「俺がその時々で言うことが変わるくらい、弟子なら判りそうなもんじゃねえか」立川談志の前座に16年半居座った男の証言

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/18

談志のはなし
『談志のはなし』(立川キウイ/新潮社)

「談志が死んだ」

 落語家の立川談志が亡くなり、10年になる。弟子の高座に行けば師匠の悪口がマクラに語られ、足を運ぶお客はソレも愉しみにしているから大いにウケて、会場はドッカンドッカンと沸いた。そんな弟子たちの中でも異色なのが立川キウイで、このたび『談志のはなし』(新潮社)を上梓した。著者である立川キウイは「万年前座」と呼ばれ、落語史上に残る最長の前座生活16年の間に破門されること3回という御仁。それでも去らないものだから談志のほうが音を上げて、二つ目にしてやるから辞めてくれといわれて昇進したなどという噂話を聞いたことがあるのだけれど、本当の経緯は最初の著書『万年前座』に記されている。2冊目となる本書によれば、『万年前座』を談志に届けたときの第一声が「お前、字が書けるんだな」というもので、それに続き「よく書けてる、えらい、ほめてやる、お前、真打ちになっていい」と言われて、二つ目から真打ちへと昇進したのだとか。著者も、「最初、何を言ってるのか分かりませんでした。日本語なんだけど全く意味が通じてこなかったです」と述べている。すごい展開だ。

弟子の書いた本に本気の嫉妬! 書評で褒めた弟子のほうをクビに?

 本を出している弟子は他にもおり、有名なのはジャニーズの二宮和也主演でドラマ化もされた、『赤めだか』を書いた談春だろう。当時のことを語ったところによれば、談志の周りの人たちは『赤めだか』を褒めちぎっていたそうで、談志御用達の銀座のバーを訪れたお客たちも次々と褒めていた。お客からしたら悪気はなく、むしろ談春を褒めるようにして、談志を褒めていたのである。しかし横で聞いていた著者は、「師匠のコメカミがピクッと引きつったのを僕は見逃しませんでした」とのこと。ところがその嫉妬からの怒りは談春ではなく、応援のために書評を書いた談四楼へと向かってしまう。

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「談四楼はクビだ。あんな本を持ち上げやがって」と怒り狂う談志に、何を持ってお詫びに行けば良いかと、著者は談四楼から相談を受ける。

 なんとも理不尽な話なれど、談志は嫉妬について談春に「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みをあげつらって、自分のレベルにまで下げる行為」と、教えていたそうで、自身の嫉妬を理解しているがゆえに談春ではなく談四楼に怒りが向かったのだろうと著者は推察している。なお、後日に談志が談四楼に「怒りすぎた」と言って、破門の話は立ち消えになった模様。分かっていてもままならない感情はあるものだ、というところに人間味を感じる。

談志が出演するか待つのもイベント!? 「トリは一番終いに出る」

 ファンの間では、談志が高座に「遅刻」あるいは「来ない」というのは、よく知られたこと。著者はソレを特別な体験ができる、「イベント」と呼んでいる。とはいえ、大変なのは前座である。イベントを喜んでくれるお客ばかりではないから、弟子たちは前座で一席やりながら「師匠、早く来て下さい」と祈るばかり。「早く談志を出せー!」「談志は来ないのかー!」「出ないなら帰るぞー!」などとヤジが客席から飛んできて、しかしよくよく著者が目を凝らしてみれば、ヤジを飛ばしているのは談志だったとか。

 遅刻ばかりでなく、「来たけど落語をやらない」ということもあった。前日に中村勘三郎(当時は勘九郎)とバーで呑んでいた談志は、家に連れていくと朝まで呑み明かし、楽屋入りしたものの一席やるなどとても無理な状態。そこへ駆けつけたのが、当時バイク事故を起こして右目にガーゼをつけたままのビートたけしで、談志は自分の代わりにお客に謝るよう命じる。談志から立川錦之助の名前をもらっていたたけしは、師匠に頼られたのが嬉しかったのか「しょうがねえオヤジだなぁー」と笑って引き受けたそうだ。著者によれば、談志はプライベートな待ち合わせに遅れることは滅多になく、「自ら仕掛けなければ栄光はない」と語っていた談志の演出だったのではと述懐していた。というのも勘三郎とバーで同席していた、立川藤志楼の高座名を与えている放送作家の高田文夫に、昨夜のうちにたけしを呼ぶよう言いつけてあったというのだから驚きだ。

個性は伸ばすものではない? 「どんな形にハメられても個性は消えない」

 なにかと型破りのように思える談志だが、著者は「師匠は基本を重視される方でした」と語っている。普段は弟子たちを翻弄するのに、「師匠は二人きりになると妙に優しくなる」ことがあり、そのときに色々と教えられたそうで、その一つが基礎について。

「いいか、基礎をやっていれば必ず残れる。迷ったら基本にかえれ。自分を過信する奴は馬鹿だ。残ってる奴は基礎がある奴だ」

 そういえば別の弟子の書いた本には、落語家というのは相手を愉しませるためならば息を吐くように嘘をつくから、落語家の書いた本なんて信じちゃいけませんと記されていた。愉しませるためのホラもご愛敬なのかもしれない。とはいえ、「普段の師匠をもっと知って欲しい」と書かれた本書は実に素直で、純粋な想い出話として愉しめた。弟子への嫉妬を包み隠さない人間臭さに、周囲を困惑させる型破りさと、己の落語にかける芸人魂。どれを取っても期待していた談志のイメージ通りであった。

文=清水銀嶺