“女のほうが男より優秀だ”という台詞に振り回され…男社会の名残の激しい時代に映画業界に生きた、かつての若者たちの“いま”

文芸・カルチャー

更新日:2022/3/22

『キネマトグラフィカ』(古内一絵/東京創元社)

“女のほうが男より優秀だ”
いく先々で気楽に言い放たれた台詞に振り回された。
なぜならそれは、咲子にとって“男より優秀でなければここにはいるな”と聞こえたからだ。

 このたび、新文庫レーベル〈創元文芸文庫〉の創刊ラインナップとして刊行された『キネマトグラフィカ』(古内一絵/東京創元社)。その第1章に書かれた登場人物の吐露が、胸に突き刺さる。著者が映画会社に勤めていた経験をヒントに描きだす同作は、老舗映画会社に同期入社した6人の男女が、五十代になって再会する物語。

 かつての営業先だった地方の映画館を継いだ栄太郎に、閉館を理由に呼び出された5人は、思い出深い映画をそろって観ることになるのだけれど、いまも会社に残って敏腕プロデューサーとして活躍している咲子は、盛り上がる同期たちのテンションに乗り切れずにいた。

 男女雇用機会均等法が施行され、半分以上体面で採用されながら、誰かの心をふるわせる映画をつくりたい一心でがむしゃらに走り続けてきた咲子だけれど、男社会の名残の激しい時代では理不尽な思いをたくさん重ね、いまも“ママさんプロデューサー”としてもてはやされることに違和感を覚えている。自分は、ただ自分であるだけでは評価されないのか。ふつうに仕事ができるだけではだめなのか。“母親なのに頑張っている”という付加価値がなければ、自分には意味がないのか。思い出の一作をいまさらみんなで鑑賞するのは、悪趣味なセクハラにも耐えて駆け抜けてきた自分の人生をふりかえるのと同義で、つらい。そんな咲子の葛藤に、冒頭から胸をつかまれる読者は多いだろう。

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 けれど、そこから咲子の人生譚が始まるのかと思えば、そうとはならないところが本作の魅力。映画がフィルムで上映されていた時代、地方の劇場に貸し出すための綱渡りスケジュールをどうにかするため、咲子たちがみずから新幹線に乗って1本のフィルムを運んだ“リレー”の様子を、それぞれの視点でふりかえる。そこには、六者六様の生きざまだけでなく、デジタル化が進み、動画配信もあたりまえになったいまとはまるで違う時代も映し出されている。映画館へ足を運ぶことが一大イベントだった頃、華やかに見える世界の裏で、泥臭く屈託を抱えながら懸命に映画を提供していた人々の裏側を知ることは、物語を離れても、とても興味深い。

 お調子者の学のように、四半世紀経っても変わらない人間もいれば、結婚・出産はあたりまえだと思っていたのに、子どもをもたなかった留美のような人間もいる。多かれ少なかれ、あの頃思い描いていたのとは異なる人生を歩んでいる彼らが、いま現在もなにかしら抱えているだろう屈託を、古内さんはあえて、描かない。ただ、若かりし頃、それぞれ等身大にがむしゃらだった彼らを通じて、時間の経過を浮かび上がらせ、思うように舵をきれないのが人生なのだと描きだす。でも、だからといってがむしゃらだった日々は決して無駄というわけではなく、過去は、いつだって現在に繋がっているのだということも。古くさく、アナログで、旧態依然としたかつての映画業界がなければ、いま私たちが映画を当たり前に楽しむことがなかったのと、同じように。

〈あなたは、どこへも逃げずに、ここまでやってきたんじゃないの〉と同期に言われ、咲子は自分でつかみとった“いま”を見る。失ったものも得たものもそれぞれあるけど、その“いま”は得難く尊いものなのだと、読み終えたあとは背中を押されたようにも感じ、そしてふと映画館に足を運びたくなってしまった。

文=立花もも