因習的な故郷…『文學界』で話題になった「少女を埋める」を含む、桜庭一樹の自伝的小説!

文芸・カルチャー

公開日:2022/2/18

少女を埋める
『少女を埋める』(桜庭一樹/文藝春秋)

 久しぶりに田舎に帰った時、その因習的な空気に疲弊した経験はないだろうか。男尊女卑的な思考回路やよそものを排除しようとする排他性。それも、その土地に住む誰もが、そんな価値観を当たり前のものとして受け入れ、全く悪いとさえ思っていない。むしろ、こちらのためを思った発言に、かえってゲンナリさせられるという場合も少なくはないように思う。

『少女を埋める』(桜庭一樹/文藝春秋)は、直木賞作家・桜庭一樹氏による自伝的小説集。『文學界』掲載時から話題となった表題作「少女を埋める」をはじめ、「少女を埋める」が思わぬ文学論争を巻き起こすことになってからの怒涛の日々を綴る「キメラ」、さらにその後日談を描いた単行本書き下ろし作「夏の終わり」の3編を収載した一冊だ。特に、表題作は、共同体がもつ旧弊的な価値観と、その排他性・暴力性が描かれた作品。主人公の感じる消化しきれない思いに共感させられるとともに、理不尽な共同体に抗おうとするその姿に勇気づけられる思いがする。

 物語の主人公は、小説家の冬子。彼女は、2021年2月、7年ぶりに声を聞く母からの電話で父の危篤を知った。父の最期に立ち会うための、故郷・鳥取への久方ぶりの帰省。コロナ禍のため、病院は面会禁止で、家族もリモート面会しかできない。だが、最期の時、冬子と母は、病室で父との面会を果たす。そして、看取りの後、母娘2人で葬儀を執り行い、火葬の後、父の親族のもとへ。そんな克明な記述は、近しい人間の死を経験したことのあるすべての読者の心にそっと語りかけるかのようだ。

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 しかし、冬子と母の間には、大きなわだかまりがある。幼き頃に受けた暴力の記憶と、「そんなこと、したことない」という母親の言葉。それでも、7年ぶりに帰った故郷で冬子は母を支えねばと思うし、母だって、父の最期の時には冬子に「気を強く持って」と声をかける。母を支えて父を弔う日々を通じて、冬子は、母と父の間にあった愛情にも初めて気がついた。だが、どうやっても母とは噛み合わない。分かり合えない母との会話に冬子のモヤモヤは募るばかりだ。

 そして、そんな母親と時を過ごし、地元の人や父の親戚たちと接することで、冬子は過去を思い出すのだ。高校時代、小説家を目指す冬子に、教師が「夢というのは叶わないものだ」と忠告したこと。20代後半の時、母親が東京に、冬子の見合い相手として神社の宮司を連れてきたこと。その男性が「本人に会って弱い女の子だとわかった。東京で一人やっていけるはずがない。傷ついて故郷に戻ってくるから、そのとき受け止める」と言っていたこと…。故郷の人々の行動や言葉はすべて冬子のためなのだとは理解しつつも、異端分子を排除しようとする理不尽な共同体のありように、冬子はさらに疲労を募らせる。おまけに、それを乗り越えた先にもまた事件が待ち受け、その顛末が「キメラ」と「夏の終わり」で綴られるのだ。

 因習的な故郷と、男性社会からのいわれなき侮蔑、メディアの暴力、ディスコミュニケーション…。溺れている時も、苦しい時も、正論をいつも命綱に、「書く」ことによって自分を取り戻していく冬子の姿は、桜庭氏そのものだろう。そこから感じられるのは、桜庭氏の小説家としての強い決意。この作品を読んだ時、その思いに圧倒される思いがした。

 理不尽さにぶち当たった時、この本を読んでみてほしい。この本は、希望の書。抗う力を与えてくれるような一冊だ。

文=アサトーミナミ