なぜ、スピッツはこれほどまでに愛される? キーワードは「分裂」。全方位的スピッツ論!

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公開日:2022/1/18

スピッツ論
『スピッツ論』(伏見瞬/イースト・プレス)

〈スピッツの音楽は分裂している。それが本書の結論である〉という書き出しで始まる伏見瞬氏の『スピッツ論』(イースト・プレス)は、その見立てを様々な角度や切り口で精査した一冊だ。伏見氏は『現代ビジネス』などの媒体で、スピッツをはじめあいみょんやKing Gnuなどについても記している気鋭の批評家。初の単著となる本書では、歌詞、音響、演奏、コード進行、メロディ、タイム感、声質、ライヴなどについて、全方位的に論が進められる。以下、著者が言う「分裂」の例を具体的に記してみる。

 スピッツの音楽は、先鋭や前衛を目指した海外の(主流ではない)オルタナティヴ・ロックと、親しみやすい日本のポップス/歌謡曲を両またぎするものだ。著者はそうした状況を両極に“引き裂かれている”“分裂している”と表現する。

 例えば、2012年に出た『おるたな』というアルバムのタイトルが示唆的だろう。海外の尖ったロックである「オルタナ」に影響されながらも、自分たちは日本語で日本人向けの音楽をやっている。いや、やっていくしかない。そして、そこに矛盾を感じるミュージシャンも少なくなかった。

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 著者も指摘しているように、この矛盾をいち早く引き受けたのが、日本語ロックの始祖とされるはっぴいえんどだった。彼らのラスト・アルバム『HAPPY END』(73年)には「さよならアメリカ さよならニッポン」という曲が掉尾に置かれている。その背景には、日本語が分からない外国人には歌詞が伝わらず、アメリカの音楽を参照した曲は日本人に馴染まなかった、という事情がある。やはりここでも日本とアメリカの間での“分裂”というキーワードが浮上してくる。

 そうした流れを勘案すると、はっぴいえんど時代から作詞家として活躍してきた松本隆氏が歌詞を提供し、スピッツの草野マサムネ氏が曲を書いたChappie「水中メガネ」(1999年)は、今だからこそ訴求力を持つ隠れた名曲だと思う。日本語でロックをやるうえで同じ命題に苦しまされ、孤軍奮闘してきたであろう両者は、確かにここで交叉/交錯していたのだ。

 また、ポップなメロディのヒット曲を連発し、商業的にも成功したスピッツだが、本人たちは、自分たちの音楽が無害かつ安全なものとして消費されてゆくことに、違和感を抱えていた。それは98年に出た単行本『スピッツ』のインタビューでも記されている。そうした彼らの音楽の特性は、著者も記している通り、『とげまる』(2010年)というアルバム・タイトルに象徴される。一見ポップで親しみやすい音楽をやっているスピッツだが、単に「まる」くなったのではなく、常にこっそり「とげ」を隠し持っている。そう言えるだろう。

 次に草野氏の書く歌詞について。草野氏は前述の『スピッツ』等のインタビューで、〈俺が歌を作る時のテーマって“セックスと死”なんだと思うんですよ〉と述べたのはファンには有名な逸話だ。ここから先は『スピッツ論』を味読してほしいところだが、確かにセックスや生死は要所で重要なモチーフとされている。

 著者は性描写の暗喩らしき歌詞をいくつか引用しているが、確かにどれも淫靡で性行為をほのめかすラインである。「しんしん」「くるくる」「べちゃべちゃ」といったオノマトペの多用もそうした印象を強化している。そして著者は、幼児めいた擬音語を性行為と重ねて、ユーモラスに表現するのが草野氏の作詞の流儀だと述べている。

 最後に管見を。2021年デビュー30周年を迎えたスピッツだが、音楽的には(熟れてはいても)老いをまったく感じさせない。スピッツ仕切りのイベントでは有望な若手バンドやミュージシャンと対バンし、刺激も受けているようだ。バンド全体が常に新陳代謝を重ねているのだろう。メンバー全員が50代半ばとなるロック・バンドがどのように歳をとっていくのか? その難題に、誠実でリアルな模範解答を示してきたのがスピッツというバンドだ。そんな彼らの道のりを総括した本書は、スピッツをより深く知るための補助線となるだろう。

文=土佐有明