「竜宮城」なのにドラゴンがいないのはなぜ? バトルも成長もない昔話から考える現代日本の幸せ
公開日:2022/2/18
亀を助けた浦島太郎が招かれた先が「竜宮城」。そこはドラゴンがいる城で、太郎はそいつと戦うんだな? よし、Go! Taro! と思いきやドラゴンは不在? 魚の踊りを見て飲み食いして、帰宅後にお土産の箱を開けたら煙が出ておじいさんにされた? 亀を助けていいことをしたのに、なぜこんな理不尽な目に!?
『むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました』(石川善樹、吉田尚記/KADOKAWA)によると、欧米の人が「うらしまたろう」を読むとそんな風に「?」が脳内で炸裂するのだとか。
日本の昔話には、バトルも出世も成長も描かれない意味不明なストーリーが多い。
予防医学者の石川善樹氏は、「人がよく生きるとは何か」をテーマに研究を続けるかたわら、名作アニメ『まんが日本昔ばなし』を数年かけて毎晩欠かさず視聴(!)したことで、そうした日本の昔話の特殊性に気づいたとか。
そもそも、昔話とは親が子に語り継いでいくお話であったはずだ。しかし、子どもが主人公の冒険譚が多い西洋とは対照的に、日本の昔話はやたらと老人が登場する。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」が定番句になっていること自体がその証明だろう。
しかし、このような「日本の昔話」の特殊性こそが、実は現代日本で生きる私たちの幸せの形とも繋がっているのだという。
そこには他者に「どんな活躍ができるのか」「どういう利益をもたらしてくれるのか」を求めるのではなく、「あるがまま」の姿を肯定する姿勢がある。それがタイトルにもなっている「ウェルビーイング(well-being)」をもたらしているのではないか、と本書は指摘する。
ちなみにウェルビーイングとは、本書の言葉を借りてざっくり説明するならば「満足と幸福の2つが揃っている状態」。だが、何に満足を覚え、何に幸福を感じるかは人それぞれであり、社会や時代によっても変化する。だからこそ、定義するのが難しいとらえどころのない概念だ。
本書は、ウェルビーイング研究を行ってきた予防医学者の石川氏と、ニッポン放送のアナウンサー・吉田尚記氏とのポッドキャスト番組「ウェルビーイング~旅する博士と落語するアナウンサー~」での対談をベースにした書籍版だ。
ポッドキャスト版が「ウェルビーイング」を軸に自由に拡散していくおしゃべりなのとは対照的に、書籍版は日本文化と最新のウェルビーイング研究を掛け合わせた知見を大幅に加筆している。息苦しい現代社会の中で、どうしたら人生を「よく(well)」「いられる(being)」かをテーマに、昔話や古事記の神々、和歌、侘び寂びの美から都市設計まで、日本を形づくってきたさまざまな文化を読み解きながら、日本的ウェルビーイングの形を探っていく内容になっている。
西洋のように上へ上へと立身出世や成功を目指すのではなく、最後はもとの自分(=ゼロ地点)へと戻りたがる昔話のパターン。「上」に行くのではなく、入り組んだ「奥」へと大事なものを隠したがる心のありよう。「金があれば幸せになれるのか」問題、はたまた移動や旅とウェルビーイングの関係……などなど、知的好奇心を刺激してくるトピックスがこれでもかというくらい贅沢に詰め込まれており、今を生きる私たちのウェルビーイングを高めるためのヒントを教えてくれる。
終盤、「では、どうすればウェルビーイングに生きられるのか?」という問いに対して、石川氏は「ひとつの提案」をしている。この「提案」をどう解釈し、受け入れ、受け止めるか。それこそが「ウェルビーイング」というふわふわした2022年のキーワードを、自分事に落とし込むための一歩になるはずだ。
文=阿部花恵
◆書籍の元となったポッドキャスト
ウェルビーイング ~旅する博士と落語するアナウンサー~