『閃光のハサウェイ』を大ヒットへと導いた、映像の力とは――監督・村瀬修功インタビュー(後編)

アニメ

公開日:2021/12/3

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』 ©創通・サンライズ

『機動戦士ガンダム』40周年記念作品として制作されたシリーズ最新作『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』。本作は『機動戦士ガンダム』の生みの親、富野由悠季さんが1989~1990年に執筆した小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』全3巻(上・中・下)を映像化した作品だ。本作の主人公はガンダムシリーズで活躍してきたかつての英雄ブライト・ノアの息子ハサウェイ・ノア。彼はマフティー・ナビーユ・エリンと名乗り、反地球連邦政府運動に身を投じている。なぜ彼はマフティーを名乗るようになったのか。そのドラマが緻密に描かれている。

 本作の映画化を果たしたのは村瀬修功監督。美意識に裏打ちされた緻密な作画で知られるアニメーター/キャラクターデザイナーでもあり、監督としては『虐殺器官』などで実写的なアプローチをすることで高い評価を集めているクリエイターだ。映画『閃光のハサウェイ』においても、いわゆる映画的なダイナミズムあふれる画面作りで、新しい「ガンダム」像を作り上げている。

 はたして村瀬修功監督はどんな思いで、この作品を作り上げたのか。この作品にかけた想いを、2本立てのロング・インタビューで語っていただいた。後編では、主人公のハサウェイが出会うヒロインのギギ・アンダルシアと、地球連邦軍軍人のケネス・スレッグの人物像、そしてガンダムシリーズの見せ場となるモビルスーツ戦をどのように描いたのかを語っていただいた。

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誰からも愛される富野ヒロイン像を目指して

――本作の主人公であるハサウェイの内面は、ギギ・アンダルシアという少女に振り回されることで描かれていきます。ギギという少女にどんな印象をお持ちでしたか。

村瀬:小説を読んだときに、ギギは「富野ヒロイン度が強いな」と思いました。富野監督の作るヒロインは圧倒的に気が強くて、頭が良いんですよね。性格に惹かれる、というよりも、むしろ引かれるくらいのキャラクターであることが多いと感じていました。どうしたらこの子を観客に好きになってもらえるかなと考えたときに、性格的難点に目をつぶることが許されるくらい、すごく綺麗な子じゃないとダメだろうなと。でも、アニメにおいて美人を描くのは、とてつもなく難しい。でも、その難しいところを、pablo uchidaさん(キャラクターデザイン)がファッションであったり、瞳の色に入っているオレンジの虹彩であったり、いろいろなアイデアを凝らしてくれてギギを描いてくれました。ギギのデザインはトータルで、pablo uchidaさんのセンスが大きかったと思いますね。

あとは、声優さんですよね。ギギのイメージは絵コンテに入る時点でも、まだ掴むことができなくて。これまでのガンダムシリーズのヒロイン像に引きずられている感じがなんとなくあったんです。そんなときに、ギギ役のオーディションをする機会があって、そこで上田麗奈さんが、違うアプローチでお芝居をしてくれた。そこで初めて、ギギってこういうしゃべり方だよねって。それが掴めて、やっと自分の中でのギギ像ができました。

――上田さんが演じるギギはころころと表情を変え、とても印象的でした。

村瀬:富野ヒロインは気が強いから、だから「それをいっちゃ……」ということを相手に言っちゃう。それを普通の芝居付けで聞いちゃうと「……えっ?」と引かれてしまう。でも、上田さんの芝居付けだと、そこが少しやわらかくなるんです。そうやって富野さんが書いた女性像を変えないように、見せ方を変えて、観た人が許せるようなバランスを取っていきました。

――先ほど「アニメで美人を描くのは難しい」というお話がありましたが、それはどんなことが原因なのでしょう。

村瀬:極端なことを言えば、全員不美人に書けば、ひとりだけ美人に見えるようになります。でも、そうはしたくないじゃないですか(笑)。じゃあ、みんなを綺麗にカッコよく描くならば、美人はとびっきりの美人にしないといけない。それは難しいですよね。どこかにクセを持たせたほうがキャラクターとしては立つんですけど、そのクセが強すぎると誰からも美人と思われるキャラクターからは外れてしまう。キャラクターを立たせながら誰しもが好むデザインにするのは難しいです。もはやこれはテクニック論になってしまうのですが、そこをpablo uchidaさんがうまくきれいにまとめてくれて、それを(キャラクターデザイン・総作画監督の)恩田尚之さんがアニメーションに落としてくれました。

――アニメーションで描かれたギギはボールペンをくるくる回したり、あくびをしたり、仕草や芝居がいきいきしていて魅力的ですね。

村瀬:ギギのペン回しは渡辺信一郎さん(絵コンテ)のアイデアです。絵コンテでこれを見て、僕もびっくりしたんです。最初は想像していなかったんですけど、ギギならたしかにこういうことをするかもな、と。彼女はただの洗練された女の子じゃなくて、子どもっぽい無邪気さみたいなものも両面で持っているだろうと。ペン回しはギギのある部分を引き出してくれたと思います。それだけでなく、アニメーターのみなさんが、ギギのいろいろな表情を描いてくれたことで、ギギのいろいろな魅力を出せました。

――今回はハサウェイ、ギギとケネスの三角関係がスリリングです。ケネス・スレッグという軍人をどのような人物として描こうとお考えでしたか。

村瀬:全体の構図として、ギギがふたりの男(ハサウェイとケネス)のどちらを選ぶか、というのがあったので、ケネスは年上であってもギリギリ恋愛対象になる線を狙っていました。ハサウェイが朴訥とした、大衆に紛れ込むような顔立ちの普通の男だったので、ケネスは良い男のほうがいいのかなと。そのあたりもpablo uchidaさんとかなり話し合って、ワイルド目な、ハサウェイと対照的なデザインにしてもらいました。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

モビルスーツ戦の原点回帰を目指して

――『閃光のハサウェイ』ではモビルスーツの描き方も迫力がありました。街ではマン・ハンターたちがモビルスーツで市民を圧倒していて、巨大なモビルスーツに人々は逃げ惑います。今回、モビルスーツをどのように描こうとお考えだったのですか?

村瀬:モビルスーツをキャラクターとして描くことに、僕はあまり興味がなかったんです。小説でも、モビルスーツはいわゆる身体拡張の表現としては書かれていませんでしたし、この物語はハサウェイの成長物語でもない。だから、モビルスーツをキャラクターとして描いてもしようがない、というのもありましたし、ガンダムシリーズも40年続けていくうちに、強さのインフレが起きていて、ガンダムがスーパーロボットのように見えている感じもあった。強くなりすぎたモビルスーツをファーストガンダム(1978年『機動戦士ガンダム』)のころに戻したいという思いがあって。「軍隊がモビルスーツを兵器として運用している世界での、モビルスーツの描き方」にしたのです。

――世界観から、モビルスーツの描き方を構築していったんですね。

村瀬:メカ描きの人にはよく言ったのですが「モビルスーツを描くのではなく、モビルスーツという現象を描いてほしい」とお願いしました。モビルスーツが引き起こすいろいろなこと……たとえば風であったり、煙であったり、そういう周囲に巻き起こすことまでを描くことで、モビルスーツを描きたいと。ただ、そのあたりの肌触りは小説を読んだときに、イメージしていたものでもありました。

――空襲シーンは、モビルスーツの放つ武器の破壊力や飛び散る火花などに、迫真の臨場感がありました。

村瀬:市街地の上空でモビルスーツが戦ったら、火花も散るし、破片も落ちて、その下にいる人たちは落ち着いてはいられないでしょう。今までのガンダムシリーズでは、そういった描写はあまり多くなかったと思うのですが、戦争モノである以上、そういう描写はやったほうが良いだろうなと。やはりミサイル一発、バルカン一発当たれば、人は死んでしまう。もはやモビルスーツ同士では当たっても効果がない兵器になりつつあるバルカン砲ですが、本来はこれくらいの破壊力があるんだよと。市街地でモビルスーツが戦闘したら、どれくらいの被害が出るのかを描こうと。作画処理的にはやり切れない部分も残りましたが、そこは何とか描こうとしていました。でも、そうやって周囲を描いたことで、モビルスーツという現象の一部を描けたような気がしています。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

映像で語る、映画というメディアの可能性

――過去のインタビューで村瀬監督はカラーキー(カラースクリプト)や撮影ボードを活用されて、画づくりをされたと発言されています。空襲シーンや、後半の戦闘シーンのリアルな色味などはそういった制作方法の効果もあったということでしょうか。

村瀬:昔から、夜になると画面が青くなるという、アニメ的な表現があまり好きではなかったんです。「アニメは本来見えないところも見えるから良い」という意見もよくわかるのですけど、「見えないからこそ想像する」という表現は、映画としても良いんじゃないかと思っていました。だから「見えないじゃないか!」というのではなくて、「見えないのがいいんだよ」と。そこを感じてもらいたかったんです。ただし、今回コンポジットの段階でスケジュールに余裕があったわけではなくて、見える・見えないに関しては、正直言うとチューニングできていない部分もあります。見せたかったのだけど見えてない部分や、ちょっと見えすぎちゃっている部分も残っていて、このあたりは第2部以降の課題だと思っています。

――村瀬監督は『閃光のハサウェイ』以前から、コンポジット(撮影)をご自身でも手掛けていらっしゃったそうですね。最終的な画作りにおいてはやはりコンポジットが重要なんですね。

村瀬:アニメの制作現場では、背景やセル(キャラクター)が別の現場(会社)で作られていて、ひとつの画面にするという作業をしているんです。各セクションと打ち合わせをしてすり合わせていても、どうしても合わないところが出てくる。それぞれの担当者は自分の担当しているパートだけに集中しているので、そこに「見せたいもの」がある。それぞれをひとつの画面に合わせたときに「見せたいもの」と「見せたいもの」が集合してしまうんですね。そうすると、画面のバランスが取れなくなって、本当に「見せたいもの」がわからなくなってしまう。「見せたいもの」のためには取捨選択をして、潰さなきゃいけない情報も出てくる。それをコンポジットでやろうと。ここ十数年、そういうスタイルで僕はやらせてもらっています。もちろん、それをやりすぎると、各セクションとの軋轢も出てしまうので。今回は勘弁してほしいと理解していただきつつ、やっています。

――先ほど、「見えないからこそ想像する」という表現は映画としても良いんじゃないかとおっしゃいましたが、あらためて「映画」の良さとはどんなところにあると思いますか。

村瀬:僕は映画であろうと、テレビであろうと、アニメを作るときに分けて考えていませんでした。でも、年々テレビは画面を見ないメディアになっているのではないかと感じていて。映像で語っていても見逃されているような感覚があって、全部を音(セリフ)にしないとわかってもらえないんじゃないか、音しか聴いていないんじゃないか、と思うことが年々強くなっています。でも、映画ならば、映像を集中して観てくれて、映像から読み取ってもらえる。そういう感覚は前作の『虐殺器官』をやったときに感じました。今回の『閃光のハサウェイ』においても、映画として映像で語っている感覚があります。

――第1部のヒットを受けて、第2部『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ サン オブ ブライト』の制作が発表されています。最後に、こちらにかける思いをお聞かせください。

村瀬:僕ら制作としては、第1部に関しては敗北感があります。本来の達成したいところまでたどり着けなかったという思いが強くある。第2部は最低限、そのラインまで手が届くようにしたいと思っています。映像としてグレードアップできるところは、グレードアップしたいと思っていますし、デジタル技術への対応もより深くしていきたいと考えています。第1部では半ば強引にデジタルの手法を持ち込んだので、現場に混乱が起きていたところがあったんですよね。

――映画の制作は長丁場になると思いますが、制作現場のアップデートがまず重要だということですね。

村瀬:今回の『閃光のハサウェイ』を制作したサンライズは、紙、アナログの力の強いところが長所だと思うので、このアナログの力を今後デジタルにどのように転化していくか。そこはスタジオとしても、大きな課題だと思っています。アニメーションの現場は、いま大きな過渡期に入っていると思いますので、ほかのスタジオとも情報交換をしながら、今後より効率的なかたちを模索していきたいと思っています。おそらく『閃光のハサウェイ』を作っている間も、どんどんと状況が変わっていくと思うので、そのあたりも今後考えていきたいと思っています。

前編はこちら

取材・文=志田英邦

村瀬修功(むらせ・しゅうこう)
アニメーション監督、演出家。監督としての代表作に『虐殺器官』『Witch Hunter ROBIN』『Ergo Proxy』『GANGSTA.』、キャラクターデザイナーとしての代表作に『新機動戦記ガンダムW』『ガサラキ』『アルジェントソーマ』、ゲーム『ファイナルファンタジーIX』がある。