「消費資本主義」から「人資本主義」へ。今を生きる私たちに必要な場所とは?

社会

公開日:2022/3/29

共有地をつくる わたしの「実践私有批判」
『共有地をつくる わたしの「実践私有批判」』(平川克美/ミシマ社)

 SNSやAirbnb、カーシェアなどが普及して「シェアの時代」といわれて久しい。「シェア」という言葉は一聴すると「分かち合い」というような平和な響きがしますが、併行して世の中には「分断」という真反対の動きも国内外問わず増えてきています。

 本稿で紹介する『共有地をつくる わたしの「実践私有批判」』(平川克美/ミシマ社)は、「私有」に対する考え方を見直すことで、「シェア」と「分断」という相反する同時代的傾向の狭間で、迷子にならないような道標となってくれる一冊です。

 1950年に東京都大田区蒲田の町工場に生まれた著者の平川克美氏は、青少年期に自宅の一角に町内会の会員たちが集まって、金銭・物の貸し借りも含めた「もたれあい」が日々行われている空気を鬱陶しく思いつづけ、喫茶店や町そのものなどといった「アジール(逃れ場所)」を見出していくという体験をしています。

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 そして、大人になってビジネスをするようになった平川氏は自身の嫌だった体験も含め時間をかけて咀嚼し、誰のものでもあり誰のものでもない、縁が紡がれることを理想とした喫茶店「隣町珈琲」を2014年に品川区の荏原中延駅エリアにオープンするに至りました。

 その前の2012年に、平川氏は人気作となった『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』(ミシマ社)で、中長期的視座が欠落した成長志向の経済に従属するのではなく、身の回りの問題を自らの責任において引き受けることを通じて「自分発信の経済圏を築く」という生き方を提唱していました。

 本書では「私有」や「財産」といった考え方にメスが入るわけですが、もちろん「私有」をゼロにして無人島で生活するようなことが勧められているわけではありません。

わたしが実践しようとしているのは、私有の否定ではなく、批判です。競争社会を駆動している無制限な私有化をやめて、本来、社会の共有物であるべきものを元のとおり共有物に戻すということです。

 つまり、専有するという意味での「私有」ではなく、「共有」を念頭に置きながら「私有」をしていくということです。本書はこのように一筋縄ではいかない話題を扱っているのですが、話が小難しくならないように著者はたとえを適宜用意していて、「私有/共有」のバランスに関しては「縁側」という場の性質などを例にとって補足説明をしています。

 日本家屋において縁側は空気循環など機能的な用途を持ちますが、伝統家屋が減ってくるにつれて、縁側は「コミュケーションの潤滑油」や「癒し」といった別の価値を持ち始めるようになりました。現代社会においては家屋に縁側がなくても空気循環は様々な機器でできますし、生活の危機に瀕することもないでしょう。しかし、外でもなく中でもない性質を持つ縁側という場が紡ぐ「人間らしい時間」は、定義され尽くされた場が埋め尽くす現代社会においてはとても稀有になったのです。

目的は成長ではなく、人としての今を生きること。そのためにあらゆる局面で、ヒューマンスケールを取り戻すこと。そんなことを言うと、そう簡単に生き方や考え方を変えることなどできないと思われるかもしれません。
でも、わたしがここで提唱するのは大きなことではないのです。いや、むしろすでにやっていることに意識付けして、方向転換の行方を指し示すだけでよいと言えるかもしれません。

 著者が本書で資本主義・市場経済の代替となる理想として掲げているのは「人資本主義」で、それを実現するためのコツは、一点に集約するならば「お金に対する考え方を変える」ということだと説かれています。この問題に縁側に座るような心地で向き合い考える本書は、自ずと読者が「共有地」の形成にコミットできるような後押しをしてくれます。

文=神保慶政