特別試し読み第4回/『ミルクとコロナ』白岩玄・山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/6

 白岩玄・山崎ナオコーラ著の書籍『ミルクとコロナ』「before corona」「under corona」から、厳選して全6回連載でお届けします。今回は第4回です。「野ブタ。をプロデュース」の著者・白岩玄さん、「人のセックスを笑うな」の著者・山崎ナオコーラさん。2004年、ともに20代で「文藝賞」を受賞し、作家デビュー。子どもが生まれたことをきっかけに、育児にまつわるエッセイの交換を始める。約4年間にわたって交わされた子育て考察エッセイ!

ミルクとコロナ
『ミルクとコロナ』(白岩玄山崎ナオコーラ/河出書房新社)

自分の仕事を伝えるか? 山崎ナオコーラ

ミルクとコロナ
イラスト:山崎ナオコーラ

 子どもには、競争は競争として、それとは別に「優劣のつけられないもの」にたくさん出会って欲しい、ということに激しく同意した。

 特に、「好きな芸能人でも、アニメのキャラクターでも、道端の石ころでもなんでもいい。自分がめいっぱい愛を注げば、そこには上下なんてなくなる」という箇所は、本当にそうだな、と思った。

 先日、白岩さんの『たてがみを捨てたライオンたち』を拝読した。もうじき子どもが生まれる予定で主夫になるかどうかで悩む編集者の直樹、モテる男だが離婚後にいろいろ考えるようになった広告マンの慎一、要領の悪い公務員でアイドルオタクの幸太郎の三人が主人公で、私は最初、自分と境遇が近い直樹に気持ちを寄せて読んでいたのだが、次第に、自分とはかけ離れた世界にいるアイドルオタクの幸太郎の話になぜか強く引き込まれていって、アイドルが不祥事で卒業するシーンでは、わあっと泣いてしまった。泣きながら、「なんでここで私が涙を流さなければならないんだ?」と不思議になったが、今になって思えば、私はそのとき初めて、アイドルとファンの特別な関係を知ったのだと思う。

 アイドルを好きになるということは、現実からの逃避かもしれないが、逃避ができる場があるというのは貴重なことだ。現実世界の上下関係をずっと気に病んでいたら、上に行く努力ばかりして、ストレスを抱えて命が短くなるかもしれない。でも、逃避世界があれば明日も生きられる。あるいは、逃避世界を持てたことで、現実に風穴が空いて、急にするりと現実が上手く行くことだってある。私だって、本を好きになったのは、現実に友だちがいなくて学校が楽しくなかったから、逃避したのだった。

 私も、子どもには「何かを好きになるのって素晴らしいことだよ」と伝えたい。将来、もしも子どもがアイドルにはまったら、おおらかに見守ろう。

 

 そう、赤ん坊の間は世話がメインだが、大きくなってくると、「教える」「伝える」といった、いわゆる人間関係作りが育児のメインになってくる。

 親自身の生き方についても伝えるときが来るだろう。

 以前、打ち合わせの際の雑談で、「自分の仕事(職業)を子どもに伝えるか?」という話題になったときに、私は「伝えたい」と言ったが、白岩さんは「伝えなくてもいいかな、と思っている」というようなことを言っていた気がする。

 今回は、それについて、再度お尋ねしてみたい。今も、そう思っていますか?

 私の方では、二歳なのでまだきちんとは理解できないと思うが、すでに「本を書いているんだよ」ということを子どもに言うようになった。

 ただ、今後、どの程度まで伝えればいいのかは悩む。他の多くの作家には世間的に良いイメージがある気がするが、私の場合は決して「自慢の親」という感じにはならないと思うので、著書は見せなくてもいいかな、とか、もう少し大きくなったら、「お友だちにはあんまり言わないでね」とはお願いしようかな、とか、ちょっと迷いがある。でも、とりあえず、堂々としたいので、子どもに対しては自分の職業を伝えよう、と今のところは思っている。

 私が自分の仕事を子どもに伝えようと思った理由は二つある。

 ひとつ目は、「父親の場合は仕事をすること自体を育児と捉えられたり、背中を見せることが育児になると思われたりするのに、母親の場合は直接優しさを伝えたり、料理や洗濯などの世話をすることしか育児と捉えられないという旧来の雰囲気への反発心。つまり、子どもが『お母さんのお仕事、かっこいい』と思ってくれたら良い成長があるのではないか? と期待している。お母さんの背中だって、かっこいいのだ」という理由だ。

 母親の仕事は、母親自身の自己実現や、金のために行っていると思われがちで、「母親の仕事が、子どもの成長に良い影響を与える」と捉えられることが少ないように感じていて、そこを変えたい気持ちがある。

 それで、白岩さんが「伝えなくてもいいかな」と言ったのも、「父親は仕事をがんばり、背中を見せる」という旧来の育児法に対して、そうではない育児をしていきたい、違う父親像を模索したい、という思いがあるからではないかな、と今ちょっと想像しましたが、どうでしょうか?

 そして、二つ目は、「たとえ子どもや周囲から『恥ずかしい』と思われてしまう可能性がある仕事でも、堂々と行っていればいつかは伝わる。こんな仕事をしていてごめんね、と小さくなるより、自信を持って社会参加しているよ、と胸を張った方がいい」という理由だ。

 私のペンネームは「山崎ナオコーラ」で、かなりふざけている。小学生の子の親の名前が「ナオコーラ」だと周囲の子に知られたときに、からかわれる可能性は高いだろう。また、今のところ、デビュー作の『人のセックスを笑うな』という小説が自著の中では一番世間に知られている。多感な時期に、セックスがどうのこうのというタイトルの小説を親が出版していると知ったら、嫌な気持ちが湧いてしまうかもしれない。

 少し前に、元AV女優の蒼井そらさんが、「偏見・批判を覚悟で妊娠発表」をしていた。蒼井さんのブログは、「AV女優が子供を作るなんて子どもがかわいそう。結婚発表をした時、そんな言葉を目にしました」という文章から始まっていた。けれども、やっぱり子どもは欲しいと、「生まれて来るんじゃなかったとか産んでなんて頼んでねーしとか親子の縁を切るとか子どもに言われないように日々頑張るだけよ。それって、職業じゃないし、環境だと思うのね」と綴っていた。

 前向きで、且つ冷静で、素晴らしい文章だった。その報告のあと、私がインターネット上を見た限りでは、蒼井さんの心配をよそに、祝福している人が多数派を占めていた。時代は変わりつつあり、偏見は小さくなってきているのだ。でも、やっぱり一部の人は、「AV女優が妊娠するのは、親のエゴだ」「親がAV女優だったら、いじめにあう」といった、職業差別ともとれる批判を行っていた。

 今はインターネットがあるから、親の情報は、子どもや、もしかしたら子どもの周囲の人たちにも、筒抜けになる。

 でも、普通に考えて、万が一、いじめが起こったら、それはいじめた側が悪いのではないか? 偏見を残している社会が悪いのではないか? 産んだ親が悪いとは、やっぱり思えない。

 子どもが欲しいと思って、でも、自分の職業が子どもや周囲の人に受け入れられるかわからないと悩んだら、「産まない」でも、「職業をできるだけ隠す」でも、「子どもに申し訳なく思う」でもなく、「堂々と子育てして、堂々と仕事をする」という選択が一番なのではないか?

 そういうわけで、私は、今のところ、自分の仕事を伝える方向で育児をしている。

『ミルクとコロナ』「before corona」より