Re:二億円を受け取ってください。/小林私「私事ですが、」
公開日:2022/4/2
美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。今回は、ある男が経験した物語です。
こんにちは。これを読んでいる方々にも、何度かメールを送ったことがあるかもしれません。私は二億円をどうしても受け取って欲しい者です。
私にはこのお金を受け取ってくれる家族や友人もおらず、いっそのことと無作為にメールを送り続けておりました。そんな暮らしがもう何年も経ち、私の切なる願いはいつしか迷惑メールなどと呼ばれ、今日に至るまで二億円は未だ誰の手にも渡っておりません。
しかしようやく、今までのやり方が間違っていたと気付きました。
そこで今回は何故私が二億円を受け取って欲しいのかを、一度ご説明させてください。
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時は平成初期まで遡ります。現在バブルと呼ばれる栄華もまさしく泡沫のように弾け、私はそんな最中にこの世に生を享けました。しかし私の生まれた家は元より裕福であり、家長たる祖父には商才もあった。成していた財の大半を失っても尚、あの未曾有の不景気を耐え忍ぶことが出来たそうです。
誤解なさらないで頂きたいのは、この話はまだ序文であるということです。私が受け取っていただきたい二億円は家からの相続などではございません。あの家と私は今や何の間柄もございません。
それでは続きに、その話を致しましょう。
不況など欠片も気に留めず健やかに育てられた私が、いよいよ大学を卒業する間際のことです。盤石之固と言わしめた祖父も人間でございますから、迫りくる時間には勝てないものでついに倒れてしまったのです。家の者がよくよく注意していた為すぐさま病院に運ばれました。
当時のことは今でも克明に覚えております。卒業論文の最終校正が無事終わり、教授と談笑していると珍しく家から着信がありました。慌てて病院へ向かいますと、既にあらかたの治療を終えた祖父が病床に臥しておりました。
ひとまず命に別状はありませんでしたが、窓の外を弱々しく見つめる乾いた瞳にはあの厳格で冷徹な祖父の面影はなく、その背中はあまりに小さく縮こまっておりました。誤解なさらないでいただきたいのは、私は決して、祖父のことは嫌いではありませんでした。時折あまりの厳しさに恐ろしくなることはありましたが、それも全て、家と住まう者達のことを考えてのものだと理解しておりました。
ただ、何故か可笑しくなってしまったのです。嘲りや、今までの所業に対する現状への痛快さなど微塵も感じていなかったのに、私は私の口角が歪むことを止められませんでした。それは到底安堵の笑顔などと呼べる代物ではなく、祖父はその日、私を勘当致しました。何を笑っている、とかけられた叱責は先程までの朧げな存在感が嘘のように冷厳さを取り戻しておりました。
恥ずかしながら、厳しくも何不自由なく育てられ順当に家業を継ぐものだと悠々自適に育ってきた私にとって、新たな働き口を探すという選択肢はあまりに酷なものでした。家を失い、最後の情けだと卒業させていただいた大学の、唯一の友人の家に転がり込みました。一般には彼のことを悪友と呼ぶのでしょう。彼が行き場を失った友人を真っ先に連れて行ったのは、薄暗い賭博場でした。
言われるがまま連れ出された賭場は、本来ならば金のない若者など相手にされないところでした。しかし私の家の名前を出すと、鴨がネギを背負ってやってきたとばかりに歓迎されました。これも彼の目論見でしょう。友人たる彼との縁は早くもここで途切れます。私には賭け事の天賦の才がありました。
分不相応な賭場で早々に尾羽打ち枯らした彼を尻目に、見様見真似で遊ぶポーカーやブラックジャック、ルーレット、丁半から麻雀に至るまで全てが素晴らしく刺激的でございました。ボンボンの阿呆だと快く受け入れてくれた客達の顔も見る見る青ざめていきました。ただ、賭け事はその勝負に勝つことが勝利ではありません。せしめた大金を、有無を言わさずに持って帰ることが出来てこそ本当の勝者なのです。
目を覚ますと身一つで路地裏に転がされておりました。いつの間にかしとどに降っていた雨の滴が頬の傷に沁み、そこでようやく自分は負けたのだと気付きました。友人の姿はどこにもありませんでした。しばらく呆けていると見知らぬ男から声をかけられました。この一声が私の人生を大きく変えた転機でした。