飛行機事故で生き残った――「奇跡」を消費する人々からのプレッシャー/一穂ミチ『アンデュー?』前編
公開日:2022/2/16
第165回直木賞候補作で、本屋大賞2022にノミネートされるなど、各所で話題の小説『スモールワールズ』(一穂ミチ/講談社)。本書に未収録の特別掌編として公開された「回転晩餐会」と同じ世界線の物語「アンデュー?」を前後編で特別公開! 切ないのにどこか希望を持てる物語をお楽しみください。
アンデュー? 一穂ミチ
線香花火の赤い火の玉がぽとりと落ちるように、わたしの記憶は不自然に途切れていた。飛行機の窓から、どこまでも広がる雲の平野と澄んだ空の色に見とれていたのは覚えている。あの、どんな快晴の日とも違う、地上では見たことがない深く透き通った青。
今でも目を閉じれば浮かんでくるほど焼きついているのに、隣のお姉ちゃんや、前の席のお母さんとどんな話をしたのか、どうしても思い出せない。気づけばわたしは病院のベッドの上で、目を真っ赤にしたお父さんやおじいちゃん、おばあちゃん、お医者さんに取り囲まれていた。指一本動かそうとするだけでも身体じゅうが痛かった。痛くない部分が本当にひとつもなく、全身が腫れて膨らんでいるように感じ、ベッドのシーツや包帯の感触でさえつらかった。何が起きたのかわからず、ただ眠りたかった。眠って、痛みから逃れたい。
わたしは大怪我をした。身体の外からも内からも血が出て、骨が折れて、傷跡が残るものもあるとお医者さんに言われた。特に右脚の状態がひどく、この先何度か手術をしなくちゃいけなくて、全部成功したとしても一生走ったり飛んだりはできないと。それでも、わたしは生きていた。お姉ちゃんも、お母さんも、ほかの人たちも大勢死んだのに、わたしはいくつもの偶然に救われ、生かされた。「死ぬほど痛い」と「死ぬ」は全然違う。
術後回復室というところから普通の病室に移されると、個室の中は大小のぬいぐるみやお花、千羽鶴であふれ返っていた。驚くわたしに、お父さんが「みなさんがお前のために送ってくださったんだよ」と言った。「みなさん」というのは、新聞やテレビやラジオで事故とわたしのことを知った、わたしの知らない人たち。
――どうして?
――お前を心配して、早くよくなりますようにって思ったからだよ。
手紙もたくさん届き、何もすることがなかったのでたくさん読んだ。お札が入っているものもあった。一万円札を手にするのが初めてで、聖徳太子の透かしを何度も眺めてしまった。みなさんからの手紙には「奇跡」という言葉がたくさん出てきた。
あなたが生き残ったのは奇跡です。あなたが無事でよかった。若いからきっとすぐに元気になるでしょう。お母様やお姉様のぶんまで強く生きてください。お父さんを大事にね。わたしにもあなたと同じ年頃の娘がいます、あなたを残して逝ったお母様の無念を思うと涙が出ます。
不幸中の幸い。頑張ってね。奇跡だね。
わたしは目を閉じ、雲の上の青色に逃げ込もうとする。でもそこにもみなさんの書いた文字がぐるぐる渦巻くようになってしまった。車椅子で病室の外に出られるようになると、新聞や雑誌の人が次から次へとやってきて写真を撮り「具合はどう?」とかあれこれ話しかけてくる。
――お見舞いのおもちゃや人形を、恵まれない子どもたちに寄付したんだってね。どういう気持ちで?
たくさんあっても邪魔だし困るから、とは言えなかった。看護婦さんたちが必死に止めてもお構いなしで、同じ言葉を話しているはずなのに聞こえていないんだろうかと気味が悪くなった。「病院食で何を食べたかまで週刊誌に書かれてるのよ」とおばあちゃんがこっそりお父さんにこぼしていた。わたしが何を食べたのかなんてどうでもいいと思うけれど、みなさんそれだけわたしを心配してくれているんだろう。
これから一生、悪いことはできない。そう思った。泥棒や人殺しはもちろんだけど、たとえば信号無視。忘れ物。宿題をやらない。人に嘘をつく。みなさんの誰かが見ていたらきっとがっかりするから。
せっかく奇跡で生き残ったのに、って。