自分のペースでゆっくりと! 「好きなこと」や「夢」に縛られずに生きる/やりたいこと、全部やりたい。 自分の人生を自分で決めるための方法⑥
公開日:2021/12/30
「好きなこと」や「夢」に縛られないで生きる
仕事の選択肢が格段に増えたいまの時代は、自分が「好きなこと」を第一条件として、仕事に求める傾向が強くなったようです。その意味では、とても幸せな時代になりました。
一方、自分が「好きなこと」を思いつくのは、難しくありませんか? 趣味や気晴らしのレベルなら、好きなことはいくらでも思いつくでしょう。でも、「好きなことを仕事にしよう」と当然のように考えることで、むしろ足が止まってしまう可能性もあると感じます。
自分の「好きなこと」は、そのまま手つかずのかたちで、どこかに用意されているものではありません。
そうではなく、「やれること」や「やらなければならないこと」に一生懸命に取り組むなかで、おのずと「好きなこと」が見出されていくのだと思います。
いま好きなことが見えなければ、まずは自分が「やれること」「やらなければならないこと」をがむしゃらに頑張ってみる。そうすれば、自分の道についても少し考えやすくなります。
若い頃、わたしには「やりたいこと」や「夢」がまったくありませんでした。そして、そんな夢がない自分がとても嫌だったのをよく覚えています。
わたしが夢をうまく描けなかった理由のひとつは、やはり家業─つまり、父と母の商売の印象が強過ぎたことが挙げられます。
わたしが生まれたのは、6畳と4畳半しかないとても小さな家で、そこには商品である靴下やストッキングが入った段ボール箱が、いつも部屋の隅にうず高く積まれていました。そして、家にいるときの両親はずっと商売の話をしているか、大声で喧嘩をしているかのどちらかでした。
まわりの大人たちも、いかにも〝昭和の商売人〟といった雰囲気をまとった人ばかり。取引先の営業、銀行員、近所の個性的な店主たちが入れ代わり立ち代わり次々やって来ては、両親と商売の話をしていくのでした。
そんなやり取りを幼い頃からずっと見聞きしながら育ったので、自分だけの夢を描こうにも、まわりの環境のインパクトが強過ぎて、どうにもうまく想像できなかったのです。
それこそ「ケーキ屋さんになりたい」と思ったとしても、そう思った瞬間取り巻く環境に圧倒されて、「なれるわけないやん」と、夢を抑え込んでしまうといえばわかりやすいでしょうか。
「夢」がないから、体も心も軽くいられる
そんな環境で生まれ育ち、わたしには特に「やりたいこと」もありませんでしたが、商売という慣れ親しんだ世界はいつだってわたしのまわりに存在していました。
好きか嫌いかもわからないまま、ただ「商売の基本」だけを、ずっと見聞きして育ったわけです。
それは例えば、値段設定のロジックや考え方。
それは例えば、原価とかかった費用と自分たちの利益との関係。
それは例えば、売り値と仕入れ値との関係性。
日常で見聞きしてきたことのすべてが、いまも記憶に深く刻み込まれています。
そして、その強烈な記憶は、はじめて自分の仕事を考えた20代の頃のわたしに、大きな影響を与えました。
つまりわたしにとっては、見たこともないような夢に思いを馳せるよりも、子どもの頃から見聞きしてきた世界のなかに、自分の「やりたいこと」もあると考えるほうが自然だったわけです。
100円のものを200円で売れば、100円の利益が出ます。利益が出たら、単純に「やった!」と、なんとも嬉しい気持ちになれました。
自分の思考や直感をフル活用して、山を張った仕入れが見事に当たったときの、なんともいえないドキドキする感覚。「このあたりかな?」と釣り糸を垂れたところに大きな魚がいて、手元の釣り竿が引っ張られるときの、「ほらやっぱり!」というゾクゾクする感触─。
そんな商売の魅力に、わたしは強く引き込まれていきました。
対象が魚ではなく、たまたま商品(商売)だっただけで、お金を儲けることよりも、とにかくその「当たった!」という感覚に20代のわたしは夢中になったのです。
「自分のやりたいことはやっぱり商売なんだ!」
なにかを目指したわけでもなく、ただ体でそう感じていたのだと思います。
こんな経験から、わたしは進路を迷っている若い人たちに、いつも「やりたいことや夢なんてなくても別に大丈夫だよ」といっています。
むしろ、夢がないから体も心も軽くいられる。
自分が本当に「やりたいこと」というのは、頭で考えるよりも、まずいま自分の体で実際に感じる感覚や、実感にこそヒントが示されているものです。
それは探して見つけるというよりも、ただそこにあるものを「感じる」ことです。
「やりたいこと探し」をするのは大いにけっこうですし、若い人に限らず、大人であっても、いまから本当にやりたいことを見つけていくのは、とても素晴らしいことでしょう。
そのとき、子どもの頃の記憶のなかにも、案外、大きな手掛かりが隠されている可能性があるかもしれません。
いずれにせよ、ここで伝えたいのは、それはもう「あなたのなかに準備されている」という事実です。そして、あなたがそれに「気づくだけ」なのを、いまかいまかと待ち構えているかもしれません。