「MGC」は長距離関係者のマインドセットを変えた。青学・原監督流リーダーシップ論/改革する思考
公開日:2022/2/10
箱根駅伝2022では、歴史的な快勝で6度目の総合優勝を果たすなど、陸上競技の指導者として数々の偉業を成し遂げてきた青山学院大学の原晋監督。『改革する思考』(原晋/KADOKAWA)では、同氏が異端児と言われながらも貫き通してきたリーダーシップ論を語る。ポストコロナの時代に求められるものとは。
※本稿は原晋:著の書籍『改革する思考』から一部抜粋・編集しました
MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)はなにを変えたのか?
日本陸連のマラソン強化プロジェクト「マラソングランドチャンピオンシップ・シリーズ」、みなさんが「MGC」と呼んだ東京オリンピックへ向けた代表争いの仕組みは、素晴らしいケーススタディとなりました。
これまでの選手選考では、選考レースにピークを合わせた、言葉は悪いけれども「一発屋」がオリンピックに派遣され、結果として世界と対等には勝負ができなかった。そこで日本陸連は、複数回、きちんと調子を合わせられることを証明できる「調整能力」と、世界に対抗できる「スピード」を求めました。
そこで、2017年から男子で言えば福岡国際、別府大分、東京、びわ湖毎日を選考対象レースとして(そのほか、海外のレースも含まれます)、ここで所定の順位、タイムをクリアした選手が代表決定レースである「MGCレース」に参加できる仕組みを作った。ターゲットが明示されれば、現場は強化へのロードマップが作りやすくなります。このマネージメント、仕組み作りが大成功だったのは2時間10分切りを達成した選手が次から次へと誕生したことからも明らかでしょう。
なぜ仕組みを変えただけでこれだけレベル、関心が高まったのでしょうか。私は指導者としての経験から2つの視点を提示してみたいと思います。
まずは、現場が強化発想の「改革」を迫られたことです。MGCの仕組みができる前、日本のマラソン界の発想はのんびりしたもの――いやいや、はっきり言えばまったく世界に対する準備ができていないに等しかった。
まず、大学生がマラソンに挑戦するという発想自体がありませんでした。関東の大学であれば、1月2日、3日の箱根駅伝が終わり、大学の後期試験を控えたなかでは満足なマラソン強化プログラムが作れないという固定観念があったからでしょう。
そうした消極的なマインドがベースにあり、実業団の方でも、世界とのスピード差を目の当たりにして、まずはトラックでのスピード強化に重点を置きました。5000mで13分30秒台、10000mで27分台を目指すというものです。そのスピードを培ってからハーフマラソンに移行し、そして28歳前後からようやくフルマラソンに“挑戦”するというスタンスです。
私は30歳手前から始まる挑戦では、遅すぎると思っていました。アメリカのプロスポーツなどを見ても、選手としての最盛期は25歳から30歳くらいまで、と言われています。だったら、そこにピークを合わせるべきではないのか。28歳から経験を積んだのではあまりにも遅すぎるでしょう。
私が考えていたのは、マラソン練習をしても若いうちならば回復も早い。だとしたら、夏場からフルマラソンをなんとなく意識したトレーニングを入れつつ、箱根駅伝が終わって、後期試験の勉強と並行してフルマラソンの準備をする。学生のうちに1本くらい走っておいた方がいいのではないか、と思うようになったのです。その方が、実業団に進んでからもマラソンへの心理的な障壁が低いはずです。
それまで日本のマラソンは、ストイックに練習に没頭することがスタンダードとされてきました。ひとりひとりが自分と向き合い、ハードな練習をこなしていく。いまは賑やかなキャラクターで通っている瀬古さんでさえも、現役時代は「走る修行僧」と言われていたほどです。
マラソンにだって、いろいろなアプローチがあってもいいじゃないですか
私としては、「本当にそうだろうか?」という思いがありました。マラソンを走るための正解がひとつしかないということはないだろう。ならば、そこに「改革」のチャンスがあるのではないか――。そう考えたのです。
本腰を入れてチャレンジした最初の大会は、リオデジャネイロ・オリンピックの選考会も兼ねた2016年の東京マラソンでした。
私は前年の夏合宿の最中に、学生たちに向かってこう言いました。
「マラソン走りたい人、手を挙げて」
私としては、マラソンを走ることのハードルをグッと下げたかったわけです。そんなにハードルが高いものではなく、希望があればチャレンジできるものだよ、と。
うれしいことにかなりの選手が手を挙げてくれました。さすが青学、チャレンジスピリットは旺盛です。複数の選手が立候補してくれたことで、私はこれまでの日本式の強化策ではなく、独自の「チーム・マネージメント」で東京マラソンに挑んでみようと考えました。ひとりで経験したことのない練習に向き合うのはつらい。だったら、みんなで、チームとして練習すれば乗り切れるんじゃないか。そういう改革する思考で練習に少しずつ変化を加えていきました。
基本的に大学生の場合、夏合宿から秋は駅伝を意識したトレーニングを積みます。最終ゴールである箱根駅伝はハーフマラソンとほぼ同じ距離を走りますから、それを意識して練習メニューを作っていくわけです。このシーズンは、マラソンをやや意識したメニューを付け加えていくなど、徐々に準備を進めていきました。
楽しみながら強くなって、何が問題なんでしょう?
振り返ってみると、私は学生諸君に感謝しなければなりません。よくぞ、私のアイデアに尻込みすることなく、果敢に挑戦してくれた、と。改革する思考は、指導者と選手の「両輪」がそろわないと実現できないものだからです。
「マラソン28歳挑戦発想」は、昭和のマラソントレーニングの負の遺産だったと私は思っています。本番に向けて、40km走を何本以上しなければならないとか、30km走で1時間30分を切らなければマラソンを走る資格はないとか、なんら科学的な根拠がないことを、みんなが盲信していたのではないかと思うのです。
そんなしんどいハードルばかり設定して、楽しいのでしょうか。まったく、楽しくない。スポーツの原点は楽しむことです。楽しみながら強くなったっていいじゃないか。私はそう思うのです。
コロナウイルス禍を経た社会では、働き方、考え方が大きく変わらざるを得ません。上の人の言うことに唯々諾々と従っているような人材は生き残れないでしょう。だからこそ、多様性を認めなければならない。もちろん、ひとりひとりの選手たちにも、自分で考えるというマインドセットを持ってもらわなければなりません。自分の考えを、自分の言葉で話せない選手は結果を残せない。その意味で、青学では表現力豊かな選手をリクルートしてきましたし、これからもその路線を変えるつもりはありません。うれしいことに、青学では1年生から取材にもきっちり対応できる選手が多いと自負しています。これは決して偶然ではありません。
これからの陸上界を変えるためには、学生の段階からどんどんアイデアをぶつけて欲しいのです。
駅伝に対するアプローチに新しいアイデアがあってもいい。マラソンに挑戦する方法が、何通りもあっていい。正解はひとつではないのですから。
また、MGCの仕組みが作られていくなかで、トレーニング方法もずいぶんと変わってきました。設楽悠太君みたいに毎週のようにレースに出ていくのもいい。30km走中心、ハーフマラソン中心でもいい。ひとつの型だけではなく、多種多様な考え方がマラソンへと結びつくようになってきたのがMGCの最大の収穫ではないでしょうか。実業団の指導者の発想も変わってきた気がします。
つまり、MGCは長距離関係者のマインドセットを大きく変えたのだと思います。
マインドセットが変わったことで、みんなが本気でオリンピックを目指すようになった。そこには実業団のコーチ陣のアイデア勝負の面も出てきます。つまり、競争が激しくなった。
すると、選手もどんどんいい顔になっていきました。発言も面白くなる。つまり、選手のキャラクター付けがハッキリしてきたのです。設楽悠太選手は自由奔放、大迫傑選手はMGCで3位となって代表権確定にまでは至らなかったものの、東京マラソンでは見事な記録で代表をもぎ取った。
一方で、中村匠吾選手は大八木監督との二人三脚が注目され、服部勇馬選手も大学時代から積み重ねてきた経験をプラスに変えることができた。
代表選考に絡んだ選手たちには物語があり、ファンのみなさんが感情移入したのではないでしょうか? いろいろな個性、多様性がぶつかる世界は面白い。そして業界として活性化し、永続的に発展していく。日本のマラソン界はMGCによって変わり、これから成長するチャンスを自らつかんだのです。
私は多様性を保証します。そういう環境で走りたい高校生がいるならば、青学としてはウェルカムです。ただし、規律は厳しく、競争は激しいですが。