高貴なる人々も避けては通れない“縁談”…『李王家の縁談』林真理子さんインタビュー
更新日:2021/12/10
駐イタリア特命全権公使の父をもち、ローマで生まれたから、イタリアの子という意味で「伊都子(いつこ)」。明仁上皇(あきひとじょうこう)の大叔父である、旧皇族・梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう)と結婚した梨本宮伊都子を主人公に、皇族のめくるめく結婚譚を描いた林真理子さんの最新小説『李王家の縁談』(文藝春秋)。〈皇族華族の内面をこれほど正確に描ききった小説は読んだことがない。傑作である。〉と歴史学者の磯田道史氏も絶賛した同作について、林さんにお話をうかがった。
(取材・文=立花もも 撮影=内海裕之)
――梨本宮伊都子さんにご興味をもたれたきっかけはなんだったんですか?
林真理子(以下、林さん):もともと、皇族や家族といったやんごとなき方々には非常に興味があって、関連書が出るたび、必ず買って読んでいたんですよ。高松宮妃殿下や継宮妃殿下が書かれたご本とかね。だから、2008年に歴史学者の小田部(雄次)さんが『梨本宮伊都子妃の日記』を出されたときも、当然、手にとったんですけれど、それまで受け取っていた彼女の印象とまるで違ったんですね。伊都子さんの娘・方子さんは、18歳で当時の朝鮮李王朝の王子・李王垠に嫁いだ方ですが、それは日本政府の外交に利用されてしまったからだとする向きが、歴史の授業でも読んできた本でも、強かった。でも、伊都子さんの日記を読むと「いろんなところに頼んでいた縁談がようやくまとまった」というような記述があり、むしろ彼女が積極的にとりまとめていたということが、わかる。
――作中でも、皇太子妃の候補からはずれてしまった娘を案じた伊都子さんが、どうにか釣り合いのとれる相手を探そうと、李王朝の王子をみさだめた、という流れになっていますね。
林さん:フェリス女学院大学の新城道彦准教授が書かれたご本に、宗秩寮(宮内庁の部局のひとつ)の小原駩吉(おはらせんきち)という方が、「あれは伊都子さんから頼まれて私がまとめた縁談なんです」って講演会で話したという記録もあると書かれていて。彼女たちは、私たちが想像していたような、日朝(日韓)交流の犠牲になった方ではなかったんですよね。それに伊都子さんは、李王家最後の姫君である徳恵さんと宗武志(そうたけゆき)伯爵の結婚に関与していたことも、日記を読んでわかりました。日記を読む数年前に、2人の写真を見たことがあったんですけど、こんなにかっこいい人がいるんだろうかってくらい、すらりとハンサムな宗武志さんに対し、徳恵さんは妙に陰鬱とした雰囲気で、どうしたんだろうかと気になっていたんですよね。
――それで、ふたつの李王家との結婚を軸に、歴史をとらえなおす物語を描こうと。
林さん:そんなところです。ただ、世の中には数多くの良質なドキュメンタリーや学術書があって。作家は、みなさんが苦労して長年かけて集めた資料を拝借し、勝手に料理するわけじゃないですか。それはとても失礼な行為だと思うので、小田部先生をはじめとする資料関係者の方々には、できるだけじかにお目にかかって、ご挨拶するようにしていました。
――物語としては、どんな味つけをされることに、こだわったのでしょう。
林さん:やっぱり、会話ですね。資料には、事実は書かれているけれど、実際に皇族の方々がどんなふうにおしゃべりされていたのか、わからない。今だって、表向きに発せられるお言葉しか聞いたことがないじゃないですか。よくよく調べてみると、ふだんはわりとざっくばらんな言葉遣いをしていたらしいことがわかったので、読者にも親しみやすい会話文で展開させることにはしたんですが……同じ言葉でも、発する側のメンタリティは全然違うはず。基本的に、身分の低い者は眼中にないだろうし、我々のような下々の者は同じ人間とも思われていないでしょう。そんな、高貴な傲慢さを想像しながら書くのは、やはり難しかったですね。
――結婚、というものに対する価値観も、きっと全然違いますよね。
林さん:違うと思います。立場も違えば、時代も違いますから。ときどきドラマを観ていると、戦前・戦時中を描いているものでも、「人間は平等だ」みたいなことを言う人たちが登場することがあって、それは違うんじゃないか、と思うことが多いんですよね。もちろん、そのほうが共感されるんだとは思いますよ。今の私たちにとっては、それが正しい価値観なんですから。でも、現代の視点から過去をふりかえるのではなく、過去に立ってそのときの現実を見つめることが、やはり必要だと思うんです。当時は、人間の身分には絶対的な差があって、皇族は雲上の人たちだった。「結婚は、好きあっている者同士がすればいい」なんて考えは、存在しない。もちろん伊都子さんだって、方子さんの幸せを願ってはいたけれど、「いい結婚をすれば幸せになれる」と信じていたし、その「いい」というのにはやっぱり、身分や立場が上だということが絶対条件なんです。
――だから、宮家の人間と結婚させるよりは、王族である李王垠との縁談をまとめたかった。
林さん:そう。私も調べていて初めて知ったんですけど、皇族というのはみんながみんな由緒あるわけじゃなくて、維新のどさくさにまぎれて大量に増えた経緯があるんですよね。作中にも書きましたが、それをふまえたら伊都子さんが李王家との縁談に積極的だった理由もわかる。これも調べてわかったことですけど、当時の日本には朝鮮(韓国)の方は3000人しかいませんでした。留学生か、仕事で来ている方くらいだったんですね。だから、差別意識みたいなものも、それほど存在していなかった。私たちが教えられていた「泣く泣く嫁がされた」みたいな感覚のベースは、生まれていなかったんです。突飛な発想ではあったから、方子さんの縁談がまとまりそうになったら、市井からの過激な反対運動も起きましたけど、それも伊都子さんにとっては想定外だったでしょうね。とても合理的な女性でもあるので、身分とお金さえあれば別にいいじゃないって感じだったはずだから。傲慢、だけど、そういう偏見のない価値観は、伊都子さんの素敵なところだなと私は思います。
――だからこそ、読んでいて伊都子さんを好きになりながら、物語を読み進められたのだと思います。徳恵さんの身の上に対しても、誰より同情的で、優しいですよね。
林さん:まあ、施しを与えてあげるような感覚で、私たちの想像する寄り添うような優しさとはまた違うでしょうけどね(笑)。でも、皇族らしい愛情深さをもった方ではあるので、「私は大正の時代を生きるやんごとなき皇族妃なのだ」という意識を貫いて、物語は書いていました。ほんと、作家というのは女優みたいなものだな、とときどき思います。今、18歳の高校生役を演じろと言われたらちょっと難しい部分があるけれど、歳を重ねたぶん、伊都子さんのように貫禄のある女性の役も、説得力をもって演じることができるようになったのかもしれません。
――本書を読んでいると、歴史における「結婚」の役割みたいなものも見えて、すごく興味深かったです。
林さん:今とは、本当に感覚が違いますからね。1996年に徳川慶喜の孫にあたる榊原喜佐子さんが『徳川慶喜家の子ども部屋』という本を書いてベストセラーになりましたけど、正妻の子も側室の子も同じ屋根の下でふつうに一緒に暮らしていたのが、読むとわかるんですよね。その感覚も今とは大違いだし、正妻の子であるお姉さんだけが高松宮家に嫁いで、妹さんは地方の元藩主に嫁いでいく、というところにも「結婚」によって生まれる格差みたいなものを感じます。そんなふうに、長年、あたためていたテーマをようやく書けたこのタイミングで、現実でも皇室の結婚問題が盛り上がるとは思いませんでしたけど(笑)。現代の価値観であれこれ言いたくなる気持ちはわかりますが、理屈の正しさで立ち向かっても、なかなか難しいものがあると思いますね。その成り立ちと、歴史のなかで果たしてきた役割を考えると、いまだ多くの日本人感情を揺さぶる存在であるのは確かなんですから。
――物語は、上皇后美智子さまが皇太子妃になったところで幕を閉じますが、それに対する伊都子さんの反応も衝撃的でした。あれは、でも、実話なんですよね。
林さん:ああ、そうか。今の若い人は、知らないのか。みんなが知っているものだと思って私は書いていたから……。あれはね、最初からラストにしようと決めていたんです。読んで、新しい時代の幕開けだって思う人もいるだろうし、けっきょく古い価値観から逃れられなかった伊都子さんへのあわれみを覚える人もいるだろうし、それはもう、みなさんにお任せしたいなと思います。ちなみに、このとき伊都子さんと一緒に、美智子さまに対する反対運動を起こしたのが、柳原白蓮という華族のお姫様ですけれど。
――林さんの書かれた『白蓮れんれん』の主人公ですね。柴田錬三郎賞も受賞しました。
林さん:そう、そう。朝ドラの『花子とアン』でもちらっと描かれましたけど、彼女は帝大生と駆け落ちするという「白蓮事件」で有名になって。縁続きである白洲正子さんにも、反対運動に参加してよって連絡してきたらしいんですけど、そのときのことを「どんなに苦労しても、けっきょくお姫さまはお姫さまだ」みたいに白洲さんがエッセイに書いていて、おもしろいので、興味があったらあわせて読んでみてください。現実と重なるところもね、いろいろあるにはあるけれど。それはそれとして、やんごとなき方々の、華麗で煌びやかな人生って読んでいて楽しくないですか? まったく価値観が違うからこそ、こちらも一線をひいて「なにこれ、すごい」っておもしろがれるというか。今の作家さんは、時代を切り取った作品を本当に丹念にしっかり描かれるから、作家として感嘆することも多いんですけど、そちらにも軸を置きつつ、私は、現代の価値観からは見えない景色を、ふつうの日常からちょっとずれた場所から、作品に描いていけたらと思っています。