「かが屋」加賀翔の自伝的小説『おおあんごう』――理不尽な言動をくりかえす父と11歳の少年の関係を文章で笑いに変える1冊
公開日:2021/12/20
「こんな置き方したらわし盗めてしまうでぇ!」と、盗める状態のものを見るたび大声で知らせてくる。ドラッグストアに上半身裸で入り、息子に商品をとってこさせ、理不尽な理由で激しいデコピンを食らわせる。
小説『おおあんごう』(講談社)で描かれる、主人公の父親がいかにハチャメチャな男かは、読みはじめて数ページで伝わってくるのだが、同時にそれが主人公の少年にとっては日常茶飯事で、改めて激怒するようなことではないということも、ひしひしと伝わってくる。淡々とした諦めの滲む少年と、マグマのように常にカッカと滾っている父親の対比に、冒頭から妙に切ない気持ちにさせられるのに、憐れむよりも不思議なおかしみが湧いてくる――その文体の妙にこそ、お笑い芸人でもある著者・加賀翔さんの力量はあるのかもしれない。
加賀さんは、お笑いコンビ「かが屋」として、「キングオブコント2019」では決勝にも進出した、今注目のお笑い芸人。趣味の短歌と自由律俳句のイベントにも出演する彼にとって本作は初小説であり、加賀さんをよく知る読者にとっては、加賀さんの背景をもうかがい知れる、自伝的小説ともとれるのだが――。加賀さんのプライベートトークを聴いたことがない、というのもあるだろうが、純粋に、冒頭からぐいぐいと引き込まれて読んでしまった。
主人公は草野大地という11歳の少年。父親は、大地の友人・伊勢の形容する“暴れん坊”という言葉ではかわいすぎるほど理不尽な言動をくりかえし、とくに酒を飲むと手を付けられない。車の試乗中、子どもをコンビニに置き去りにして走り去り、レンタルDVD(しかもエロ)を借りてくるという、何重にも非常識な行動に出ても「おもろかったろ?」と得意満面。要するに、抑制のきかない“子ども”なのだ。
ゴミ収集の業者として働いているだけ、まだマシなのかもしれないけれど、物語の中盤で心底反省して生まれ変わった様子を見せたのに、けっきょく何も変わらないどころか、悪化していくその姿は、いち読者であっても落胆してしまうほどだから、大地にとってはなおさらだろう。最初から諦めておくことで傷つかないようにする、小学生らしからぬそのたたずまいに、伊勢が「(そんな顔色を窺って生活せず)甘えたらええがん!」と叫ぶシーンがあるのだが、唯一の友人である伊勢とのやりとりを通じて、かわいそうだと思われたくない、無理をしているなんて思いたくない、大地の誇りが垣間見えて、グッとくる。
おおあんごう、というのは岡山弁で、父親の口癖だ。どういう意味だ、と聞いても父親は「おおあんごうがわからんちゅうことがおおあんごうじゃのう」と言う。明確な説明は、最後までない。けれど最後の最後、ふりしぼるように大地の口から飛び出した「このおおあんごうが!」という言葉は、どんな決別を果たしても彼らが親子であることを証明しているようで、なんとも言えない気持ちにさせられた。
どうしようもない父親でも、それでも愛してしまう。そんな湿っぽい言葉で締めくくりたくはない。けれど、日々の悲しみや口惜しさを、意地でも笑いに変えて、父親を憎みながらも情を捨てきれなかった少年の、そのたたずまいが、ただただ胸に沁みてしまうのだ。
文=立花もも