舞台装置は嘘か/小林私「私事ですが、」

エンタメ

公開日:2022/3/19

美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。

小林私
イラスト:小林私

 絵画を描いていると、好みもあろうが、マチエールというものの使い勝手の良さと、反面その意味の無さという壁にぶち当たる。ある程度絵というものに制作行為を伴って向き合ってきた人間は、画面を“それらしく”することに長け始めてしまう中で、その行為に如何に必然性を携えさせるか、ということに執着する時間を持つことになる。

 デジタル化されたカンバスにおいて絵具とは、一般的な絵具の持つ“支持されるメディウム”という物質感を捨て、単なる色としての機能を果たしている。仮に摩擦係数を0とし、という机上の約束事がモニター上で真実としてまかり通る。

 しかし今日では敢えてその驚異的利便性に背を向けるが如く、テクスチャとしてのマチエールを貼り付けることすら可能になり、“それらしく”する為の飾り付け技術が躍動している。

 

 例えば、なんとなく感動っぽい言葉ヅラやベタで簡略化された物語性に、ほとんど理論化されたコード進行とメロディを当て込め、ラストサビ前に声を震わせて「はい、皆さんここで泣いてくださいね」といった驚きという要素を完璧に排除し鑑賞者の思考すら欲しない音楽を聴くのであれば、玉ねぎでも刻みながらフリーBGMでも流せば良いのだ。

 しかし身体保護の為に流れる涙はそういった無欲な音楽を聴く人間が得たいそれとは大きく異なる。単に生理学的に反射性の涙と異なるという点もそうだが、彼らがその音楽に欲しているのは3分だか5分だかにまとめられたファストなドラマ性であり、涙と共にストレスを排出する役割である。

 

 ではそれらビー玉転がしは果たしてバカバカしく必然性を帯びない陳腐な表現であるのか? いや、そういった要素があることは否定出来ないが“その程度のもの”と言い張ろうとすればむしろ我々が浅薄であるということ、そして己の体に染み込まれた同じだけの感動のピタゴラスイッチの存在に気付く。

 ルッキズムを肯定したくなどないが、これを真正面から否定するにはまず視覚情報を遮断せねばなるまい。レストランのメニュー表の写真を見てこれは美味そうだの食いたいだのと考え選択する行為に潜む暴力性を捉えたとて逃れることは到底叶わなかったり、お笑い芸人のネタ見せに観客の笑いが入っていないとどうにも笑いづらかったり、ふと立ち寄った商店街に漂うメンチカツの香りに抗いがたかったりしてしまうからだ。

 

 荒々しい感情のリリックを拘泥し書き終え、冷静に良し悪しをジャッジした上で、当時の生々しさを片時も忘れていませんよという風に荒々しく歌う瞬間、俺は嘘を吐いていると思う。いい絵を作る為にいい絵らしくする工程に疑いを持つ。

 そして我々は我々が持ってしまった本能的情動に日々悲しくなり、憤り、それでもなんとなくいい絵を観ると、なんとなくいい絵だなと思ってしまう。

 その感情すらも嘘であると断言出来るほど、自分の冷静さと定義付けられた詭弁家をまだ信用出来ないのだ。だからせめてアートという名の下で有耶無耶にされる不誠実や、エンタテイメントの名の下で簡略化されたドラマを騙る醜悪さに、己の暮らしと作品をもって対峙したいと思う。

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。
多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタート。
シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信。チャンネル登録者数は14万人を超える。
2021年には1stアルバム「健康を患う」がタワレコメン年間アワードを受賞。
2022年3月に、自らが立ち上げたレーベルであるYUTAKANI RECORDSより、2ndアルバム「光を投げていた」をリリース。

Twitter:https://linktr.ee/kobayashiwatashi
Instagram:https://www.instagram.com/yutakani_records/
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