大切な家族を亡くした後、残された夫と娘はどう生きるのか…『はなちゃんのみそ汁』のその後の10年を描くエッセイ

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公開日:2022/2/10

はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」
『はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」』(安武信吾・安武千恵・安武はな/文藝春秋)

 大切な人の死をどう乗り越えればいいのか。大切な人のいない先の見えない日々に、人生の土台が揺らぐほどの絶望を感じている人はきっと少なくはないだろう。

 そんな大切な人を亡くした悲しみを消化しきれないでいる人にこそオススメしたいのが、『はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」』(安武信吾・安武千恵・安武はな/文藝春秋)だ。この作品は、広末涼子さん、滝藤賢一さんの共演で映画化された感動作『はなちゃんのみそ汁』のその後を描いたエッセイ。大切な家族を亡くしてからもがき続けた父と娘の13年の日々をありありと描き出した一冊だ。

 著者・安武信吾さんの妻・千恵さんは、2008年7月、末期がんのため33歳でこの世を去った。当時、娘のはなちゃんは5歳。45歳だった信吾さんは、残された家族の「幸せな未来」を思い描くことができなかったという。絶望に打ちのめされていた信吾さんを最初に救ってくれたのは、まだ幼かったはなちゃんだ。「食べることは生きること」をモットーとしていた千恵さんは、はなちゃんが5歳になった翌日から朝食のみそ汁作りを任せ、包丁使いや調理の段取りなど、一通りを教え込んでいた。はなちゃんは信吾さんを喜ばせるために、千恵さんから教わった通りに毎朝みそ汁を作り、そのみそ汁が「しっかりせんか」と語りかけているように感じたのだと信吾さんは振り返る。また、周囲の人たちの支えもあった。生前千恵さんが企画した音楽イベント「いのちのうた」でつながった音楽関係者や、信吾さんの友人たちは、彼の悲しみにずっと寄り添い続けてくれた。

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5歳だった私は、まだ、「死」の意味をよく分かっていませんでした。ママは「天国」という遠い場所に出かけており、いつか家に帰ってくる。そう思い込んでいました。夜になると、ママの遺影の前で、パパがお酒を飲みながら泣いていました。その光景は、毎晩、続きました。私は寝たふりをしていました。薄目を開け、パパの背中をずっと見ていました。(はな)

 だが、悲しみは消えない。信吾さんはお酒の力を借りるようになり、手伝いに来てくれた自身の母親に辛く当たってしまうこともあった。そして、やがて、はなちゃんも成長し、反抗期に。すれ違い始める父と娘。不摂生が祟って、悪化してしまった信吾さんの持病と、はなちゃんの涙…。毎日が奮闘と葛藤の連続だ。だが、あがき続けた先に、少しずつ見えてくる光もある。

今でも、ふとしたことで涙が止まらなくなることがある。しかし、かつての悲しみとは明らかに違う。つらくて苦しいだけだった悲しみが、「すばらしい悲しみ」に感じられるようになった。愛着の対象であった存在からの応答を永遠に失ったとしても、決して失われないものがある。あふれる涙が、「こんなにも千恵のことが好きだったんだ」ということに気づかせてくれた。グリーフは抱えたままでいい。無理に乗り越えるべき感情ではなかった。

 大切な人を失った悲しみが消えることは永遠にないだろう。だけれども、毎日を懸命に生きていれば、いつの日か少しずつ前を向くことができるようになる。父と娘の日々は感涙必至。悲しみを抱えたまま生きる人の心に、そっと寄り添うような一冊だ。

文=アサトーミナミ