一緒に命を絶った3人の高齢者、その死が残された者たちにもたらしたものとは? 江國香織の才気あふれる『ひとりでカラカサさしてゆく』

文芸・カルチャー

更新日:2022/3/22

ひとりでカラカサさしてゆく
『ひとりでカラカサさしてゆく』(江國香織/新潮社)

 2020年に刊行された江國香織氏の小説『去年の雪』(KADOKAWA)は、彼女に対する読者のイメージを大きく覆す、先鋭的な企みと試みに満ちた野心作だった。様々な人物が次々に現れては消えるという構造を持つ同作には、なんと100人以上が登場する。しかも、冒頭で亡くなったはずの人物も、のちに死者として登場するのである。

 そして、『去年の雪』に続く『ひとりでカラカサさしてゆく』(新潮社)もまた、その構造からして特異で奇抜だ。物語は、ホテルのラウンジに集った、篠田完爾、重森勉、宮下知佐子という高齢者3人の会話から始まる。1950年代の末に美術系の出版社で知り合った3人は、会社が潰れたあとも定期的に集い、親密な友達付き合いを続けていた。

 その3人が猟銃自殺を遂げる。言うなれば心中なのだが、自殺の理由は不明。3人の係累や知人は彼らの自殺に驚き、戸惑いを隠せない。既に80歳を超えている3人がなぜ、このタイミングで自死を選んだのか――。

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 設定を鑑みると、これからミステリが始まると予測する人もいるだろう。確かに、3人の死の理由を解明するという謎解きが繰り広げられてもおかしくない。だがこの小説は違う。3人がこの世から去ったのち、その死がどのように波紋を広げ、どう受け止められるかに焦点が当てられている。

 故人らと関係のあった親族や家族や恋人たちは、3人の死をきっかけに交流を持ち、予期せぬ出会いを果たす。ある者は喪失感を抱え、ある者はふとした瞬間に故人を思い出す。単に記憶に残るというよりも、個々の脳内で3人は生き続けている、と言うべきか。

 徐々にではあるが、故人と親しかった者たちの断片的なエピソードが積み上げられ、生前に彼らと交流のあった9人の心象風景が描かれてゆく。自殺という行為に対する温度が人によって違うところにはリアリティを感じたし、3人が死を選んだ理由が少しずつ異なるのも、実際にありそうな話だと思わせる。

 登場人物の性格や特質もこと細かに描写されている。例えば、篠田完爾の息子・東洋にとって父親は謎めいた人物であり、父はもちろん、共に逝った親友2人の縁者との関わりも避けたがっている。

 また、縁者のひとりの葉月はデンマークに住んでおり、同国出身のアンデルセンの研究に没頭している。本書を読まなければ想像すらしなかったが、そうした日本人研究者がいてもまったくおかしくない。もしかしたら実在のモデルがいるのではないか、と思ったほどである。

 縁者たちの会話や回想の合間に、ホテルのロビーに集った3人の様子が、時折フラッシュバックのように挿入される。死者が死者のまま現実に闖入してくるのは、冒頭で述べた『去年の雪』にも相通じるところがある。やはり同書と本書は見えない糸で繋がっているのではないだろうか。

 3人の死から時間が経つにつれ、彼らにまつわる意外な事実が判明したり、縁者同士が密な関係を築いたり、予想外のベクトルに物語は進む。自死した3人にとって、あるいは残された者にとって、この世に生きて死ぬことは「ひとりでカラカサをさして」歩くような脆く儚く危うい営為だったのではないだろうか。そう思わせる幕引きだった。

文=土佐有明