小説家だった/小林私「私事ですが、」

エンタメ

公開日:2021/12/11

美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。

小林私
イラスト:小林私

若かりし頃、物書きを目指していた。

学生時代に書いた小説で小さな賞をもらい、勢いで通っていた大学を辞めて上京。
当然それだけでは飯も食えず、交通整備や引越しの派遣をこなし、くたくたになった体で帰宅するや否や机に向かい、気付けば近所の鶏の鳴き声で目を覚ます毎日を繰り返していた。

初めの頃は喜んで迎え入れてくれた出版社も次第に退屈そうな顔で原稿用紙を突っ返すようになった。働き詰めでおかしくなっていたのか、そんな日々は楽しくもあった。

 

作家としての私─竹久夢一(たけひさゆめいち)─の転機は突然訪れた。
いつも私の原稿を読みながら欠伸をしている担当編集者が、その日ばかりは食い入るように読んでいた。嬉しかった。

思い返せばここ数年鳴かず飛ばずの私が持ってくる原稿に律儀に目を通し続けてはいた。
なんだかんだ期待はしてくれていたんだ。

「この話は面白い。だが日本ではウケない、だから海外を視野に入れて出版しよう。」

要約するとそんなようなことを言われた。
いい加減この生活から抜け出さねばとは考えていたし、日本では受け入れ難いと言われた事実よりも出版出来る喜びが遥かに勝り、その話に飛びついた。

その”海外向け”の出版にあたって、実に腕のいい翻訳家がいると聞かされた。
どんな言語もたちまちその国の言葉に直してしまうらしいと担当編集は言っていた。

彼も今まで私の原稿に目を通しながら、しかし到底ヒット作と呼べるようなものに出会えず長らくやきもきしていたところで今回持ち込まれた原稿の出来に高揚していた。

二人のその高揚は、焦りに近かった。

今すぐ翻訳を頼み、出来るだけ早く出版しようという彼の思惑はすぐにでも作家として名乗りを上げたかった私の思惑と一致した。
だから私も彼も、誰が伝えたかその大袈裟な評判を気にも留めなかった。

 

 

ああ、再翻訳された完成原稿を読んだときは唖然としたよ。君も読んだろう、

“メモリアル・バーガーショップ”。

あれは”思いでの喫茶店”というタイトルだった。

 

その翻訳家、確かに腕がいい。何でもかんでも訳しちまった。
思いでがメモリアルなのはまあ、いい。だが喫茶店がバーガーショップというのはどういうことだ

主人公の六角茂人(ろっかくしげと)はジュード・ロウに変えられていて、ヒロインの富田フネ(とみたふね)はトム・クルーズ。男じゃないか!

他にもある、私の書いた文章はこうだった。

 

『フネは確かにあの喫茶店があった場所へ向かったはずだ。たとえ間に合わずとも茂人は懸命に走った。降り注ぐ雨粒は強く茂人の体を打ったが、あの場所にはひさしが残っていたから、フネが風邪をひかなければそれでいいと思えた。』

 

『ヤツはバーガーショップへ向かったよ。ならばと、トムはあの野郎から奪ったオンボロで唸りを上げながらかっ飛ばしたんだ!俺がずぶ濡れでも構わねえ。何故かって? ヤツは屋根があるところにしかいかないからさ!』

これじゃあどこぞのアクション映画……というか日本語じゃないか!

 

 

「それでも先生は、めげずに本を書き続けたんですね」

 

相槌を打つ俺はもう既に、ベストセラー作家へのインタビューへの気後れなど消え去り、次々と怒号の如く放たれる真実をメモするのに必死だった。

 

「物書きだったのは若かりし頃と言っただろう。今の私は、一体…」

 

消え入りそうな声で独りごちる老人に、俺はもう質問など思いつかなかった。

 

「…それでは、本日は先生もお疲れでしょうし、インタビューはこのへんで…

本日はありがとうございました、フィンセント・ファン・ヨンホ先生。」

 

その名前ももう聞きたくないとでもいうふうに、彼はついに黙って背を向けた。

 

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタートし、2020年6月に1st EP『生活』を発表。シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信し、支持を集めている。6月30日、デジタルオンリーの新作EP『後付』(あとづけ)を発表。また、5月に配信オンリーでリリースしたEP『包装』が、“サラダとタコメーター”(Acoustic Ver.) をボーナストラックとして追加、タワーレコード限定で発売中。J-WAVE (81.3FM) 「SONAR MUSIC」内「SONAR’S ROOM」毎週月曜日パーソナリティを担当中。

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