実希はトラブルでの責任を感じ異動願いを提出するも、大会の不正調査で「犯人像」が見えてくる/珈琲店タレーランの事件簿7 悲しみの底に角砂糖を沈めて⑤
公開日:2022/3/16
累計235万部突破!『このミス』大賞人気シリーズ『珈琲店タレーランの事件簿』第7弾。岡崎琢磨著の書籍『珈琲店タレーランの事件簿 7 悲しみの底に角砂糖を沈めて』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第4回目です。「全国高校ビブリオバトル」での苦情を受け謝罪に訪れた、読裏新聞社社員・徳山美希。美希は事務局員として、「全国高校ビブリオバトル」のイベント運営を担当することになり、決勝大会当日、プレゼンの順番決めの抽選でトラブルが起こる。いったい誰がなんのために細工したのか!? 女性バリスタ・切間美星が珈琲店タレーランに持ち込まれる7つの謎を解いていく――。ビブリオバトル決勝大会で起きた実際の出来事をはじめ、日常にさりげなく潜む謎のかけらを結晶化した大人気喫茶店ミステリー『珈琲店タレーランの事件簿 7 悲しみの底に角砂糖を沈めて』。シリーズファンはもちろん、はじめて読む人も楽しめる短編集! 抽選箱を細工した疑いは、大会のイベントに出演した作家にまで及んだ。局長と調査を進める実希は、責任を取り異動願いを提出し…。
※この物語は2020年1月に開催された全国高等学校ビブリオバトル決勝大会で実際に起きた出来事を元にしたフィクションです。出場された高校生の皆さんを疑う意図は作者にありませんことを、あらかじめご了承ください。
「個人的なけじめなのでそれは構いませんけど、謝罪旅行はやめてください。せっかくの彼氏との旅行が楽しみじゃなくなります」
「ハハ、そうか。穏便に済めばいいが」
「それなんですが、榎本さんに納得してもらうためには、わたしなりに責任を取るつもりだというところを示す必要があると思いまして。こちら、受け取っていただけますか」
わたしはジャケットの内ポケットから、封筒を取り出した。
相田局長が眉をひそめる。「それは?」
「異動願です」
わたしが差し出すと、局長は封筒をひとまず手に取る。
「今回の混乱の責任を取って、わたしは今後一切、全国高校ビブリオバトルに携わらないようにします。あれが不正にせよ単なるいたずらにせよ、わたしの意識の低さが招いたことです。わたしには、大会に関わる資格がないと思います。畢竟、活字推進委員会もやめざるを得ません」
「よくよく考えてのことなのか」
「はい。それぐらいの態度を示さないと、榎本さんはわたしのことを許してはくれないでしょう」
本好きのわたしにとって、活字推進委員会の仕事は天職だった。それなのに、たった一年足らずで部署を離れなければならないのは断腸の思いだ。けれど、好きな仕事ばかりをやってはいかれないのは社会人の宿命だ。仕方がない、ほかの誰でもなく、これは自分のせいなのだから。
相田局長は低くうなってから、封筒をデスクにしまった。
「いったんあずかっておく。本音を言えば、徳山には部署を出ていってほしくない」
「そのお言葉だけでも、身に余る光栄です」
局長が椅子から立ち上がり、逃げるようにオフィスから去っていく。ますます離れがたくなるのを振り切るように、わたしは自分のデスクに戻って仕事に没頭した。
そして、その後は何の進展もないまま、わたしは京都旅行の日を迎えたのである。
4
「……と、いうことなの」
わたしが話を終えると、和将はテーブルに片方のひじをつき、あごを手に載せた。
「なるほどねぇ」
テーブルの上では、わたしのスマートフォンがとある映像を流し続けている。全国高校ビブリオバトル決勝大会の模様はすべて客席に設置されたカメラで撮影されていたので、そのデータをコピーしてもらったのだ。わたしは話の最中にも問題のくじ引きの場面を繰り返し再生し、注文したコーヒーを店員が届けてくれたときでさえ止めなかった。
「で、実希はその板垣さんや作家が犯人だとにらんでいるのか」
和将の問いに、わたしは首を傾ける。
「半信半疑ってとこかな。決勝進出の情報を事前に知りえたのが、スタッフを除くとその二人に絞られることは確か」
「しかしもちろん、反対に負けを確信した出場者が、勝者への嫌がらせのためにいたずらした可能性もあるわけだ」
「まあね」
あのくじの細工から誰かが恩恵を受けたとは考えにくい。むしろ単なるいたずらと見たほうが、よほど納得がいく。
わたしはコーヒーに口をつける。ネットで調べた限りでは、コーヒーの味が評判になり、ここ数年客足が伸びている喫茶店なのだという。店名のタレーランというのも、コーヒーに関する名言を残したフランスの伯爵の名前だそうだ。わたしはコーヒーにうるさい口ではないが、言われてみるとしっかりした苦みとコクのあとからほんのり甘みが追いかけてきて、とてもおいしい。店員はわたしと同年輩に見えるが、このコーヒーからは老練した感じを受ける。
和将は、わたしと相田局長の議論が腑に落ちないようだ。眼鏡のつるを触りつつ、新たな仮説を提示する。
「榎本さんの自作自演ってことはないかな」
失笑してしまう。「何のために?」
「負けた場合の保険だよ。実はプライドがものすごく高くて、負けるのはどうしても嫌だった。けど、確実に優勝できるほどの自信はなかった。そこで、抽選箱に細工をしておいて、負けたときの言い訳と責める相手を用意しておいたんだ。実際、そうなったようにね。それに彼女が犯人なら、調査をやめるように言ったこととも合致する」
恋人のわたしに味方したいあまり、心の眼鏡まで曇ってしまったみたいだ。その気持ちはうれしくもあったけど、わたしは彼の考えを一蹴した。
「何度も言うように、二十分の休憩時間の段階では、予選の結果はまだ出てなかったんだよ。榎本さんが決勝に進める手応えを感じていたとして、なのに決勝では負ける前提で抽選箱に細工するなんて、出場者の心理としてはねじれているよ」
「そうかな。プライドを守るためなら、何だってやる人は多いよ」
「百歩譲って、榎本さんの自作自演だったなら、決勝戦での彼女のプレゼンが振るわなかった説明がつかない。くじ引きで混乱が起きることを、彼女だけはあらかじめ知っていたんだからね。プライドを守りたかったのなら、そもそも優勝するのがベストだったのだから、プレゼンでわざとしくじるはずはない。やっぱりあれは、くじ引きの結果に動揺したせいだとしか思えない」
「細工したことに気を取られすぎて、自滅してしまったとか……」
「牽強付会だよ。そもそも、混乱を起こしたかっただけなら、なぜ7と8を抜いて3と4を足すなんて手間のかかることをしたの? くじを何枚か抜いておくとか、あるいは白紙のくじを足しておくとか、それだけでもよかったんじゃないの」
「枚数が違うと、スタッフが違和感を抱くかもしれないだろ。深い考えもなく二枚抜いて、代わりにスタンプがそこにあったから二枚作って足しただけのことさ。大した手間じゃない。数字は何でもよかったんだ、抜くほうも、作って足すほうも――」
そこで突然、和将は口をつぐんだ。
「どうかした?」
「いや……何で、3と4のくじが足されたんだろうな」
「ほかの数字じゃなくて、ってこと?」
「そうじゃない」和将の目つきが鋭くなる。「くじ引きを混乱させることが目的なら、足す数字は何でもいい。それこそ白紙でもよかったわけだが、そこはまぁいいとしよう。あえて3と4のくじを作っているところが、いかにも不自然だ」
「話がよく見えないよ」
「犯人は当然、抽選箱に細工しているところを誰にも見られたくなかったはずだ。なら、一秒でも早く済むに越したことはない。とりあえずくじを二枚抜いて、代わりのくじを作ろうとする。さて、どうするか――僕なら間違いなく、同じ数字のくじを二枚作る」
ようやく彼の言わんとしていることがわかった。
「犯人は、わざわざスタンプを持ち替えて、3と4のくじを作っているのね」
「そういうことになる。なぜ、そんなまどろっこしいことをした? 混乱させたいだけなら、同じ数字でもよかったのに。これは裏を返せば、やはり3と4のくじを作ることに意味があった、という結論になりはしないか」
一理ある。そうなると、ただのいたずらだったという線も考えにくくなる。
「3と4のくじを作ることに、どんな意味があったんだろう……」
「局長さんが言ったように、三番手や四番手というのは、比較的いい順番だと思う。犯人は、どうしてもこれらの数字を引きたかったってのはどうかな」
「一度否定したように、3と4のくじを足したところで、三番手や四番手になる確率が上がるわけではないよ」
「それはそうだけど……いや、待てよ。3と4のくじを確実に引く方法ならあるぞ」
わたしは驚き、解説を求めた。