もしも、この官房長官が誰かの“操り人形”だったら…? 腹の底が知れない青年政治家の本性とは――
公開日:2021/11/27
何年経っても、結末に辿り着いた時の衝撃が忘れられない小説は誰にでもあるだろう。筆者にとって、早見和真氏が世に送り出した『イノセント・デイズ』(新潮社)は、そんな1冊だ。
フィクションだとわかっているのに、徐々に明かされていく耐え難い真実に涙がこぼれ、主人公が目にしてきた絶望に胸が痛んだ。早見氏は、人間が抱えている影や裏の顔を描くのが上手い。それはガラっとテイストが変わった『店長がバカすぎて』(角川春樹事務所)からも感じ取れる。
新刊『笑うマトリョーシカ』(文藝春秋)も、早見氏の人を描く筆力の凄さが存分に感じられる作品だった。本作はひとりの青年政治家の心の闇に迫る、異色の不条理小説だ。
才覚ある青年政治家を裏で操っているのは誰?
愛媛県松山市にある、私立の名門高校。ここに、のちの日本に大きな影響を与える2人の男が通っていた。
ひとりは青年政治家として世間から厚い信頼を得ている、清家一郎。精悍な顔をした清家は飾り立てないまっすぐな姿がウケて、自叙伝を出版するほど人気になる。
自叙伝は爆発的に売れ、清家はより注目を浴びるようになり、ついには40代という若さで官房長官という地位を手に入れることとなった。
そんな彼を長年サポートし続けてきたのが、もうひとりの男である鈴木俊哉。先見の明を持つ鈴木は清家の敏腕秘書として活躍していた。
2人が歩んでいるのは、明るい未来しか見えない順風満帆な日常。しかし、そんな穏やかな日々は、ひとりの女性記者との出会いにより、脅かされることとなる。
ある日、清家は新聞記者の道上香苗からのインタビューの最中に、自叙伝の中で卒業論文についての記述がないことを指摘され、たじろいでしまう。
実は香苗のもとには、清家にインタビューする前、彼が書いたものだと思われる卒業論文が匿名で送られてきていた。清家が選んだテーマはエリック・ヤン・ハヌッセン。ヒトラーに食い込み、国家を掌握しようとしたハヌッセンに対し、するどい刃を向けていたのだ。
それを読んだ香苗は、思った。清家がハヌッセンをテーマに選んだのには理由があったのではないか、と。もしかしたら、彼自身の近くにハヌッセンのように最も信頼し、警戒している人物がいるのかもしれない。香苗が卒業論文について尋ねたのには、そんな意図があった。
自分の質問により、言葉を失った清家の姿を目にし、香苗の中で疑惑は確信に。この人はニセモノ。清家一郎という政治家は、誰かの操り人形であるのではないか――と。
清家の背後には、天才的なブレーンがいる。そう感じた香苗は自叙伝には書かれていない本当の過去を探るべく、清家の恩師や同級生に接触。すると、浮かび上がってきたのは意外な人物の思惑と、知らなければよかったと後悔したくなる秘密だった。
ここにあるのは、『イノセント・デイズ』を超える衝撃だ。
腹の底が見えない主人公の本性にドキドキ
「誰かに操られている」と聞くと、なんとなく同情的な視線を向けたくなってしまうこともある。だが、清家はただのがらんどうではなく、「完全な被害者」だと言い切れなそうな人物であるからこそ、本作はスリリングで面白い。
人当たりがいい反面、時折、相手の本質を見極めるような視線を向ける清家は腹の底が読めない人物。その一番芯の部分で彼をコントロールし、大笑いしているのは一体誰なのか。舌を巻く驚きのラストを、ぜひその目で見届けてみてほしい。
文=古川諭香