古市憲寿『ヒノマル』――戦時下の日本で、国家のために死ぬことを夢見る少年と自由奔放な少女はどこへたどりつくのか?

文芸・カルチャー

更新日:2022/3/7

ヒノマル
『ヒノマル』(古市憲寿/文藝春秋)

 コロナ禍になって初めて「自由」というものの尊さに気づかされた。制限された世界はなんて窮屈なのだろう。気の向くままに遠くに出かけることも、思うように大切な人と会うこともできないし、他人からの視線が私たちを抑圧する。はやくこんな息苦しい時代が終わってほしいものだと心の底から願わずにはいられない。

「自由」が制限された今の時代だからこそ、心に響く物語がある。その作品とは、『ヒノマル』(古市憲寿/文藝春秋)。芥川賞候補作に選出された『平成くん、さようなら』などの著作で知られる社会学者・古市憲寿氏による初の長編小説だ。描かれるのは、昭和18年、戦時下の日本。制限ばかりの戦時下の暮らしは、今の時代とどこか似ている。とはいえ、その厳しさは、今とは比べものにならないだろう。だが、そんな苦しい時代でも、精一杯生き抜こうとする少年少女がいる。その姿はなんと眩しいことか。私たちに「自由」の意味を問うような瑞々しい1冊だ。

 主人公は、忠君愛国の精神にすっかり染まり、お国のために死ぬことを夢見ている中学生・新城勇二。ある時、魔女が棲むという噂の洞窟へ「魔女退治」に出かけた勇二は、歴史学者の娘・一ノ瀬涼子と出会う。防空壕用に掘られた洞窟を、涼子は秘密の図書館にしているのだそうだ。自由奔放に振る舞い、時勢にそぐわない発言を連発する不謹慎な涼子に呆然としながらも、勇二は彼女に瞬く間に惹かれていく。だが、そんな彼女は、大学でフランス文学を学ぶ勇二の兄・優一の恋人。それを勇二が知ったのは、学徒出陣間近、優一の出征が決まる直前のことだった。

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 軍国少年の勇二にとって、涼子はどれほど衝撃的な存在だっただろう。キリスト教系の女学校に通い、西洋文学を愛読する彼女は、自由主義者。「天皇は人間」「日本は戦争で負ける」と言い放つ涼子の「非国民」な態度に、勇二は「俺がお前を教育してやる」と宣言。そして、涼子も「君のあまりにも不合理な思想は我慢ならないわ」と呆れ果てる。そんな2人のやりとりはなんとも微笑ましい。そうか、戦時下といえど、彼らには彼らなりの青春があったのか。そんな当たり前のことにハッとさせられる。

 ともに読書家で自由な精神をもつ涼子と優一は、勇二から見ても、お似合いの2人だ。涼子の視線の先に自分がいないことが悔しくとも、兄にはとても勝てるはずもないのだ。だが、出征が決まった優一は、そんな勇二の思いを知ってか知らずか、優一、涼子、勇二という3人で残された時間を過ごそうとする。そのひとつひとつのシーンは、どれもドラマチックだ。学徒出陣壮行会前夜の真夜中の帝都。戦時下とは思えないほど賑わいをみせる酒場と、兄の行きつけのバーや洋食屋。出征前夜の思いつく限りの非行。海での打ち上げ花火…。あまりの切なさに胸がいっぱいになる。残された時間はわずか。優一と涼子は2人きりで過ごすべきではないのか、自分は邪魔者ではないのかと困惑する勇二。「他人の心がわからないというのは人間に与えられた一番の贈り物かもしれない」などとつぶやく優一は、胸のうちにどんな思いを抱えているのだろう。

 自由が統制され、夢を見ることさえ叶わない社会で、勇二は次第に変わっていく。少年少女は一体どこにたどりつくのか。自由を制限されることがどういうことなのかわかった今だからこそ、ますます、彼らが経験したようなこんな苦しい時代を二度と繰り返してはならないと思う。自由を、平和を、願わずにはいられなくなる。そして、読後、心に残ったのは確かな希望だ。この作品は、どんなに時を経てもずっとずっと大切にしていたい。自由な時代への祈りが込められた、このかけがえのない青春小説を、ぜひともあなたも手にとってみてほしい。

文=アサトーミナミ