ただ恋愛を描くだけじゃない! 多様化するラブコメ映画をどう観るか。ジェーン・スー×高橋芳朗の目から鱗な対談エッセイ!

暮らし

公開日:2021/12/16

新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない
『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座』(ジェーン・スー,高橋芳朗/ポプラ社)

 ジェーン・スーさんと高橋芳朗さんの新刊/の書評をするにあたって、先に一言だけ申し上げたい。本書は決して、ラブコメ映画好き“だけ”に向けた本ではない。ラブコメ映画が苦手な人や、これまであまり観てきていない人ほど、驚きや学びがあり、偏見を取り払える本である。

 私自身、恋愛モノというジャンルがあまり得意ではない。ラブコメとシリアスな恋愛モノは厳密には別物だが、とにかく恋愛全般ひっくるめて苦手なのだ。中学生時代、クラスのほとんどの子が(女子のみならず男子も)『タイタニック』に涙していた中、ひとりちっとも泣き所がわからず話に入れなかったときの、あの肩身の狭さを忘れた日はない。猫も杓子も月9のドラマに熱中していた90年代後半、観ても心が何ひとつ動かない自分の感受性の鈍さに枕を濡らした日もあった。「女の子ってこういうの好きなんでしょ」と女性向け=恋愛モノと短絡的に決めつけられる世の風潮に対する反骨心もあるだろう。こうした様々な積み重ねでラブコメアレルギーをこじらせたままになっている。いい加減、雪解けの日を迎えたい。

 読み始めてまず驚いたのは、2作目に紹介されていた『プラダを着た悪魔』だ。私の中で、『プラダ』は苦手なラブコメ映画の対極に位置する映画、というイメージである。ラブコメ苦手な身としては、主人公が愛だの恋だのにめそめそする姿なんかよりも、仕事や事件の解決に奮闘するカッコいい姿を見せてほしいわけだ。昔観た『プラダ』はまさにそうしたカッコよさが今でも印象に残っている。

advertisement

 なのに、だ。しょっぱなから『プラダを着た悪魔』がラブコメとして紹介されている。あれってラブコメだったっけ……? あらすじを読み返すと確かに主人公には恋人がいた。だが、本作の中心は、メリル・ストリープ演じるカリスマ編集長のミランダと、アン・ハサウェイ演じる主人公のアンディとのドタバタ劇。主人公の恋人の存在など、ほとんどの人の記憶から抹消されているのではないだろうか。一体なぜこの作品が取り上げられたのだろう、と読み進めると、ミランダとアンディの関係は、視点を変えればプラトニック・ラブだとジェーン・スーさんは指摘する。

スー 最初はミランダに反発していたアンディが、彼女の仕事っぷりとカリスマ性と生きざまに徐々に惹かれていく話。「認めさせてやる!」が「認められたい!」になり、ミランダの弱さを知ったあとは「役に立ちたい、助けたい」になって、最後には彼女からの自立でしょ? これって往年のメロドラマの筋書きじゃん。

 すごい。すごすぎる。さすが天下のジェーン・スー様。言われてみればものすごく納得できる。ラブコメって、文字通り恋愛のすったもんだを見るだけでなく、こういう見方をするのもアリなのか……。ラブコメ、面白いかもしれない……!

 この本を読めば読むほど、自分がいかに「ラブコメ」を誤解していたかがわかる。私はどちらかというとラブコメは、受け身な女の子が恋に恋する物語だと思っていた。例えばスーさんは『キューティ・ブロンド』について「偏見と戦った女の子の話」だと語る。彼女たちは自分の意志を持って、なりたい自分になれるよう模索しているのだ。スーさんと高橋さんの解説で、ラブコメにも女の子たちが主体的に頑張る“カッコいい要素”はちゃんとあるのだと初めて知った。

 また、今の時代、LGBTQ+のラブコメもあれば、男女のジェンダーロールに物申すラブコメもある。男女の社会的役割が逆転した世界を描く『軽い男じゃないのよ』は、「男女の設定を逆にしただけなのに、女の取り囲む現状が如何にキツいか、気づきたくないレベルまで気づいちゃった」(スーさん)、「これ、世の中の見え方が変わる映画としては最強クラスなんじゃないかな」(高橋さん)、と恐ろしい映画らしい。つまり、今やラブコメ界は通り一遍な物語にとどまらず、テーマやメッセージ性が多岐にわたっているのだ。

 こうしたラブコメのバリエーションが増えたのは、2010年代後半以降のことだそう。「ポリティカルコレクトネスが重要視されるようになり、啓蒙的な自分探しや既存の固定観念を破壊する作品が続々生まれています」(スーさん)。ラブコメ映画が恋愛や結婚をベースにしながらも、新たな可能性に挑戦するようになったのは、その少し前の2000年頃から徐々に始まった流れとのこと。

 ようやくわかった。私がこんなにもラブコメアレルギーをこじらせた最大の理由はおそらくここにある。私が多感な10代を過ごした頃、世はまだ古典的なラブコメで溢れかえっていたのだ。それが軒並みピンと来なかった結果、ラブコメを早々に「観なくていいやフォルダ」にぶち込んだ、というわけである。

 社会が多様化すれば、ラブコメも多様化する。多様化すると今度は自分に合うものを選ぶのに苦労するようにもなる。本書はその点でも名ガイドである。

 タイトルこそ『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座』と恋愛寄りの印象を受けるが、中身は骨太なファイター。往年のラブコメ好きから、ラブコメアレルギーまで、みんなまとめてかかってこい、と言わんばかりの魂の一冊だ。

文=朝井麻由美