9年越しの圧倒的な1冊『残月記』小田雅久仁氏は、何を思って書き上げたのか?

小説・エッセイ

更新日:2021/12/6

『残月記』

ファンタジー作家としてのバカでかい想像力と、「文学」としか呼びようのない文章の濃度─。小田雅久仁が前著から9年超のインターバルを経て、待望の第3作『残月記』をついに刊行した。

(取材・文=吉田大助 撮影=首藤幹夫)

「その間も短編は書いていたんですが、『残月記』の最後の一編を書いていた時に体調を崩してしまい、しばらく療養していたんです。ようやく出せた新しい本なので、たくさんの人に読んでもらいたいですね。そもそも企画の始まりから、”たくさんの人に”という思いはあったんです」

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 第21回日本ファンタジーノベル大賞受賞のデビュー作『増大派に告ぐ』は、現代社会の闇をファンタジーに変換した群像長編。第3回Twitter文学賞国内編第1位を獲得した第2作『本にだって雄と雌があります』は、本も結婚するし出産もする……というケッタイな想像力が爆発していた。本書には、月を共通モチーフに据えた全3編が収録されている。誰もが想像力を掻き立てられる、キャッチーな題材だ。

「1作目の内容が暗すぎて売れなかったので、2作目でガラッと明るめに変えてみたら、もともと明るい人間ではないので疲れ果ててしまって(笑)。次は少しリラックスした”自分なりの娯楽小説”というイメージで、7編入りの短編集を作ろうと思いました。7といえば月火水木金土日かなと浮かんで、まずは”月”を題材にした一編を書いてみよう、と。その一編が予想以上に長くなってしまい、当初のプランは諦めて”月”一本でいくことになったんです」

 第1編のタイトルは、「そして月がふりかえる」だ。

 43歳の大学教授・大槻高志は、妻の詩織と二人の幼い子供を連れて、夜のファミリーレストランへと足を運ぶ。トイレに入りふと窓外に視線を向けると、〈尊大なまでに際立った満月が目に飛びこんできた〉。トイレを出ると店内は静まり返っており、そこにいた全員が動かずに月をじっと見ていた。自分以外が全て止まった世界で、高志は月が少しずつ回転していることに気づく。〈やがて回転が止まった。かつて見せたことのない裏側の月世界をさらして、ぴたりと静止した。こちらこそが本当の顔だと言わんばかりに〉。その数瞬後、静止した世界が再び動き出した。テーブルに戻ると、妻は「どなたですか?」と言った─。

「月の裏側の画像を、ネットで見たことがあったんです。画像はクレーターの凹凸の陰影が誇張されていたこともあり、ものすごく不気味だったんですね。こちらが月の表側に回った世界では、不気味なことが起こるだろうな、と。その時に、だいぶ昔に読んだフィリップ・K・ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』を思い出しました。それが、自分の存在を周りからすっかり忘れられてしまう男の話なんです」

 主人公はその後、どんな行動をしたか。自分の主張を他人に信じてもらうことなどまず不可能な状況において、何ができるか……。個々の展開にも抜群の説得力が宿るが、主人公が直面する非日常の絶望を、匂い立つような文章で掬いあげていく筆致がなにより素晴らしい。〈人間としての存在の関節を無理やりもどしたような気色悪い動き〉といった比喩表現の数々は、非現実的な世界の解像度を高めている。

「ファンタジーって、現実では絶対に起こり得ないことが起こったりしますよね。そういった場面を書く時って、僕自身も我に返ってしまいがちなんです。ありえない場面を書いている時ほど、説得力のある書き方をしなければいけない。読者がどういうふうに思うかというよりは、まず第一に自分を説得するための文章を書くよう心がけています。比喩表現に関しても同じですね。非現実的な出来事に対する微妙なニュアンスを丁寧に拾っていくことは、僕自身が作品世界から振り落とされないための手段なんです」

 その選択が結果的に、読者を作品世界にのめり込ませることへと繋がっていくのだ。

ラブストーリーになるのは必然だったかもしれません

 第2編「月景石」は、ファンタジー作家としての想像力がさらに炸裂している。月の異世界をまるごと創出しているのだ。

 主人公は、幼少期に叔母から風景石─月面から見た青い地球と巨樹が描かれているように見える─を譲り受けた32歳の女性・澄香。石を枕の下に入れて眠ると月へ行ける、という叔母の言葉を思い出し試してみると、大月桂樹の力によって生物の生存可能となった月世界で暮らす“スミカドゥミ”として覚醒する。一種の転生ものだ。

「ファンタジーでありがちな設定を、自分なりにやってみたらどういうものができるかなという発想で考えていった話なんです。大きな樹というモチーフも、『天空の城ラピュタ』や『ドラゴンクエスト』などに出てきますよね。オリジナリティがあるとしたら、胸に石が埋め込まれた”イシダキ”という民族の設定かなと思います。”イシダキ”だから表現できたクライマックスは、むしろB級ホラーっぽいと思います(笑)」

 この一編における最大の衝撃は、ラストの光景だ。誰も見たことがないその「絵」は、読めば必ず、脳裏に焼き付いて離れなくなる。

「主人公が現実と異世界を行ったり来たりしていった先で、最後にどうなるか。僕は小説を書くにあたっていつも、”絵になる場面”が欲しいなと思ってしまうんですよ。”絵になる場面”を先に思いついて、その場面が出てくる物語ってどういうものだろうと考える場合もあります。2編目でいえば、やはり最後の場面も書きたい”絵”だった。自分の頭の中にしかないものを、どうにか文章で表現したい気持ちは常にありますね」

 そして最終第3編「残月記」では、この作家のハリウッド的想像力が全面展開される。

「月といえば狼男というイメージから、満月の力によって身体能力が上がった人間が、剣闘士として戦う話はどうかなと思ったんです」

 その世界では「月昂」というウイルス性の病気が蔓延し、患者(月昂者)は満月になると躁状態となって事件を起こすなど社会問題となっていた。独裁者・下條拓による全体主義国家が実現した近未来日本は、月昂者を逮捕・監禁することでウイルスの封じ込めを図る。だが、捕らえられた月昂者の一部は剣闘士となり、闘技場で決死の戦いを余儀なくされていた……。実はこの一編は、芸術小説であり、ラブストーリーでもある。

「小説を書くにあたって、他の芸術を出したいなって気持ちがいつもあるんです。そうすることで僕自身に繋がるような部分が出てくるのと同時に、自分とは全く違うタイプの創作者を出すことで、登場人物に幅が出るという思いもあります。そこは意識していたんですが、ラブストーリーにしようという意識は正直なかったんです。ただ、今回の3編は”主人公と、主人公が執着を抱くもう一人”という組み合わせを人間関係の軸にしています。剣闘士としての戦いを終えた主人公には、もはや男女間の愛しか残されていなかった。ラブストーリーになったのは、必然だったのかもしれません」

 ファンタジーだから表現できたこのあまりにも大きな愛こそが、作家にとって何よりの新境地。9年待った甲斐のある、圧巻の一冊だった。

「現実では起こり得ないこと、手に入れられないことや味わえないことが、ファンタジーの中でなら体験できる。現実に退屈しているのかもしれませんね、僕自身が。だからこれからもきっと、ファンタジーを書き続けていくんだと思います」

 

小田雅久仁
おだ・まさくに●1974年、宮城県生まれ。関西大学法学部政治学科卒業。2009年『増大派に告ぐ』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。13年、受賞後第1作の『本にだって雄と雌があります』で第3回Twitter文学賞国内編第1位。『残月記』は9年ぶりとなる待望の新刊。