岸政彦『東京の生活史』――聞き手と語り手、読み手が呼応し合う、人生の欠片が詰まった1216ページの分厚い不思議な本!
公開日:2021/11/23
なんとも不思議な本である。
『東京の生活史』(岸政彦:編/筑摩書房)の総ページ数は1216ページ、とても分厚く、重く、存在感があり、書店でも異彩を放っている。何についての本かというと、150人の聞き手が、東京で暮らした経験がある150人の語り手の人生を聞く、というものである。それがひとりあたりおよそ8ページで1万字、計150万字というボリュームの経験談が層を成しているのだ。普通の書籍にすると約10冊ほどの分量になるだろう。
この本が不思議なのには、他にも理由がある。
たいてい書籍や雑誌などの取材記事は、本文に入る前にタイトルで何についてのインタビューなのかを明示し、語り手の名前や「■■というアイドルグループに所属する20代男性」「◯◯という会社の社長で60代女性」「同性婚をしている40代男性」といった属性、経歴、顔写真などが提示され、読み手はそれらの情報を頭に入れてから読みはじめる。しかし本書では語り手の情報が事前に明かされない。名前が記載されている場合もあるが、匿名であったり、語られた固有名詞、地名が仮名、匿名になっているものもある。各見出しも、話が盛り上がった部分を切り取ったものなので、何のことやらわからないものもある。
さらにリードのような導入はなく、唐突に話が始まる。どんな人なのかは読んでみないとまったくわからない。また文章は話したままの状態に近いので、人が変わるごとに話のノリやテンポが変わっていく。「ほら」「あれ」「それ」といった間投詞や指示代名詞などの曖昧な言葉があり、「えーっと」「あのー」と話に詰まっているところもそのまま書かれている。そして話は思い出すがままに流れ、聞き手の問いかけによって突然流れが変わり、整理されすぎていないため記憶が行きつ戻りつして、最後は切断されるように終わる。語り終えた先にも恐らくその人の人生は続いていくのだろう。しかしそれは読み手にはわからない。まるで喫茶店の隣の席での話にうっかり聞き耳をたててしまったような気分だ。
また本書は語り手を募集したのではなく、聞き手を公募し、その聞き手が選んだ人に話を聞いている。なので2人の普段の関係性があるので前提がないまま話が始まり、流れ、切れるのだ。読み進めるうちに語り手と聞き手の属性や性別、関係性、バックグラウンドなどはわかってくるが、そこに確証はない。話に出てきた人が誰だかわからず、話が宙吊りになることもある。
次々と現れ、話をする人たちの人生について読んでいると「もっと話を聞いてみたい」と思う人もいるし、逆に「この人とはわかりあえそうにないな」と感じる人もいる。その感情は何なのだろうと考えてみると、それは普段自分が構築している人間関係と変わらないことに気づく。最長でも100年ほどの人生の間に知り合う人の数は限られていること、興味の湧く人はそこまで多くないのかもしれないといったことがしみじみとわかってくる。そして他人のことを十全に理解することはできないし、理解しようと思った自分を恥ずかしいとさえ思った。
誰しもに毎日の生活があり、絶え間ない選択の上に個々の人生が形作られる。しかもそのほとんどは、どこへ行き着くのかわからないまま流れていくものだ。そんな様々な人の人生の欠片を知ることで、相対的に自分を見つめることができた、本当に不思議な本であった。
文=成田全(ナリタタモツ)