みんなが幸せになるには? お互いが価値を分かち合い、「いい仕事」をするだけ!/やりたいこと、全部やりたい。 自分の人生を自分で決めるための方法③
公開日:2021/12/27
立花佳代著の書籍『やりたいこと、全部やりたい。 自分の人生を自分で決めるための方法』から厳選して全7回連載でお届けします。今回は第3回です。シングルマザーとなり貯金ゼロからの起業。インドの小さな村発のアクセサリーブランドの立ち上げなど、やりたいことを全部やって人生を切り開いてきた、アクセサリーメーカー「スプリング」代表の立花佳代さん初の書籍です。自分も周りも幸せにするエシカルな生き方のヒントが満載の『やりたいこと、全部やりたい。 自分の人生を自分で決めるための方法』をお楽しみください! 物を売るのは誰でもできる。だけど、「ストーリー」をマネすることはできない。「いいもの」をつくり、「いい仕事」をすれば、みんなが幸せになれる。
お互いが幸せにならない「エシカル」には、意味がない
2004年10月、わたしはインドがどんな場所かも知らないまま訪れました。
本格的に事業をはじめるのは2008年ですが、このインド事業がのちにスプリングの主要事業のひとつへと育っていくことになります。
2008年といえば、日本で雑誌「VOGUE」が、「エシカルファッション」の特集を組んで話題となった年でした。
その4年前に現地へ行き、様々なものを見ることができたのは大きかったですが、そのとき当然「エシカル」という観点はありませんでした。
先に書いたように、ビジネス上の必要からインドへたどり着いただけでした。やりたかったのは、刺繍やビーズワークなどインドの伝統文化を活かし、クオリティーに厳しい日本の市場で勝負できるような、新しいアクセサリーをつくることです。
物を輸入するだけなら誰にだってできます。
当時も東南アジア周辺で物を仕入れる同業者はたくさんいましたが、その国の伝統工芸と日本のトレンドを掛け合わせた質の高い商品はなく、それをインドで実現したかったのです。
なぜ多くの人が、海外で商品をつくったり仕入れたりするのかというと、端的にいえばコストが安いからです。安い人件費でつくった安い商品を仕入れて、物価の高い国で売りさばくというビジネスです。
でも、その国しかできない技を使って、新しいなにかを生み出そうとする発想は、当時もいまもさほど多くありません。
試しに、市場に出ている「メイド・イン・インディア」の商品を手に取ってみてください。
大半が驚くほど値段が安いものばかりです。
だからこそ、多くの企業はそのビジネスで儲けているわけで、それらはファストファッションや100円ショップなどの商品として、数百円から数千円程度で売買されます。
でも、わたしはそんなものはつくりたくありませんでした。
いわゆる途上国の人々にお金を払い、いわゆる先進国向けに「まあまあ」の商品をつくってもらって、お互いになにかいいことが起こるでしょうか? 生産者や消費者の誰かが本当に幸せな気分になれるでしょうか? もちろん、現地には雇用が生まれますが、雇用なら違うかたちでも生むことはできます。
わたしが求めていたのは、インドの民族文化に根ざした高度な職人技が使われていて、かつ日本のファッション感度の鋭い人たちが納得してお金を払って(といっても求めやすい価格で)、楽しめるアクセサリーをつくることでした。
インドには、「手がこんでいるな」「どうやってつくっているの?」と思わずうならされる技術がたくさん受け継がれています。
それらを存分に活かして、日本市場向けの生産ラインをつくり、消費者であるわたしたちが商品に見合う対価をきちんと払えば、お互いに幸せになれるはずだと考えたのです。
前述しましたが、わたしは、「エシカル」を意識してインドの事業をはじめたわけではありません。根っからの商売人ですから、ただ「いいもの」をつくり、お互いに「いい仕事」がしたいと思っていただけです。それには国境なんてまったく関係がないことも、のちに詳しく紹介する韓国の全(チョン)さんとのパートナーシップで確信していました。
ひるがえっていまの時代は、生産にも消費にも「エシカル」という視点が重視されるようになり、ひとむかし前にくらべて隔世の感があります。
でも、ただ流行っているからではなく、結局は、「いかに他者のことに思いを馳せられるか」「お互いに思い合えるか」の話だとわたしは考えます。
お互いに力を合わせていいものをつくり、わたしは気持ちよく対価を支払って、相手は誇りとともに十分な報酬を受け取る。そして、お客さんに納得して買っていただき、幸せな気分を味わってもらう。
エシカルや社会貢献だと肩肘張ることではなく、まず「自分もほかの人も幸せになるためのなにか」がしたい。
そのほうが、みんなが幸せになっていいことも循環するし、なにより気持ちが楽になって、心地よく生きられるような気がしています。
商品は真似されても、「ストーリー」は真似できない
もうひとつ、わたしが、ただの輸入をしなかった理由があります。
それは、ただ輸入した商品だと意味がないと感じたから。
ただ輸入しただけだと、すぐにほかの誰かが真似をできるからです。
もちろん、インドから輸入することも、いい商品を見つけることも苦労はします。
でも、そこに、他人の心を動かすような「ストーリー」が生まれるとは思えないのです。
一方で、一緒になって新しいものをつくろうとすると、そこに「ストーリー」が生まれます。
いろいろな苦労であったり、つくり手の思いであったり、商品をつくる過程で生じる紆余曲折などの「ストーリー」は、わたしと、相手でしか紡ぎだせないものです。
それは、真似しようにも真似ができないものです。
そして、苦労すれば苦労するほど、「ストーリー」が魅力的になってくる。だからこそ、開発途中に大変なことがあっても、これで「ステキなストーリー」になるかもと考えられて、前向きになることもあります。
いま、これだけいろいろな情報がインターネットで行きかうなか、商品は真似されやすい時代になっています。なかなか、商品で差別化をはかることは難しい。
だからこそ、そのブランドや商品の持つオリジナルの「ストーリー」で差別化をはかることが、とても大切なのではないでしょうか。
「SDGs」「エシカル」の真ん中に、自分の「やりたいこと」を置く
「SDGs」や「エシカル」な生き方という言葉を聞くと、「いやいや、自分が生きることで手一杯だから」という人もいます。
でもこれは、そんなに難しいことではありません。
SDGsだと「持続可能な社会をつくる」、エシカルだと「倫理的、道徳的な生き方をする」……なにか壮大なことをしなくてはいけないような気になるのも無理はありませんが、本当はもっと、自分たちの身近なことなのです。
結局は、「やりたいことを全部やりたい」と思うかどうかではないでしょうか?
自分がどうしたいかと突き詰めると行動的になり、なんらかの結果を出すことができます。すると自分も幸せになるし、その流れのなかでまわりも幸せにすることができる。
いま手一杯なら、それはそれでいいのです。でも、SDGsやエシカルを意識した商品を買うことはできます。少しだけでも余裕があるなら、いまやっている仕事で、自分だけではなくまわりも幸せになることはできないかを考えることもできます。
結局、そうやって階段を一つひとつ上りながら、自分にできることをやっていく「半径1メートルのSDGs」を考えることが大切だと思うのです。
世の中にないアクセサリーをつくりたいという思いから、インドの小さな村と協働してアクセサリーづくりをはじめました。
そして気づけば村の暮らしに変化が見られ、村の女性たちも生き生きと仕事をして、生活に必要な設備が増えていきました。
自分がやってきたことが村の生活の向上に影響していると気づくことで、健康問題や教育問題などにも手を伸ばしていくようになりました。
そしていま、もっとエシカルな環境も考えたブランドにしたいと思い、使わなくなったアクセサリーをリサイクルする活動もはじめています。
いつだって活動の真ん中には、わたしだったり会社だったりの思いがありました。
エシカルもSDGsも、中心にあるのは自分の「やりたいこと」でいいのです。
誰かのためにとか、社会のためにとか考えるのは無理があるのでしょうし、それこそ流行りで終わってしまってはなんの意味もありません。本当の意味で持続可能な活動にしていくには、やはり自分自身を中心に置き、まずは1メートルの半径からSDGsの活動を意識していくことです。