死因究明の「地域格差」問題。死の「尊厳」をどう守るか、異状死の現場と向き合うこと
公開日:2021/11/30
家族や医師、看護師に看取られるのではなく、病院外で死亡する人びとは「異状死」と分類されている。その数は年間で17万人。ただ、その中でも死因が究明されるのはごく一部で、何をもって死亡したのか、理由がはっきりしないまま処理される遺体もあるという。
異状死に潜む格差。その実態を憂い「この国では人は死してなお平等ではない」と訴えるのは、書籍『死体格差 異状死17万人の衝撃』(山田敏弘/新潮社)だ。人の死と日常的に向き合う法医学者たちの証言は、コロナ禍以降の「知られざる死の現場」の実態を浮き彫りにする。
事件性なしの場合に死亡理由が追求されないケースも
国内における死因究明の現場には「混乱」がある。病院外で死体が発見された場合、日本ではまず通報を受けた警察官により「検視」が行われる。担当するのは「警視や警部の階級にあり、刑事歴10年以上の経験または殺人事件などの捜査に4年以上従事」し、なおかつ、警察大学校で法医学などの研修を受けた検視官だ。
事件性があると判断されると、刑事事件の証拠として使われる可能性もあるため「司法解剖」に回される。
一方、事件性がないと判断された場合、ほとんどの地域では検視を経て、そのまま火葬されるケースが多い。役所への届け出「検案書」に、警察と協力関係にある警察医が書く理由に「心不全」などの死因を記載するが、あくまでも便宜上の意味でしかない。そもそも検視官も法医学の専門家ではなく、表面的な状況を判断するのみで、死亡理由が推測の域を出ないまま処理されてしまう。
ただ、例外として、事件性がなくとも行政解剖により死因を究明する制度「監察医制度」もある。しかし、自治体が費用を負担するこの制度が機能しているのは、大都市圏の東京23区と大阪府大阪市、兵庫県神戸市のみ。異状死の場合、死ぬ場所によりその扱いが大きく変わる「地域格差」が生まれているのだ。
解剖結果が“冤罪”の引き金になる可能性も
本書によれば日本人は「法医学が好き」だという。ドラマでも『法医学教室の事件ファイル』『アンナチュラル』『監察医 朝顔』『女王の法医学〜屍活師〜』など人気作が多く、その仕事へ間接的にふれる機会は意外と多い。
ただ、テレビや映画の中の世界と現実は別物だ。例えば、ある法医学者の証言によると、実際の刑事事件においては死因究明が軽視されるときもあるようだ。
「警察や検察が捜査によって自分たちの都合のいいように組み立てた見立てを“補完する”証拠として法医学が使われてしまうこともあるのです。その見立てが、ご遺体から判明した法医学的な事実と矛盾していてもね」(『死体格差 異状死17万人の衝撃』p.34)
死亡事件の発生時、医学的見地からその状況を専門的に調べられるのは法医学者しかいない。司法解剖を経て事件性が認められ、被疑者の逮捕、検察への送致を経て、裁判が開かれる刑事手続きの流れでは、解剖結果に対して「客観性や正当性が適切に扱われないケース」もある。そう指摘する法医学者も少なからずいて、結果的に「冤罪」の引き金になってしまう場合もあるという。
孤独死に潜む法医学者たちのジレンマ
社会問題化している孤独死の現場でも、異状死と向き合う法医学者たちのジレンマが垣間見える。
イメージでは単身者がひっそりと死を迎える光景が思い浮かぶが、自宅での介護などが増えている今は「同居孤独死」という言葉もある。しかし、死因究明はたやすくない。例えば、家族のネグレクトにより死亡した場合だ。きちんと解剖に回されず、警察医が一筆「心筋梗塞」などと書いてしまえば「犯罪の認定は困難になる」という。
ある法医学者は「異常ってなんだろうと。時代や文化、国によってもその異常というのはまず違いますよね。そこを知りたい」と主張する。昨今、日本でも在宅の「看取り」を推し進めようとする動きもある。しかし、地域格差のある現行の制度で、死体の「尊厳」をどこまで守れるかは疑問だ。
著者は「どんな時代になっても、結局、人間は誰しも、生まれた以上は死ぬ運命にある」と述べる。今、生きている私たちにとっても、けっして無関係ではない。自分がやがて死に至ったとき、真実と異なる形で葬られてしまったらどうか。本書はそう、私たちに訴えかけてくる。
文=カネコシュウヘイ