ファンタジーで魅せる、リアルな人間関係に真正面から向き合う人々の物語『妻、小学生になる。』

マンガ

公開日:2022/2/25

妻、小学生になる。
『妻、小学生になる。』(村田椰融/芳文社)

※本記事には作品の内容が含まれます。ご了承の上、お読みください。

現在放送中の、TBSドラマ『妻、小学生になる。』。10年前に亡くなった妻・新島貴恵(石田ゆり子)が、夫・圭介(堤真一)と娘・麻衣(蒔田彩珠)の前に、小学生・白石万理華(毎田暖乃)の姿で現れる物語です。原作は、村田椰融さんの同名のマンガ。既刊10巻で丁寧に描かれた原作と、原作のメッセージをしっかりと踏まえつつ、新たなキャラクターなど新展開もみせるドラマです。どちらも魅力的な本作、原作マンガが「なぜこれほどまでに人々の胸を打つのか」について考えたいと思います。

突飛な設定に入り込ませる、共感とリアリティ

 ドラマ版と比べると、原作の圭介と麻衣は、生まれ変わってきた貴恵の存在をわりとあっさり信じます。それを読み手もすんなり読めるのは、まず「生まれ変わってもう一度会いに来てくれたら」と思う存在が、私たちにも誰かしらひとりはいるからではないでしょうか。つまりこの作品は、“突飛だけど多くの人に共通する願望”を描いているから共感できるのです。

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 そしてもうひとつ本作に共感できる理由が、「自分が当事者だったら確かにそうなるかもしれない」と気づかせてくれる、リアルな描写の数々ではないかと思います。例えば、圭介が貴恵と再会して以降初めて涙を流すのは、貴恵が作ってくれたお弁当を食べたとき。圭介は、万理華の口調や自分たち家族しか知りえないエピソードを言い当てたことから、万理華=貴恵であると信じますが、そのときは「……お母さん、小学生になってもお母さんじゃん!」と麻衣と笑い合います。しかし、きっとこれまでの10年間で何度も「もう一度食べたい」と願ったであろう妻の手料理を食べたときに、涙が止まらなくなるのです。「自分も同じ立場に置かれたら、再会したときではなく、相手を強烈に感じたときに涙するのかもしれない」と、圭介のこれまでの悲しみが自分のことのように感じられたシーンでした。

 また、当の妻・貴恵が、夫との再会を単純に喜ぶのではなく、むしろ悲しみに暮れて娘・麻衣の世話をしてこなかった圭介を「私がいなくても進んでいけるっていう姿勢と未来を見せてよ!」と叱咤するところも、同じ母親として筆者も強く納得した描写でした。そんな描写の積み重ねが、本作に読者が引き込まれる要であると感じます。

天然かつ一途な、圭介の愛

 妻だけど見た目は小学生である貴恵の写真を携帯電話の待ち受け画面にし、会社の後輩・守屋からのアプローチにもまったく気が付かない圭介。路上で貴恵に抱き着いたり、人前でデートに誘ったりと、その行動にはハラハラさせられるばかりです。しかし、一度妻を失った経験があるからこそ「お前と夫婦でいられる貴重な時間を、ごまかしや演技なんかに費やしたくないんだ!」と語る姿は、胸に迫るものがありました。

 また、圭介は貴恵だけでなく、すべての人に対して誠実な人物でもあります。娘が在宅ワークから人と向き合う仕事への転職を決意した時は「我が娘ながら尊敬の念が芽生えたよ」とその行動を率直に賞賛し、守屋に対してもその気持ちにこそ気が付かないものの、いつも真剣に向き合っています。貴恵と現・母親の関係についても「子どもを大切にしない親を、“親だから”という理由だけで大切にしようとするのは、俺は間違ってると思うぞ」と貴恵を諭す場面も。圭介の、すべての人に向けられる誠実な態度は、本作が胸を打つ理由のひとつになっていると言えるでしょう。

 原作コミックでは、「貴恵がなぜ小学生・万理華の姿で現れたのか」という最大の謎に迫りつつあります。今後物語はどう展開していくのか。すべての登場人物が幸せになるハッピーエンドが単純に思い浮かばないところも、本作の良いところ。ますます目が離せない展開になっていく本作に注目です。

文=原智香