかないんですね。一方タイムスリップは、本来やり直せないものをやり直すための特殊設定です。裁判だからこそ、タイムスリップという設定を生かせるのではないかと思い、プロットを組み上げていきました。

──「裁判だからこそ、タイムスリップを生かせる」という点について、もう少し詳しく教えてください。

五十嵐:そもそも裁判所は閉じた社会なんです。記者会見も開きませんし、なぜ有罪あるいは無罪にしたのか、判決書に書かれた理由を補足する機会も基本的にはありません。最高裁判所調査官が判決文を精査して、「裁判官はこういう考えのもと、この判決を出したのではないか」と推論を発表する場はありますが、裁判官が自分の考えを表明する場は基本的に存在しないんです。司法の根幹は、裁判官の独立。裁判の結果については、総理大臣ですら口を出してはいけないという前提があります。そういう意味で、裁判は不可侵な領域なんです。

 そういう特性上、一度出た判決をひっくり返す手続きは限られています。そのひとつが、三審制、つまり基本的な流れを辿ると、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所と3回まで裁判を受けられる制度です。判決が確定すれば、基本的にその裁判をやり直す手続きは存在しません。

 唯一残されているのが再審制度ですが、日本においては再審請求が通ることはほぼなく、「開かずの扉」と言われるほど。「新たな証拠が見つかり、ほぼ無罪と言えそうだ」というケースですら再審の訴えが認められず、歯がゆい思いをしている人たちもたくさんいます。そんな時、怒りや悔しさを感じるのは、自分の無罪を確信している被告人や一生懸命弁護をしてきた弁護人だろうと考えていましたが、実は裁判官も後悔という点では当てはまるのではないかと思い至りました。裁判官にも、最初は有罪を確信していたとしても「実は無罪だったんじゃないか」「自分は間違っていたんじゃないか」と思う瞬間があるような気がするんですね。でも、そういった場合でも、裁判官自身が主体的に判決をやり直す手続きは存在しません。

 裁判官は年間100件以上の刑事裁判で判決を出しますが、1件たりともミスが許されないという重圧がありますし、そもそもミスをしないと思われています。そんな裁判官が、自分の間違いを確信した時、タイムスリップできたら過去に戻ってもう一度裁き直したいと思うはず。それを小説にできないかと思いました。

──なるほど。とはいえ『幻告』の主人公は裁判官ではなく、裁判所書記官という立場ですよね。五十嵐さんもご経験された職種だそうですが、一般的にはなじみのうすい裁判所書記官を主人公に据えたのはなぜでしょう。

五十嵐:書記官は法曹資格を持たない、いわゆる公務員です。裁判所の職員として働き、一定の経験を踏むと裁判所事務官から裁判所書記官にステップアップでき、書記官だけが法廷で裁判に立ち会うことができます。

 今回裁判官を主人公にしなかったのは、裁判官は公平中立でなければならないからです。弁護人と検察官、そのどちらにも肩入れせず、双方の言い分を聞くだけというのが大前提なんです。「こういう主張をしないんですか?」「こういう手続きを取りましょう」と促してはならない立場なので、事件を追う際にも主体的に動きづらいんですね。

 一方、そんな裁判官をサポートするのが裁判所書記官です。書記官というと、法廷でのやりとりを一言一句メモする仕事だと思われがちですが、そうではありません。「コート(法廷)マネージャー」と呼ばれるように、事件を管理し、関係各所と連絡を取り合ったり、手続きが適正に行われていることを担保したりする仕事なんです。裁判所書記官を主人公に据えれば、中立な立場でありながら弁護人にも検察官にもアプローチできると思いました。

 また、裁判官は何を考えているか表明しない立場なので、裁判所書記官が裁判官の考えを推測し、いわゆるワトソン的なポジションにつくこともできます。物事を俯瞰的に見られますし、裁判官よりは事件に積極的にアプローチできるので、裁判所書記官を主人公にしました。

主人公サイドと被害者サイド、2組の親子関係を丁寧に描いた法廷ミステリー

──主人公が直面するのは、幼い頃に家を出た父親が加害者とされる性犯罪です。義理の娘に強制わいせつ行為を働いた罪に問われていますが、父は法廷で無罪を主張。タイムスリップしてこの裁判をやり直そうとすると、玉突きのように他の事件にも影響を及ぼすのが面白いなと思いました。とても凝った構成ですが、どのようにプロットを考えていったのでしょうか。

五十嵐:本来変えられないはずのものを変えたことで、未来がどう変化するのか。そこにタイムスリップの面白さがあると思っています。今回、主軸で扱っている事件の一つは性犯罪ですが、不快に思う読者もいるでしょうし、僕自身も性犯罪一本で小説を書くのはどうなんだろうと思いました。そこで、この事件が起きたことで何がどう変わるのかと考えていったところ、家族が思い浮かんだんです。今回は家族間の性犯罪を描いていますが、もしそれが冤罪だとすれば家族はどう変わるのか。そもそも、なぜここまで大変な事件が起きてしまったのか。家族関係を掘り下げながら、事件を考えていきました。

──先ほど「初めてプロットを立てた」とお話されていましたが、プロットを立てたことでストーリー作りに影響はありましたか?

五十嵐:今までプロットを作らなかった理由は、プロットの段階でラストまで流れを決めてしまうと、謎が小さくまとまってしまうのではないかと懸念していたためです。僕は謎を大きく作ってどう解決していくかを考えるのが好きなので、これまでは見切り発車で大きい謎を作り、「ここまで書いたらもう引き下がれない。頑張って謎を解け」という気持ちで執筆してきました。

 今回は時系列が入り組んでいるので、整理するためにプロットを作りましたが、とはいえプロットの流れから変わっているところも多々あります。例えば、冒頭に出てくる万引き事件が父親の事件とどう関わっていくのか。最初から細かく決めず、今までどおり書きながら考えていきました。ですから、プロットを作ったからといって大きく変わったことはないですね。今後プロットを作るかどうかも要検討です。

──法の裏にある人間ドラマ、親子関係を丁寧に描いているのも印象的でした。人間模様を描くうえで、大切にしたことは?

五十嵐:今回は主人公サイドの親子と被害者サイドの親子、2組の家族関係を掘り下げています。僕の小説は、これまで「不遇な子どもたちが立ち上がり、信頼できる大人が手を差し伸べる」という子ども目線の構成が多かったんですね。ですが今回は、親の気持ちも描きたいと思いました。

「親ガチャ」という言葉がありますが、子どもが親を選べないように、親も子どもを選べません。「この親がいい」「こんな子がいい」と選べないにもかかわらず、関係はずっと続いていきます。なおかつ、一度犯罪でこじれてしまった親子は、関係性を戻すのがとても難しいはず。こじれた関係の中で、描けるものがあるのではないかと思いました。

──作品を重ねるにつれ、描く世界の広がりを感じます。ご自身の変化については、どう捉えていますか?

五十嵐:正直に言えば、自分ではよくわかりません(笑)。ただ、弁護士になったというのはひとつ大きなことなのかなと思っています。デビュー作『法廷遊戯』を書いた頃、僕はまだ司法修習生ですらありませんでした。2、3作目は司法修習生として見聞きしたものを描き、今回は弁護士になってからのことを描いています。さらに、裁判所書記官としての経験も交えました。徐々に知見も広がり、経験を重ねることの大切さを実感しています。

──弁護士になったことで、今後はその経験を生かした作品も期待できそうですね。

五十嵐:過去に扱った少年法についても再チャレンジしたいですね。弁護士になった今、もう一度少年法を扱えば、新たなものが書けるかもしれません。

──『幻告』というタイトルも印象的です。どんな思いを込めたのでしょうか。

五十嵐:実は、このタイトルに決まるまで揉めに揉めました(笑)。最初は『夢幻法廷』という題名を考えていましたが、諸事情で別のタイトルを考えることになって。短い文字数で内容を伝え、なおかつ読み進めると意味がわかるもの、重厚感のあるものにしたいと思いましたが、既存の言葉ではしっくりきません。そこで「幻」と「告白」「宣告」、自分の罪を認める「告解」の「告」を組み合わせたタイトルにしました。

「メフィスト賞」はオンリーワンを求める賞。“傾向と対策”は通用しない

──この作品は、リニューアルした『メフィスト』の第1号に掲載されます。目玉作家のひとりとして参加することになった感想は?

五十嵐:本当にありがたいですね。他の執筆陣の顔ぶれは知らなかったので、「メフィスト賞」出身の他の新人作家も書くのかなと思いきや、蓋を開ければレジェンド級の作家ばかり。「本当に僕で大丈夫ですか?」と編集さんに聞いてしまいました(笑)。実績も知名度も全然違う自分を選んでいただいた真意はわかりませんが、本当にうれしいことです。選んでいただいたからには、自他ともに納得できる小説を書きたいなと思いました。

──五十嵐さんは2020年に『法廷遊戯』で「メフィスト賞」を獲得してデビューしました。そもそも「メフィスト賞」に応募したのはなぜですか?

五十嵐:そもそも僕は、司法試験に合格してから本気で小説家を目指し始めました。作家を目指す過程でいろいろな作品を読みましたが、中でもハマったのが森博嗣さんの『すべてがFになる』。森さんがデビューしたきっかけが「メフィスト賞」だと知り、この賞に応募したいと思いました。とはいえ、僕が作家を志したのが26歳くらい。30歳までにデビューできなかったら諦めようかと思っていました。そのため、「メフィスト賞」1本に絞ったわけではなく、他の賞にも応募していましたね。そうは言っても、一番応募したのは「メフィスト賞」ですが。

──「メフィスト賞」=森博嗣さんというイメージだったのでしょうか。

五十嵐:「メフィスト賞」を意識したのは森さんがきっかけでしたが、そもそも高校・大学時代に読んでいた作家さんも「メフィスト賞」出身だったんですよね。西尾維新さん、辻村深月さんなど、意識していなかったけれど出自をたどっていったら実は「メフィスト賞」作家だった、というケースも多々ありました。

──「メフィスト賞」に応募するにあたって、心がけたことはありますか?

五十嵐:僕は“受験脳”だったので、すぐ“傾向と対策”を意識するんです。「メフィスト賞」に関しても、受賞作家の本をいろいろ読みました。でも、3分の1くらい受賞作を読んだところで「無駄だな」と気づいたんです(笑)。「この賞は、傾向と対策を考えても仕方ない」と思ったんですね。「メフィスト賞」は面白ければいいし、尖った作品も喜んで受け入れてくれます。“一作家一ジャンル”と言われるように、オンリーワンを求める賞なんだと気づき、「自分にしか書けないものって何だろう」と考えていきました。そこからリーガルミステリーで、一ジャンルを築こうと思うようになったんです。これも、傾向と対策なのかもしれませんが。

──先ほど他の賞に応募したこともあるとお話されていましたが、「メフィスト賞」とその他の賞の違いはどこにあると思いましたか?

五十嵐:僕が好きだったのは、編集部員による「座談会」でした。初めて投稿した時にけちょんけちょんにされましたが、それもうれしかったくらいです(笑)。他の新人賞は、最終候補作に残ってからではないとなかなか講評をいただけませんが、「メフィスト賞」は「座談会」で取り上げていただけますし、編集者との距離も近いんですよね。それは大きなポイントではないかと思います。

──今回〈MRC〉にリニューアルすると聞いた時の感想は?

五十嵐:「メフィスト賞」って、本来新しいことにチャレンジする賞ですよね。ですから、今回新しい取り組みを始めるのも、『メフィスト』らしいなと思いました。『メフィスト』だからできる尖った企画にチャレンジしてほしいですし、「座談会」も続けてほしいですね。

 こういったサービスは、最初に乗り遅れると途中から参加しにくいものです。無料キャンペーン中に、気軽に楽しんでもらえたらと思います。『メフィスト』リニューアル第1号に参加している作家さんも、僕はともかくとして本当に素晴らしい方々ばかり。それだけでも読む価値があると思います。