幽霊のいる窓(後編)/小林私「私事ですが、」

エンタメ

公開日:2022/1/23

美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。今回の『幽霊のいる窓』は前後編でお届けします。

小林私
イラスト:小林私

   五

 

 長野が一体どういうことだ、という顔で何か言おうとした矢先にチャイムが鳴った。二限終了と共に昼休みを告げるものだ。一日に二度も遮られるとは、間の悪い男である。

 「ちょっとここじゃあれかな、ここも混むし。向かいがてら話すよ」

 勢い消された長野は一度ため息をして、言った。

 「…どこへ?」
 「決まってるじゃん、北棟6階。今日は木曜だし、もしかしたら見つかるかもね」

 

   六

 

 悪い事はするものではない。まして、させるものでも。しかし、それを咎めても自分に何の得もないとしたら、我々はその行いを止められるのだろうか。いや、我々が秩序に守られた個であり集である以上、得だとか損だとかはないんじゃないか。むしろその秩序を乱す輩をどうにかしないことで、いずれそのツケが自分に回ることもあるやもしれないじゃないか。
 ……ただ私がその、咎める立場を積極的に出来る人間かと問われれば、ううん。いかんせん難しい。あんな話を聞かなかったとして、聞いても何も分からなかったとして、分かっていて言わなかったとして、私が何かを被るはずもないのだから。

 そんな私のろくでもないご高説を拝聴した長野はキッパリこう返した。

 「そうか。俺は大事になる前に止められそうで良かったよ。」

 うーん。やはり長野のようにはなれそうもない。

 掛布教授――下の名前は圃(はたけ)さんという。初めに掛布団と空目してしまい、覚えた――の研究室に私達はいた。これは長野の提案で、幽霊の件は既に話しているし事務や学生課に言うよりこじれないだろうとのことだ。私も一時期講義を受けていたがこれがとにかく優しい先生で、今も突然来訪した私達の為に茶でも淹れようと席を外している。

 「やあすまないね、僕に来るお客さんなんて長野くん以外めっきりだから、これくらいしか出せないけれど」

 「いえ、こちらこそお忙しいところ申し訳ないです。」

 先生が机に置いた盆には淡い緑がかった湯呑みが三つ。その中には不釣り合いなコーヒーが注がれていて、これまた不釣り合いな北欧調の陶器で出来た砂糖壺が隣に鎮座していた。訪ねてすぐに本題と言うのもなんだろう、ありがたくコーヒーに砂糖を二杯入れ、頂戴する。長野は当然ブラック、先生は四杯も入れている。甘党なのだろうか。
 研究室なるものは初めて入ったが、参考文献だろう、部屋中に置かれた古い本の立ち込めた匂いと、コーヒーの香りがやけに気持ちを落ち着かせる。長野が話し込んでしまったというのも頷ける。

 「…それで、北棟6階の件なんですが」

 最初に沈黙を破ったのは長野だった。何となくやはりという感じがした。続きはお前だと促される。軽く居住まいを正して、長野に続ける。

 「……はい。恐らく映像だったんじゃないかな、と」
 「ああ、ペッパーズ・ゴースト」
 「えっ」
 「正確には“ペッパーズ・ゴースト風”と言うべきかな」

 驚いた。いや穏やかで優しい掛布先生が話の腰を折ったことではなく――いやそれもなくはないが――長野が考え及ばず、私もじっくり考えに考えた一つの答えを瞬時に言い当てたから……でもなく、それを言う掛布先生の瞳は先ほどまでの落ち着いた老人らしさはなく、無邪気な子供のような光を宿していたからだ。

 「……そうです。恐らく誰かが、複数人かもしれませんが、あの教室に忍び込んで映画か何か観ていたんじゃないでしょうか。教室内にある画面…モニターかスクリーンの光が窓へ、夜中にハッキリと見えたのはその光でしょう。ハッキリ、と言っても6階という距離やガラスによって映像は程良い解像度に落ち着き、それが返って現実みを帯びさせた。
 長野が見たのは大写しのカットでしょう。長野くんの友人が見た、突如消えた人も、シーンの暗転だと思います。」

 ふむ。と掛布先生は甘ったるそうなコーヒーを一口飲み込んで返す。

 「ウズラさん……失礼、蕪木さんでしたね。鍵の問題に関してはどうお考えで?」
 「はい、事務に保管してある鍵を取りに行って不自然じゃない人間は事務員、教授、そして部活動でしょう。なので職員、もしくはどこかの部活、サークルの人達の仕業かと考えました。」
 「なるほど。教室には行きましたか?」
 「ええ…ですがしっかり鍵がかかっていて、中を覗きましたが机や椅子も、何もありませんでした。」
 「カーテンも取り外してあるくらいですからね。大体同意見ですが、僕はもう一歩踏み込んで考えています。」
 「……と言うと?」

 こればかりは学生さんですからね、いやフィールドワークが足りないのかもしれませんよと呟く掛布先生は、やはりどこかこの掛け合いを楽しんでいるようだった。

 「あの教室にはテレビもスクリーンもありません。何か持ち込んだのでしょう。」
 「………映像研究会。」
 「僕はそう考えています。」

 唐突な結論に、私は押し黙ってしまった。ずっと話を聞いていた長野も気付けば険しい表情になっている。重くなってしまった空気のなか、掛布先生は悠々とコーヒーを啜って続ける。

 「…君は優しい人だ。枯れ尾花を突き止められる洞察力を、犯人探しに使わないのだから」

 

   七

 

 「ところでウズラの、プラズマかもって推理は外れたな。教室には何もなかった、プロジェクターと丸めたスクリーンなんかを上映会ごとに持ち込んでるんだろう。流石にプラズマテレビを6階まで階段で運ぶことはないだろうからな。」

 掛布先生の研究室を後にし、すっかり黄昏れてしまった帰路を歩いていた。長野は励ますように、少しおどけて私のジョークを振り返った。

 「自分の大学とはいえ、窃盗と不法侵入か……まさか幽霊話がこんなオチになるとはな。ウズラ、自分が言い当てたことを後悔するなよ。いつかはバレたことだ、むしろ早々に解決して良かったんだ。……あまり落ち込むな」

 長野の言うことは図星で、正直落ち込んでいる。掛布先生は、騒ぎになる前に注意しておきますとだけ言ってはくれたが、私は警察でも裁判官でもない、一介の女子大生なのだ。人を裁く権利など、まして冗談を交えて楽しむことじゃない。

 「……しかしなあ、俺は感心したよ。確かによく頭の回るやつだとは思っていたが、減らず口以外でこういうキレのあるやつだとは思ってなかった。」
 「……ふ。早起きの苦手なキジだとでも? 確かに鳴かなきゃ良かったかもね」
 「今回は撃たれちゃないさ。それに、あんまりくさってるようだったら次からキジと呼ぶぞ」
 「カブラがウズラでキジ? ずいぶんな出世だね」

 くだらない会話の最中、気付けば知らぬところへ旅立ってしまった早朝の高揚を思った。だが長野の下手な励ましをいつまでも無下にするのも忍びない。
 長野は褒めるが、今日のことはたまたまだ。また明日から布団から出るだけのことに一喜一憂する日々に戻っていくだろう。そういえば寒かったんだと思い出し、コートを羽織り直した。
 数歩先の停留所に近付くバスの背が、オレンジ色に染まっている。

「幽霊のいる窓」前編はこちら

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタートし、2020年6月に1st EP『生活』を発表。シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信し、支持を集めている。6月30日、デジタルオンリーの新作EP『後付』(あとづけ)を発表。また、5月に配信オンリーでリリースしたEP『包装』が、“サラダとタコメーター”(Acoustic Ver.) をボーナストラックとして追加、タワーレコード限定で発売中。J-WAVE (81.3FM) 「SONAR MUSIC」内「SONAR’S ROOM」毎週月曜日パーソナリティを担当中。

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