「楽して稼ぎたい美人は写真を送ってくださーい」画像審査をパスして渋谷の高級ホテルへ/短編「あなたの鼻がもう少し高ければ」全文公開②

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/19

大学生のトヨは、この一年ほどSNSの美容アカウント、整形アカウントに入り浸っている。自分の本当の力を発揮できれば、称賛してくれる人々はもっといるはずなのに…。そう焦りながら、気づけばギャラ飲みやパパ活の斡旋をする「モエシャン」にあこがれるように。ある日、渋谷の高級ホテルにモエシャンの斡旋するギャラ飲みの面接を受けに行くが…。感染症の流行直前を描く、川上未映子氏の新刊『春のこわいもの』(新潮社)に収録された1編「あなたの鼻がもう少し高ければ」を、全5回で全文公開!

※本稿は『春のこわいもの』(川上未映子/新潮社)から一部抜粋・編集しました。

春のこわいもの
『春のこわいもの』(川上未映子/新潮社)

 ある日、モエシャンが、

「今から二時間だけDMあけるんで、楽して稼ぎたい美人は写真を送ってくださーい。早いものガチ」

 と書き込んだ。

 モエシャンの本拠地は港区で、そこでは毎晩のように選りすぐりの一軍女子だけを集めた羽振りのいいパーティーが繰り広げられていた。

 金持ちだけでなく、ときにはスポーツ選手や男性アイドルなんかも参加して夢のような時間を過ごしているというような匂わせポストもあったりして、モエシャンのチームに属したい女の子たち、あんなふうに楽しみながら稼ぎたい女の子たち、なんだかよくわからないけどちやほやされたい女の子たちが、年がら年じゅう色めきたっており、そんななかでかけられた、まさかの募集だった。

 きた、とトヨは胸の中で叫び、心臓がどきどき音を立てた。

 ものすごく迷ったけれど、駄目もとの勢いでダイレクトメッセージを送ってみた。するとすぐに募集受付専用ラインのアカウントが送られてきて、そっちに写真を送ってこいという。トヨは一瞬ひるんだけれど、これはわたしがくっきりするための、きれいに一皮むけるためのチャンスなんだと言い聞かせて、数ヶ月前にものすごい時間をかけて自撮りした奇跡の一枚に、さらにアプリの技術のすべてを投入して加工したものを、思い切って送信した。翌日、ライン審査をパスしたので、二週間後に渋谷に来いという返信があった。モエシャンが面接するという。それが今日というわけだった。

 指定されたのは渋谷のセルリアンホテル。名前を聞いたことはあったけれど、じっさいに行くのは初めてだった。渋谷駅に着いて、巨大な歩道橋を渡って数百メートル歩いたところに、その大きなホテルはあった。

 空気は生ぬるくて、まっすぐ歩いてるだけなのに、なんか体がふわふわする。

 三キロ痩せるとこんな感じなのか。それにまだ三月になったばっかで春なのになんかもう夏みたいじゃない?  そう思うと腋にじわりと汗がにじんで、汗止めのジェルを塗り忘れてきたことに気がついて、トヨは心の中で舌打ちした。今日のはぜったい臭う汗だ。いやだなあ、っていうか、なんで臭う汗と、そうじゃない汗があるんだろ。臭うときと、臭わないときっていうか。食べ物?  体調?  わかんない。そのへんのドラッグストアで汗止めを買って塗ったほうがいいんじゃないかといっしゅん迷ったけれど、来た道を戻ってもう一度あの巨大歩道橋を往復することを思うと億劫になって、もういっか、とため息をついた。久しぶりに履く厚底のローファーはすでにトヨの足を痛めつけており、こっちじゃないほう、べつのヒールを履いてきたほうがよかったかもと後悔した。そうすると、そもそもスカートともブラウスとも合ってないような気がし始めて、トヨはがぜん不安になった。ネットのセールで四千円、売れ筋ナンバーワンの、小さな金具のついた厚底ローファー。

 そのとき、向こうから歩いてきた二十代くらいの女とすれ違いざまに目が合って、軽く睨まれたような気がした。早足で、細くて、顔が小さくて派手めな女だったから馬鹿にされたのかとトヨは思ったけれど、もしかしたら自分がマスクをつけてなかったからかもしれないと思い直した。

 行き交う人々を見ると、マスクをつけている人とつけていない人の割合は半々という感じだった。この一ヶ月くらいテレビは感染症のことしかやっていないけど、やっぱたいしたことないのかもな、とトヨは思った。気温が上がったら自然消滅するって、どっかの偉い学者だか医者だかも言ってたしな。

 こんなに騒いでも結局べつに何も変わらないんだな。そう思うと、頻繁に電話をかけてきては学費のことを何度も尋ねたり、感染におびえて暮らしている実家の祖母や母親や父親のことが頭に浮かんで、なんだか哀れに思えるのだった。知らないってのは損なことなんだな。ちゃんとした情報にありつけないっていうのは。負けつづけるっていうかさあ。狭い世界で取り残されていくっていうか。べつに感染症のことだけじゃなくて、生きていればなんでも。

 ホテルは大きく、色んなところから人や車が出入りしていて、いったいどこからどう行って中に入ればいいのかトヨにはわからなかった。十秒くらいそうした人の行き来を観察すると、多くの人たちが外付けのエスカレーターに乗って移動していたので、トヨもその後についていくことにした。

 エスカレーターを降りて、すぐ前を歩いている人とおなじ方向に進んでいくとホテルの内部に入り、そこがロビーになっているようだった。

 人は多くもなく少なくもないといった感じで、きちんとしたスーツに硬そうな四角い鞄を持った男たちや、女も身なりのいい人が多く、カジュアルな格好をしているのは外国人だけで、そういえばあっちにもこっちにも外国人がいる。吹き抜けというのか天井というのか、壁も窓も何もかもが高くて大きくつるつるしており、むこうに見える階段も、目のまえにそびえている柱もなんだか当たり前に巨大って感じで、少なくない数の客がいるのに静かで、トヨがこれまで泊まったことのあるホテルとはレベルが違うように感じられて気後れがした。そして、こんな高級な感じのするところで女の子たちを面接するなんて、モエシャンはさすがだと思った。

 約束の時間の午後二時まで、あと十五分あった。

 トヨはきょろきょろしながらトイレのほうへ歩いていった。廊下の途中に雑貨店があり、ただでさえ光り輝いているガラスケースの飾り棚に、まるでグリッターフィルターをかけたみたいなアクセサリーや小物入れなんかが並べられていた。顔を近づけて値段を見ると、小さな髪留めが二万五千円とあった。

 広々した石造り調のトイレはひんやりとし、手前のパウダールームの一番奥に女がひとり、座っているのが見えた。トヨは用を足したあと入って行き、ひとつ空けて又隣の席に腰を下ろした。鏡越しに見えた女の顔にトヨはぎょっとした。メイクがどうとかそういうレベルではなく、ひと目で整形であるとわかりすぎる感じの圧が凄かったのだ。トヨは日頃ネットで整形アカウントに慣れ親しんでいる自分はそういったことについてよく知っている・・・・・・・と思い込んでいたのだけれど、考えてみればここまで気合の入った人物にリアルで会うというかお目にかかるというか、間近で目撃するのは、じっさい初めてなことに気づかされた。

 両目とも、二重切開にプラス目頭プラス涙袋形成、鼻はプロテーゼと小鼻縮小、鼻先をクリップでつままれたようになっており、額はヒアルロン酸か脂肪注入でこんもりと盛りあがり、これが噂のコブダイか……とトヨは内心でどきどきした。フィラーの入れすぎで上下ともはちきれんばかりに膨らんだ唇は、まるで小人の尻のようだった。

 じろじろ見ては失礼だとわかっていても、それぞれのパーツと、それが合わさったときに奏でるインパクトがすごすぎた。目も鼻も唇もすべてが飛びだす絵本の部品のようで、どこにピントを合わせていいのかわからないというか、逆に全部にピントが合っていてどこを見ていいのか、わからないというか。頭では駄目だとわかっているのに、メイク直しをしながらトヨはどうしても女のほうをちらちら意識してしまうのだった。

 そうか、誰かが書いていたとおり、切開二重と目頭切開を同時にやるのはやっぱまずいんだなとか、蒙古ひだなしはいくら高さを後づけしても、日本人の基本的な平らな鼻筋とは食い合わせが悪いっていうのは本当なんだなとか、もしかしたらヒアルだけじゃなくて唇はM字形成してるのかもしれないなとか、鼻でも目でもやっぱり自前パーツはぜったいにひとつは残しておかなきゃいけないってのは間違いないなとか、頼まれてもいない答え合わせをしながら、鼻に浮いた脂をパウダーでおさえ、アイシャドウの締め色を目尻に重ねた。マスカラを塗り直しているとき、メイク直しを終えた女が席を立って、出て行った。黒い、フレアスカートのミニのちょっと透け感のあるワンピースで、年齢はわからなかった。

 モエシャンが待つ部屋は、三二〇五号室。

 菓子折りの入った黄色の紙袋をしっかりと握りしめ、トヨはパウダールームを出て歩きだした。初めての人に会うときは手土産を持っていくといい――それは田舎の母の教えだった。悪い気持ちになる人はいないから、というのがその理由で、こういう機会はほとんどないけれど、でも、トヨはこうした気遣いのできるわたしってちょっといいよね、と感じているところがあった。向こうから笑顔でやってきたホテルの制服姿の女性従業員に、三十二階の部屋に行きたい旨を伝えたら、親切にエレベーターホールまで連れていってくれた。トヨはぐっと明るい気持ちになって、弾むような気持ちで、素敵なホテルですね、と声をかけてみた。ありがとうございます、と従業員も優しく返事をした。

 ホールに着くと、さっきパウダールームにいた女の姿が見えた。

 従業員が笑顔で去ったあと、ちん、と涼しい音を立ててやってきたエレベーターに、女、トヨの順に乗り込んだ。女は黙って三十二階のボタンを押した。それを見たトヨは思わず声を出してしまうところだった。内なる驚きが伝わったのか、女もちらりとトヨを見た。っていうか、もしかしてこの人もモエシャンの面接とか?  こんなに階数あるのにおなじ三十二階って、そういうことでしかなくない?  まじで?  ふたりはなんとも言えない沈黙とともに吸い上げられるように高層階に向かって上昇し、トヨの鼓膜はぷつんと小さな音を立てた。

<第3回に続く>