映画『ドライブ・マイ・カー』の豆知識も! 長年取材を続けてきた記者による“読み解き村上春樹”
公開日:2022/3/6
村上春樹はベストセラー作家だ。新作を発表すればニュースとなり、新刊が出ればファンは我先にと書店に詰めかけ本を手に入れる。また話題になることで村上作品を初めて手にする人が増え、新旧のファンはこぞって物語世界に没頭して読み通し、次作を心待ちにする。
村上作品は世界中の言語に翻訳され、毎年ノーベル文学賞候補として話題となるなど人気は世界的だ。2021年には短編集『女のいない男たち』に収められた『ドライブ・マイ・カー』が濱口竜介監督によって映画化され、カンヌ国際映画祭で脚本賞、国際映画批評家連盟賞、エキュメニカル審査員賞、AFCAE賞を、ニューヨーク映画批評家協会賞では日本映画初となる作品賞を受賞、他にもアジア太平洋映画賞やゴールデングローブ賞、全米映画批評家協会賞などで数々の賞を獲得している。また3月27日に発表となるアカデミー賞では、日本映画初となる作品賞と脚色賞にノミネート、さらに日本人としては1985年『乱』の黒澤明監督以来36年ぶりとなる監督賞(『砂の女』の勅使河原宏監督を含め日本人監督では3人だけ)にもノミネートされている。
村上作品は難解な文章ではなく、あくまで平易な言葉で書かれているため、とても読みやすい。これこそが新たな読者を受け入れ、作品を愛する“村上主義者”が増えていく秘密であると思う。ところがそんな誰でも簡単に入れる間口の広さがあるのに、村上作品の世界は入って行けば行くほど奥行きを増し、行く先が隘路や迷路になっていて、さまざまなカルチャーや他作品との関連、思想などが見え隠れする。
ところが村上春樹は取材をあまり受けない上に、自著の解説もほとんどしない。ゆえに「これはどういう意味があるのだろう?」という疑問にはガイドも答えもない……そんな村上作品の物語の世界で迷子になってしまった方にうってつけなのが、村上春樹作品と村上春樹本人についての論考をまとめた『村上春樹クロニクル BOOK1 2011-2016』(春陽堂書店)だ。
本書は2011年から10年間にわたって「47NEWS」(共同通信社と全国の地方新聞52社が運営するウェブサイト)や地方紙のサイトで連載された文芸コラム「村上春樹を読む」がもとになっている。著者は共同通信編集委員である文芸記者の小山鉄郎さんだ。小山さんはインタビューをほとんど受けない村上春樹氏に1985年から取材を続け、作家としての横顔を伝えながら作品の解読を試みている。
本書は村上作品の初期から最新作までが網羅され、さまざまな読み解きが収められている。もちろん2014年に刊行された『女のいない男たち』についての論考もある。小山さんはこの短編集は海をめぐる物語であり、「両義的」というテーマを扱っているという。
例えば『ドライブ・マイ・カー』の女性運転手「渡利みさき」の名前には“海を渡る”という意味があり、主人公の家福は「深い海の底に沈められた小さな堅い金庫」というメタファーを使っている。そして人間の持つ両義的な側面は、それまでの村上作品でも大きなテーマとして存在していたと指摘している。
村上春樹氏も1999年に発表した長編『スプートニクの恋人』でこんなことを書いている。
考えてみれば、自分が知っている(と思っている)ことも、それをひとまず「知らないこと」として、文章のかたちにしてみる――それがものを書くわたしにとっての最初のルールだった。「ああ、これなら知っている。わざわざ手間暇かけて書くことないわね」と考え始めると、もうそれでおしまい。わたしはたぶんどこにも行けない。たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。
理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。
それが(ここだけの話だけれど)わたしのささやかな世界認識の方法である。
そして小山さんも本書で「村上春樹の小説をことさら難しく読む必要はありません。村上春樹は一貫して、そういう人間の成長、成長することの大切さということを書いているのです。そこから聞こえてくるものに耳を澄ませながら読むことが、村上春樹の作品を読む際の最大のポイントだと、私は考えています」と記している。作品の楽しみ方は、あくまで読み手の想像力に委ねられている――ここにも村上作品の人気の秘密があろう。読者が独自に採集を行い、検証や考察を重ねる「読み解き」ができるのも村上作品の特徴であり、魅力である。本書の読み解きを足がかりにさらに奥深い物語世界へと踏み込むのも、また楽しいものだ。
3月に出版される、2016年以降の記事をまとめた『村上春樹クロニクル BOOK2』も楽しみに待ちたい。
文=成田全(ナリタタモツ)