山本文緒の魅力が凝縮された一冊。幸せの表裏を描き、読者の願いに寄り添う短編集『ばにらさま』

文芸・カルチャー

公開日:2021/11/18

ばにらさま
『ばにらさま』(山本文緒/文藝春秋)

 2021年10月13日、作家の山本文緒さんが亡くなった。それは、ちょうど9月に発売された短編集『ばにらさま』(文藝春秋)のレビュー初稿を書いてまもなくのことだった。

 山本文緒さんは1987年、『プレミアム・プールの日々』でコバルト・ノベル大賞の佳作を受賞し、作家デビュー。その後、1999年に『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞受賞、続けて2000年に『プラナリア』で第124回直木賞を受賞し、作家としての地位を確固たるものとした。以降も文芸作品やエッセイを精力的に発表していたが、うつ病を患ったことで執筆活動を休止。

 休養期間を経て2020年に発表された『自転しながら公転する』は、第27回島清恋愛文学賞と第16回中央公論文芸賞を受賞し、作家としての山本文緒さんの再始動に読者は沸いた。そして最新作の『ばにらさま』は、高まる期待に応えるように発売された短編集だ。

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 その直後の訃報。私にとっては、直近の2作品で山本さんの魅力に改めて気づき、未読の過去作品を読み漁っていた矢先の報せだった。もっと山本さんの作品を読みたかった。歯がゆく、そして虚しく感じる一方、山本さんの想いは、今までの作品からたしかに継がれているのだという実感もある。

 結婚、出産、キャリアアップ。女性の人生のターニングポイントはあらゆるところにあるけれど、それらをすべてクリアしないと不幸だとは限らない。離職や離婚だって、そこから何を得て、どう生かしていくかが明暗を分けるのだ。

 そんな幸せに対する選択肢の豊富さや希望、気づきを与えてくれる短編が、『ばにらさま』には収録されている。職場恋愛、結婚生活、親子関係、初恋、そして晩年の過ごし方と、扱われるテーマはすべて異なるが、読者がこれらの物語から考え始めるのは、己の幸せについてだろう。

『ばにらさま』の登場人物の多くは、幸せを軸とした二面性が際立つ。一見幸せそうで実は不幸、またはその逆。周りから見れば幸せだけれど、自分だけは不幸を感じているというケースもある。そして、不幸から逃げようともがいている登場人物も多い。でも、ほんとうは逃げずに受け止めた先に、思ってもみなかった幸せがあるのかもしれない。そんな気づきを、さまざまな視点から描いている。読者が勝手に抱いた幸せのイメージをひっくり返す、物語の仕掛けもおもしろい。

 私たちは輝かしい実績をもつ人間に成功者というレッテルを貼り、幸せこそが正しいと考えがちだ。しかし、その思い込みは盲点や歪みを生み出すもので、自分自身の幸せを遠ざけてしまうかもしれない。『ばにらさま』の収録作品からは、もっと自由に、幸せになっていいんだよ、というエールが感じられる。

 そして私は他作品も引き続き読み、山本さんが書いてくださったメッセージを自分に刻みつけたい。そこから得られた想いを、日々の生活の中で継いでいきたい。それが一人の読者としてできる、ただひとつの祈りだと思うから。

文=宿木雪樹